以前、リー・モーガンの『ザ・サイドワインダー』を飽くことなく聴き続けたことがあった。ジャズ、とりわけ1950~’60年代のジャズは、過去の振り返りである以上、現代まで積み重ねられた解釈にどうしても目がいってしまう。ところがそのときは、繰り返し聴き続けたせいか、左脳ではなく右脳で味わえた気がした。

そして、モーガンのワルぶったようなトランペットの音が、ラッパーのフロウのように感じられたのだった。

進化し続けるジャズの姿

ドキュメンタリー映画『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』

ロバート・グラスパーが中心となったブルーノート・オールスターズの録音風景。奥に見えるのはハービー・ハンコック。©MIRA FILM

ドキュメンタリー映画『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』を観て、ジャズマニアからは一笑に付されるだろう前述の印象が、決して的外れではなかったと認識できた。サンプリングにジャズが多用されているという表層的な連関だけでなく、アーティストたちの音楽への向き合い方において、ジャズとヒップホップには相通じる価値観がある。

劇中、ロバート・グラスパーやテラス・マーティンといった現代のジャズやヒップホップの担い手たちが、そのことをさまざまに語り、表現していた。それはまた、本作の監督ソフィー・フーバーの視座でもある。

さらに映画が進むと、観る者はブルーノートというレーベルが生み出しているのは、ジャズというジャンルに止まらない、ある特別な体験であることに気づかされる。それは挑戦を孕み、音楽でしか表現できないものだ。「演奏できないみたく演奏する」、マイルス・デイヴィスがウェイン・ショーターに語った言葉は実に示唆的だ。

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ブルーノート・レコード ジャズを超えて

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MEN'S Precious編集部 
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MEN'S Precious2019年秋号より
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WRITING :
菅原幸裕