グラスの奥底から輝きを増しながら立ちのぼるシャンパーニュの泡。

 気分を高揚させるその光景からも、シャンパーニュが歓喜に相応しい酒とされてきた理由がわかる。「勝利を収めれば飲む資格があるし、敗北なら飲む必要がある」この名言を残したナポレオンによって、シャンパーニュを「勝利の美酒」とする習慣は始まったと言われている。

 しかし、ナポレオンは禁欲的で、酒も「気分を引き立てるには一杯のシャンパンがあれば十分」という程度だったという説もある。ただ、彼をとりまく幕僚たちが皆シャンパーニュ好きで、ナポレオンの赴くところには常にシャンパーニュが付いてまわったらしい。また、ナポレオンと「モエ・エ・シャンドン」の2代目当主のジャン・レミ・モエが、少年時代から友人関係であったこともあり、ナポレオンがシャンパーニュの擁護者になったことは偶然ではなかった。フランスではナポレオンより前に国王ルイ14世、イギリスでは陽気な王様と呼ばれたチャールズ2世など、シャンパーニュを上流階級の飲み物として世界に広げた愛好家は数多い。

 そんな中でも特に語るべき人物が『ウインストン・チャーチル』だ。

1951年11月、ロンドン市長の就任披露宴で演説をした首相ウィンストン・チャーチルのためにシャンパーニュグラスが掲げられた。チャーチルほど好ましい逸話を数多く持ち、また、乾杯が似合った政治家はいないだろう。英国王室御用達の『ポル・ロジェ』を愛飲した。
1951年11月、ロンドン市長の就任披露宴で演説をした首相ウィンストン・チャーチルのためにシャンパーニュグラスが掲げられた。チャーチルほど好ましい逸話を数多く持ち、また、乾杯が似合った政治家はいないだろう。英国王室御用達の『ポル・ロジェ』を愛飲した。

 チャーチルが惚れ込んだのは『ポル・ロジェ』のシャンパーニュで、自分の競走馬にポル・ロジェという名前を付けたほどだった。そんなチャーチルに、こんな逸話が記録に残っている。第一次世界大戦中、海軍大臣だったチャーチルに、禁酒グループのリーダーが、海軍が船の進水式の際に舳先にシャンパンボトルをぶつけて割る習慣を止めてはどうかともちかけた。すると、チャーチルはこう答えたという。

「しかしですね、マダム。イギリス海軍のこの神聖なる習慣は、申し分のない禁酒の手本となりますよ。船は一度だけワイン(シャンパーニュのこと)を口にし、その後は一生水だけで過ごすのですから」
(『チャーチルの強運に学ぶ』PHP研究所)

右側の上下2枚の写真は、ヘミングウェイとスコット・フィッツジェラルド。常に良好というわけではなかったが、フィッツジェラルドが亡くなるまでの約15年間、友人関係が続いた。ふたりの往復書簡をまとめた書籍のエピソードには、パーティでシャンパーニュを飲んだ場面も記録されている。左上、元祖ダンディズムのオスカー・ワイルドもシャンパーニュを愛した男の証として、名言が語り継がれている。左下、トルーマン・カポーティ。社交家として群を抜く存在だった彼は、生涯でシャンパーニュを何本開けたのだろう?
右側の上下2枚の写真は、ヘミングウェイとスコット・フィッツジェラルド。常に良好というわけではなかったが、フィッツジェラルドが亡くなるまでの約15年間、友人関係が続いた。ふたりの往復書簡をまとめた書籍のエピソードには、パーティでシャンパーニュを飲んだ場面も記録されている。左上、元祖ダンディズムのオスカー・ワイルドもシャンパーニュを愛した男の証として、名言が語り継がれている。左下、トルーマン・カポーティ。社交家として群を抜く存在だった彼は、生涯でシャンパーニュを何本開けたのだろう?

 シャンパーニュの泡の如く輝きは儚くウィットに富んだ会話や演説で知られるチャーチルと対照的に、常識の枠を逸脱した個性的な名言の数々を残しているのがオスカー・ワイルド。

 フランスの税関で役人に「才能以外、申告するものはありません」と言ったことは有名。シャンパーニュについてもワイルドらしい、傲慢とも言える名言がある。

「シャンパンを飲む理由を見つけられないのは、想像力の欠如した人間だけだ」

 グラスを手にしてこうつぶやく絶頂期の彼の姿が目に浮かぶ。フランスだけでなく、欧州各国で上流階級の飲み物としてもてはやされ、勝利の美酒としての歴史も刻んだシャンパーニュは、アメリカでもプレステージのシンボルとなった。

「金があるときはまずシャンパンに金を遣う。それが金のいちばん正しい遣い方だ」

 50歳に近づいていたアーネスト・ヘミングウェイは、シェリーネザランド・ホテルのスイートルームで、ニューヨーカー誌の記者に対して、シャンパーニュをグラスに注ぎながら、こう語ったという。そのヘミングウェイが、まだ駆け出しで経済的にも困窮していた25歳の頃に、パリの酒場で出会ったのが、20世紀アメリカ文学の巨頭としてヘミングウェイと肩を並べるスコット・フィッツジェラルド。

 意気投合したふたりはリヨンに旅行するが、旅費のすべてをフィッツジェラルドが負担している。28歳だったフィッツジェラルドは、『グレート・ギャツビー』の出版で有名になっており、シャンパーニュ漬けの日々だったという。

 ヘミングウェイには、そのシャンパーニュが作家としの成功の証にも映っていたに違いない。時は移って1940年11月。『誰がために鐘は鳴る』を出版したヘミングウェイに、フィッツジェラルドは手紙を出している。

新刊本が大成功とのこと、おめでとう。君がものすごくうらやましい………この本が売れて、好きなことをする時間がとれるようになる君がうらやましい……」
(『フィッツジェラルド/ヘミングウェイ往復書簡集』文藝春秋)

 そして翌12月、フィッツジェラルドは心臓麻痺のため急死する。彼の人生は、華やかさと儚さを併せ持つシャンパンーニュの泡のようだった。さて、締めくくりは、シャンパーニュが最も似合う究極のキザ、トルーマン・カポーティ。ベストセラーとなった『冷血』は、実際に起こった一家惨殺事件を綿密な取材をもとに再現した作品で、ノンフィクション・ノベルの金字塔といわれている。この作品を6年かけて完成させたカポーティは、プレイボーイ誌のインタビューで、こう語っている。

 「この経験の結果、私は人生をより悲劇的にとらえるようになった、もともと私には悲劇的な人生観がある。そのため、かえって私は極端に軽薄に見えてしまう部分を持ってしまう。その軽薄なほうの私はいつも廊下に立っていて、悲劇や死を嘲っている。私がシャンパンを愛し、リッツ・ホテルに泊まるのはそのためだ」

 17世紀の奇跡の誕生以来、いつの時代も偉大な男たちに寄りそってきたシャンパーニュ。グラスに注がれたシャンパーニュは、彼らの人生と重なり合うように、華やかであるがゆえの孤高の美しさに満ちている。

没後50年を経てもなお敬愛される政治家ウインストン・チャーチル。彼を敬愛する紳士諸君!今宵はポル・ロジェで乾杯しようではないか!

クレジット :
撮影/小寺浩之(ノーチラス/P248 文・斉藤研一 スタイリスト/石川英治(tablerock studio) レイアウト/ティオ 構成/堀 けいこ