靴はフロイトの説を借りるまでもなく、女性を象徴する存在といわれる。だからこそ、本能的に選びとる靴は、その女性を映しだすのではないだろうか。

SERGIO ROSSI(セルジオ ロッシ)の靴は、たとえ女性としてまだ未成熟でも、それを身につけるだけで、その先に何か光り輝く自分の未来があるように思わせてくれる存在であった。

そう、思慮深く、穏やかな知性を放ちながら、実は官能的にして繊細な美しさをもつ、理想的な大人の女性像を夢見させてくれるのだ。

「セルジオ ロッシ」の靴との出合い

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イタリアのサンマウロパスコリに構えるセルジオ ロッシのファクトリー @SERGIO ROSSI

初めてミラノコレクションに行き始めたころ、夢中になったブランドがふたつあった。そのひとつが、セルジオ ロッシだ。私が好きだったのは、モンテナポレーネにある間口の狭い奥行きのある小さい方のブティックで、大きいブティックで見逃していたシューズが、至近距離でどんどん目に飛び込んでくる。

ディスプレイも誘惑的で、一度手にとってしまうと、まるで魔法をかけられたように、どの靴も好きで好きでたまらなくなり、結局買ってしまうのだった。そのとき感じる幸福感は、一歩大人に近づけたような達成感にも似ていた。

当時はミラノコレクションの人気が高く、世界のファッションの中心地として爆進中であった。トム・フォードを擁して、ルネッサンス期を迎えた新生GUCCI(グッチ)や、イタリアングラマラスで注目されたDOLCE&GABBANA(ドルチェ&ガッバーナ)をはじめ、VERSACE(ヴェルサーチ)など人気ブランドの多くは、セルジオ ロッシと協業していた。

アイコニックなデザインのスクエアトウは斬新で、女らしさに新たな解釈が施された。ビジューをカラフルに使ったドラマティックなイブニングシューズや、「Opanca」と呼ばれ、ほかのデザイナーにも強い影響を与えたレースアップシューズは、見るだけで華麗なライフスタイルまで想像させ、うっとりとさせた。

7足のシューズが物語る、「セルジオ ロッシ」に魅了され続けた、あのころ

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クローゼットのなかで眠っていた7足のシューズたち

セルジオ・ロッシ氏の訃報を聞いて、セルジオ ロッシの靴に夢中になっていた、あのころのミラノの街が突然脳裏に蘇ってきた。

あまりにも好きで、どうしても断捨離できなかった黒のエナメルブーツを除いてはもう整理してしまい、何も残っていないという悔しさを噛みしめながら、自宅の靴棚を見てみたら、なんと7足も発見し、呆気にとられてしまった。

うち2点は、一度も履いていない。買うだけ買って、履く機会を逃し、そのうちに忘れてしまったという最悪のパターンだ。

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美しい赤色とビジューに心をつかまれた、愛すべき逸品

もちろん日常に履く前提で購入したのだから、アイコンのスティレットヒールは一足だけ。後はミュールやローヒールというラインナップだ。

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改めて見惚れる「セルジオ ロッシの赤」の美しさ

それにしても、赤の色の艶っぽいこと。

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履くだけでエレガントな女性に仕立ててくれる、計算された「セルジオ ロッシ」のシューズの美しさ

ベルベットのショートブーツのシルエットが美しいこと。

まるで履くタイミングが熟し、まさに「今こそ」と教えられたようなタイミングでの再会であった。

伝説のシューズデザイナーであるセルジオ・ロッシ。享年84歳。熟練の靴職人を父にもち、靴の生産で有名なイタリア東北に位置するサンマウロパスコリに誕生。1951年に自分のブランドを立ち上げ、レッドカーペットを彩る多くのセレブリティーに愛された。

女性に夢と希望と美しく機能的な足元を捧げてくれたセルジオ・ロッシに、心からの感謝を込めて。

この記事の執筆者
1987年、ザ・ウールマーク・カンパニー婦人服ディレクターとしてジャパンウールコレクションをプロデュース。退任後パリ、ミラノ、ロンドン、マドリードなど世界のコレクションを取材開始。朝日、毎日、日経など新聞でコレクション情報を掲載。女性誌にもソーシャライツやブランドストーリーなどを連載。毎シーズン2回開催するコレクショントレンドセミナーは、日本最大の来場者数を誇る。好きなもの:ワンピースドレス、タイトスカート、映画『男と女』のアナーク・エーメ、映画『ワイルドバンチ』のウォーレン・オーツ、村上春樹、須賀敦子、山田詠美、トム・フォード、沢木耕太郎の映画評論、アーネスト・ヘミングウエイの『エデンの園』、フランソワーズ ・サガン、キース・リチャーズ、ミウッチャ・プラダ、シャンパン、ワインは“ジンファンデル”、福島屋、自転車、海沿いの家、犬、パリ、ロンドンのウェイトローズ(スーパー)
WRITING :
藤岡篤子
EDIT :
石原あや乃