ロンドン、ミラノ、パリなどヨーロッパを中心にコレクション取材を初めて久しいが、なんだか10年ぶりくらいにコレクションにミューズが登場してきたような気がする。
デザイナーがコレクションをつくるとき、創造力を刺激する存在がミューズだ。
振り返ってみると、長いコレクション取材生活の中でどれだけのミューズが登場してきたことだろう。
もっとも多くミューズとして脚光を浴びたのは、故ジャクリーン・ケネディ大統領夫人だった。知名度が高く、わかりやすいエピソードに彩られていたからだろう。
アメリカンセレブの草分けであるベイブ・ペイリーやC.Z.ゲストなど、現代のエレガンスの礎を築いた「スワン達」を知ったのも、コレクションのリリース(解説書)だったし、マレラ・アニェッリ(スワンのNo.1と謳われた社交界随一のエレガントな美女で、フィアット社の社長夫人)やダイアナ・ヴリーランドの名前もあった。そういえばジェニファー・ロペス等、人気アイドルの名前を挙げたニューヨークのデザイナーもいた。ミューズは時代を写す鏡のようなものだ。
例えば、ミラノのドルチェ&ガッバーナは愛国心にあふれた、大のイタリア贔屓なので、イタリアの文化にアイディアを採ることも多く、イタリアを代表する名作映画の『ストロンボリ』、『山猫』などに着想したこともある。
その流れの中で、デザイナーがコレクションで表現したいのは、「ストロンボリ火山の大噴火のような情熱的な女性」であるとか、「滅びゆく貴族のような気品に満ちたデカダンなエレガンスを漂わせる女性」なのか、取材する方もストーリーを思い描きながらコレクションへ理解を深めてゆく。ミューズとはストーリーの象徴であり主人公なのである。
ところがこの10年ほど、ファッション界は以前ほど夢見るロマンティックな世界ではなくなり、もっとリアルで社会的にも活動的な行動する女性像が、台頭してきた。
虐げられた労働者階級の男達を撮影し続けた女流写真家や世界中をオートバイで旅した冒険家…彼女達は、以前のセレブリティのような富や美貌に彩られた存在ではなく、個性的な仕事や行動力で、一部の人の目を惹く存在であった。
そして、その挑戦的な生き方や、恐れを知らない行動力に心を打たれ、デザインの発想源としたデザイナー達も多かったのだ。
外見の美しさよりも、志の強さ、タフな生き方などが21世紀の女性を評価する物差しになってきたことの反映が、コレクションの女性像の変化に映し出されたのである。
そんな時代が10年以上続き、そして今、2017年秋冬コレクションに、再び女優のイメージが登場してきた。それも、かつて名女優と謳われた'60年代の往年の美人女優達。もう息をのむほど驚いてしまった。
イングリッド・バーグマン、アニタ・エクバーグ、ローレン・バコール。
ただの美人女優ではなく、演技力も高く、生き方も当時にしては型破りの筋を通す強さがあり、今見直しても感動するほど美しい。
特にマックスマーラでは、これら3人の女優達がイメージボードにも上げられていた。タフで美しいのだ。ランウエイのモデルにもハリマ・アデン(ヒジャブをかぶったイスラム教徒。難民キャンプ生まれ。ミスアメリカ候補にも挙げられた)を起用し、半トランプへのメッセージ性に富んだコレクションであった。
そこでミューズにあげられたのが、前述のバーグマンなどである。
イングリッド・バーグマンとアニタ・エグバーグの共通点といえばともに北欧出身の骨太の美貌である。決して華奢でか細くフェミニンで、思わず男性が手を貸したくなるようなハリウッド的な女優ではない。
アニタ・エクバーグは、ミスユニバースのスェーデン代表からフェリーニ監督の『甘い生活』で一躍スターダムにのし上がった。美貌とグラマラスな姿態をもつ完璧な美女だ。
イングリッド・バーグマンにしても、可憐な様子に絶世の美貌ときているから、男性としては抵抗のしようもなく、激情的な不倫など、その奔放な生き方に振り回された男性は数知れず。
唯一ローレン・バコールは、年の離れた夫ハンフリー・ボガードと添い遂げたが、知的なクールビューティと、当時としては珍しい「男性に媚びない」女性を公私共々印象づけた。
登場した女優達のミューズは、ステレオタイプの女らしさや美しさの象徴としてではなく、逆に、天性の美しさに甘えることなく、自分の道を自ら切り開き、たとえ茨の道であっても、毅然と進んでいった勇気ある女達の象徴として輝いている。
「勇気と優しさ」を忘れずに幸せになったのはシンデレラだが、「勇気と自分を信じる心」を持って人生を切り開いていった美女達が、再び脚光を浴びていることは、まさに今それこそが必要とされているからであろう。
- TEXT :
- 藤岡篤子さん ファッションジャーナリスト
- クレジット :
- 文/藤岡篤子 写真提供/AFLO 構成/渋谷香菜子