今聴きたいBCBG的な音楽、という妄想

秋号のメンズプレシャスに、山下さんが担当された「フレンチアイビー」に関するページがあった。威容を誇ったOLD ENGLAND(オールド イングランド)も、左岸のテーラーARNYS(アルニス)ももはやパリに存在しない現在、往時を思い起こし(または想像し)ながら、そのエスプリをどのように今の装いとしてトランスレートするか。日本の識者、さらにはあのマルセル・ラサンス氏やパリの新たな担い手に取材を行いながら、そうしたことを追究するテクストを楽しく拝読した。さらに来たる春夏物の展開で、いくつかのブランドやショップが「フレンチ」「BCBG(Bon Chic Bon Genre)」を着こなしのキーワードとして挙げている場面にも遭遇した。そこでふと、「フレンチアイビー」や「BCBG」というスタイルに響く音楽とはどんなものだろうか、という考えが頭をよぎったのだった。

メンズプレシャス秋号にはフレンチアイビーのアイコンとして、ザ・スタイル・カウンシルのポール・ウェラーが挙がっていたが、これは音楽というよりその着こなしに着目してのことであり、さらには日本という英欧から隔った視点からの俯瞰的感覚が働いている。余談めくが記事中切り抜きで掲載されていたヘリンボーンコート姿のウェラーの元の写真には、彼の周囲にモッズコートを着た複数の少年たちが写っていた。

モッズのユニフォーム群を尻目に、たっぷりとしたオーバーコート&ホワイトパンツ姿のウェラーが颯爽と歩いていく光景は、時代とスタイルの節目を象徴しているといえるだろう。もっとも、ザ・スタイル・カウンシルの音楽は、とくにその詞において、時に体制批判も交えたプロテスト的色彩が濃かった。

それはBCBGの穏健さとは少し異質なものだろう。ウェラーは上品な装いや広範な音楽性などでステレオタイプを逸脱することで、自身の音楽のメッセージ性や表現の独自性を際立たせたかったのかもしれない。

BCBG、フレンチアイビーらしい音楽とは?

ではBCBG、フレンチアイビーらしい音楽とは? ティエリ・マントウによる『フランス上流階級BCBG(ベーセー・ベージェー)―フランス人の「おしゃれ・趣味・生き方」バイブル』は、1980年代当時のBCBGの実態を、考察も交えて描写した書籍だが、そこには少ないながらも「BCBGの音楽」に関する記述がある。例えば、「ベーシックなものとして」と前置きされて、「持っているべきレコード」と挙げられているのは以下だ。

●ベートーヴェン→「交響曲」、ピアノのためのソナタ。
●モーツァルト→ピアノのためのコンチェルト、いくつかのシンフォニー、ドン=ジョヴァンニ、「夜の小品(アイネ・クライネ・ナハトムジーク)」。
●バッハ→ブランデンブルグ協奏曲、無伴奏チェロ組曲(カザルス)。
●ヴィヴァルディ→四季。
●ラヴェル→左手のためのピアノ協奏曲、ボレロ。

カザルスの無伴奏チェロが挙がるのが、いかにも20世紀的。今日この組曲がチェロのみならず、ピリオド楽器や管楽器、鍵盤楽器からエレクトロニックまで幅広く演奏されている状況とは隔世の感がある。他の選択もよく言えばオーセンティック、ちょっと意地悪く言うと凡庸な感じを受ける。まあこの書籍にはBCBGをやや皮肉めいて描く調子もあるので、そのエリート主義を反映したという点では納得できるか。

ただ、今日的なBCBGスタイルに合わせた音楽をマジメに考えるならば、こうしたチョイスでOKとはいえない気がする。特にベートーヴェンの重厚感やロマンティシズムと、BCBGにおける正統なスタイルを軽妙に遊ぶ感覚とは、ちょっと相容れないように個人的には感じてしまう。BCBGにクラシック音楽が似合うのは異論ないが、そこにはやはりフランスらしいエスプリというか、オーセンティックながらもどこか軽やかで、さらには品めいたものを感じさせるといいように思う。

フレンチ・バロックをモダン・ピアノで楽しむ

左がフランスのピアニスト、アレクサンドル・タローの最新録音『VERSAILLES(ヴェルサイユ)』(ERATO、輸入盤)。ラモーやクープラン、ダングルベールといったフランス・バロック期の作曲家の鍵盤楽曲を演奏。ラモー「優雅なインドの国々」ではソプラノのサビーヌ・ドゥヴィエル、ラモー「未開人」では鍵盤奏者ジュスタン・テイラーと共演している。右は2007年リリースのクープラン作品集『Tic toc choc(ティク、トク、ショク)』(Harmonia Mundi、輸入盤)。フレンチバロックの魅力を広く世に知らしめた作品。
左がフランスのピアニスト、アレクサンドル・タローの最新録音『VERSAILLES(ヴェルサイユ)』(ERATO、輸入盤)。ラモーやクープラン、ダングルベールといったフランス・バロック期の作曲家の鍵盤楽曲を演奏。ラモー「優雅なインドの国々」ではソプラノのサビーヌ・ドゥヴィエル、ラモー「未開人」では鍵盤奏者ジュスタン・テイラーと共演している。右は2007年リリースのクープラン作品集『Tic toc choc(ティク、トク、ショク)』(Harmonia Mundi、輸入盤)。フレンチバロックの魅力を広く世に知らしめた作品。

例えば、クラシック音楽の基本ともいえるJ・S・バッハは、オーセンティックという点でBCBGともちろん相性は良いが、今ならあえてバッハと同時代に響いていたフランスの音楽を選ぶのはどうだろうか。

かの時代、ブルボン朝のフランスは太陽王ルイ14世の治世をピークに、王宮のあるヴェルサイユを中心としてバロック文化が大きく花開いた。そのヴェルサイユの音楽をモダンピアノ演奏で追求したのが、フランスのピアニスト、アレクサンドル・タローの最新作『VERSAILLES』である。

タローはこれまでも、往時ではクラヴサン(チェンバロ)等の鍵盤楽器向けだったクープランやラモーといったフランスのバロック作曲家の作品をモダンピアノで演奏する取り組みをおこなってきた。バロックというと典雅な響きを連想しがちだが、タローのピアノ演奏からは、軽妙なリズム感と、そして時折「歌ごころ」めいたキャッチーさが感じられる。

もともとクープランやラモーらのクラヴサン曲には「さまよう亡霊」「鳥のさえずり」といったユニークなタイトルがつけられたものが多く、題名を彷彿とさせる響きや曲調だったりする。タローのピアノはそれらをより生き生きと、そして小粋な印象とともに聴かせてくれるのだ。その存在感は、とてもBCBG的に思えるのだが、いかがだろうか。

無頼なピアニストが聴かせるフランスの音

サンソン・フランソワによる、ショパンのピアノ曲演奏の10枚組ボックスセット『Chopin:Piano Works』(ERATO、輸入盤)。他にもラヴェルやドビュッシー等の作品の録音が残っている。自分が好む作曲家は徹底して探究したが、そうではない作曲家(例えばベートーヴェン)は見向きもしなかったといわれている。
サンソン・フランソワによる、ショパンのピアノ曲演奏の10枚組ボックスセット『Chopin:Piano Works』(ERATO、輸入盤)。他にもラヴェルやドビュッシー等の作品の録音が残っている。自分が好む作曲家は徹底して探究したが、そうではない作曲家(例えばベートーヴェン)は見向きもしなかったといわれている。

ピアノとフランスとの関係においては、リストやショパンがカリスマ・ピアニストとして活躍した19世紀中盤のパリ、またはその後のドビュッシーやラヴェルといった作曲家たちの存在などが思い浮かぶが、そこで挙げておきたいのが、20世紀中盤にフランスで活躍したピアニスト、サンソン・フランソワだ。

酒とタバコを愛し、自身のコンサートが終わった後には、カフェでグラス片手に戯れにジャズを弾いたともいわれる夭逝(46歳没)のピアニスト。その演奏は、グルーヴすら感じさせるような緩急豊かな、それでいて大仰にならないものだ。リスナーとしての勝手な印象を述べるなら、彼のラヴェルやショパン、ドビュッシーは、それら作曲家の作品を「演奏」しているというより、各「作品の音」として響くように感じる。

曲が生命感にも似た感触を伴って聴こえること、それはクラシックリスナーにとって評価できることなのかは不明だが、ジャズやポップスなど楽曲と演奏(と演奏者)が一体となった音楽にも親しんだ耳にとっては、とて味わい深く感じる。また様式に囚われすぎない彼の演奏は、BCBGの装いにも通じる感覚といえるだろう。

いまになって楽しめる、あの頃のパリのジャズ

セロニアス・モンクの『Les Liaisons Dangereuses 1960』(Sam Records、輸入盤)。古いジャズの録音を扱うフランスのレーベルから発売された『危険な関係』のサウンドトラック。当時の貴重な写真を掲載したブックレットも同梱されている、ブックレット右ページはとぼけた麦わら帽姿のモンクとバルネ・ウィランらが収まったレコーディング風景。
セロニアス・モンクの『Les Liaisons Dangereuses 1960』(Sam Records、輸入盤)。古いジャズの録音を扱うフランスのレーベルから発売された『危険な関係』のサウンドトラック。当時の貴重な写真を掲載したブックレットも同梱されている、ブックレット右ページはとぼけた麦わら帽姿のモンクとバルネ・ウィランらが収まったレコーディング風景。

フランソワがピアニストとして活躍していた1950年代〜60年代、パリに響いていたジャズは、今日『Ascenseur pour l'échafaud(死刑台のエレベーター)』や『Les Liaisons Dangereuses(危険な関係)』、『Sait-on Jamais...(大運河)』といったヌーヴェルヴァーグ作品のサウンドトラックとして聴くことができる。

中でもマイルス・デイヴィスによる「Générique(『死刑台のエレベーター』のテーマ)」と、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ「No Problem(『危険な関係』のブルース)」はよく知られた存在だが、ここで紹介したいのは数年前にリリースされたセロニアス・モンクのアルバム『Les Liaisons Dangereuses 1960』だ。実はアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ名義で出された『危険な関係』のサントラ盤には、劇中に使われたモンクのピアノ演奏は収録されていない。

2010年代後半になってリリースされたこの作品によって、ようやくサウンドトラックがコンプリートするのだ。スイング&ファンキーなジャズ・メッセンジャーズの演奏と比べ、モンクのそれはピアノ中心の構成。嚙んで含めるような、独特なタイム感(ラグタイムの感覚、といえるかもしれない)のモンクのタッチは、劇中の男女の駆け引きにテンションと、独特なユーモアを付加している。ラクロの同名小説を、舞台を18世紀の貴族社会から20世紀の上流社会に置き換えて映画化した作品の音楽が、現代のエリートでもあるBCBGの日常に合わないはずはない。

現代フレンチ・ジャズというソリッドな音楽

右はフランスのリード(クラリネット&サックス)奏者ルイ・スクラヴィスの最新アルバム『CHARACTERS ON A WALL』(ECM、輸入盤)。フルクサスにも参加したフランスのアーティストErnest Pignon-Ernestの活動から着想した作品という。ヴァイナル(レコード)もリリースされている。左は1997年の作品『L'Affrontement des Prétendants』(ユニバーサル)。トランペット、チェロ、ベース、ドラムスという編成で、スリリングな演奏を聴かせる。

先述のヌーヴェルヴァーグ各作品のサウンドトラックに共通するのは、フランス人サックス奏者バルネ・ウィランの存在。彼のちょっと前のめりな演奏が、マイルスやアート・ブレイキー、モンクらのサウンドに程よいテンションを与えている。というか、ジャズという音楽の芸術性に目配せしつつも、どこか俗っぽさがある演奏が、「いい按配」のジャズとして結実しているように感じる。彼は70年代にはサイケデリック(『Dear Prof. Leary』なんてタイトルのアルバムもリリースしている)、80年代にはパンクに接近し、ジャズ・サキソフォニストとして既成概念に挑戦し続けこの世を去った。

このウィランの軌跡も含め、ジャンゴ・ラインハルトやステファン・グラッペリの登場からこのかた、フランスのジャズは、アメリカのそれとは一味違った独特な音楽的な拡がりを持っていると勝手に考えている。そんなフランスのジャズシーンで現状注目のプレイヤーとして挙げたいのが、クラリネット&サックス奏者のルイ・スクラヴィスだ。

彼の最新作『CHARACTERS ON A WALL』は、一聴ワンホーンカルテットによる、スムースで穏やかなジャズのようだが、聴き込むうちにクラリネットによる音感と旋律の独特さが感じられ、やがて緊張感まで漂ってくる。2010年代に入って、ベンジャミン・モウゼイというピアニストとの共演が多くなっているが、それ以前の作品に見られた彼の音楽的冒険性は、モウゼイとの美しいインタープレイの背後で、よりミステリアスに蠢いているようだ。

もっとも、モウゼイ&ギターのユニットによる前々作『SOURCES』や、チェロも交えた変形クインテットによる1999年の作品『L'Affrontement des Prétendants』、さらにはアンリ・テキシェ&アルド・ロマーノとの共演作『アフリカ回想録』などを知った上で上記の最新作を聴くと、よりその奥深さを感じられるかもしれない。

スクラヴィスの軌跡は、ノイズミュージックや民族音楽、アートといったコンテクストを援用しながら、ジャズという音楽の可能性を拡張するものだった。だからこそ、ここに来てのオーセンティックなカルテットには、いわば蒸留酒のようなエッセンシャルな存在感があるのかもしれない。それもちょっとエキゾチックなクセのある強めの酒か。往時よりジャズという音楽の幅が格段に広がった現代において、こうした時代と対峙するようなソリッドさを内包したサウンドとうまく付き合うのもBCBG的といえないだろうか。

ここまで、現代のBCBG&フレンチアイビーに似合う音楽とは、という妄想を巡らせ、クラシック〜ジャズの作品をいくつか挙げてきた。偏りがあるかもしれないが、あくまで知的遊戯の一例としてご容赦いただきたい。さらに、ポップスやロックといった領域でも、BCBG&フレンチアイビー的音楽として挙げたいものもいくつかあるが、あまりに長くなってしまうので、回を改めてご紹介できればと思っている。

この記事の執筆者
『エスクァイア日本版』に約15年在籍し、現在は『男の靴雑誌LAST』編集の傍ら、『MEN'S Precious』他で編集者として活動。『エスクァイア日本版』では音楽担当を長年務め、現在もポップスからクラシック音楽まで幅広く渉猟する日々を送っている。