名品は、いつの時代にも変わらない「存在感」がある。言うなれば、名品に備わるエピソードや名品を愛用する人の物語が、時を超えて語り継がれ圧倒的な「存在感」となる。ここでは「人生を変えた」という観点から、ファッションプロの生き方や考え方の転機となった逸品を取材したので紹介する。
ファッションプロの「人生を変えた」名品リスト
- 足にピッタリとなじむ、自らデザインしたフルブローグの靴―靴職人・福田洋平さん
- 印象に残り続けた時計『ヒストリーク・アメリカン 1921』―ホワイトマウンテニアリングデザイナー・相澤陽介さん
- ロンドン・ポートベローで見つけた古着のシャツ―シップス メンズクリエイティブアドバイザー・鈴木晴生さん
- 400パーツの端切れを縫い合わせたパッチワークのショーツ―アンリアレイジデザイナー・森永邦彦さん
- 大人にしかできないドレスダウンのための、ダンスシューズ―ユナイテッドアローズ クリエイティブアドバイザー・鴨志田康人さん
- リゾートで必ず携えるカメラが、10年使い続ける『M9』―ヨシオ クボデザイナー・久保嘉男さん
ビスポーク靴づくりを決断した、思い出のデザインです― 靴職人・福田洋平さん
2002年6月、トレシャム・インスティテュートという靴の専門学校の1年生を終了後、ノーサンプトンのジョンロブで運よくアルバイトができることになりました。靴にクリームを塗り、磨き、ひもを通す仕事でした。
しばらく働くと、当時、クリエイティブディレクターを務めていたアンドレス・ヘルナンデスさんが、「靴をつくってみなさい」と言ってくれたんです。自分だけの靴を足にピッタリとなじむ木型でつくりたかったので、パターン・メイキングから教えてもらいました。パターン・メイキングは、全体的なプロポーションの大切さを学び、製作過程では、どんな材料が必要不可欠なのか、さらに革の見極め方までも習いました。
デザインは好きなアデレードに決めました。パターンを引き、革の裁断までは自分で行い、製造はジョンロブの工場にお任せしました。そして、完成したのがこの靴です。ちょうど真夏の出来事。本当にうれしかったですね。
ジョンロブで学んだことのひとつは、既製靴特有の左右非対称のパターンです。今、手がけている既製靴の展開に大いに役立っていますし、そもそも、アルバイトができなければ、ビスポーク靴の道を選んでいなかったと思います。
この靴を見れば見るほど、当時の懐かしい記憶が浮かびます。思い出が強すぎて、実は、まったくはいていません。はくのは、まだまだ先になりそうです。(談)
イタリア人がつけたヴィンテージ時計がずっと印象に残っていました―ホワイトマウンテニアリングデザイナー・相澤陽介さん
ヨーロッパやアメリカなどの海外出張で仕事が順調に進んだとき、いいモノやいいコトに出合う機会が多いですね。それは買い物にも表れ、このヴァシュロン・コンスタンタンの『ヒストリーク・アメリカン 1921』を手に入れました。
仕事でイタリアに初めて行ったのが約10年前。その頃お世話になっていた方が、ヴィンテージの『ヒストリーク・アメリカン』をつけていたんです。年の頃は60歳。お洒落な人で、乗っていた古いフェラーリに合わせて時計を選んでいました。僕は30代前半、時計を見て「大人の風格」を感じ、印象に残っていました。
3年前の夏、憧れていた『ヒストリーク・アメリカン 1921』の復刻版を遂にミラノで購入しました。ショートパンツの夏の軽快な着こなしで、品よく主張できるアクセサリーとして、時計を愛用しています。時計を手に入れたことで、クルマも少し前の1990年代の空冷ポルシェに替えました。本来は、自分のブランド、ホワイトマウンテニアリングが進化するように、「新しい形」が好きですが、この時計は新しいクルマとはあまりなじまないんです。
アリゲーターのベルトがダークブラウンのため、服の色選びも変わりました。これまでの黒一辺倒から、ネイビーのシャツやベージュのショーツなど、サングラスのフレームの色も替えました。
時計は夏以外にはつけないため、冬の時期、金庫に仕舞っています。(談)
フォーマルな香りを残しつつ、あえてカジュアルな雰囲気で着ています―シップス メンズクリエイティブアドバイザー・鈴木晴生さん
ファッションの仕事や人生を通して、自分のスタイルの変化をお話しします。
まずスタイルは、1960年代からの映画の影響が絶大でした。ファッションモデルとは違う、スーパースターの俳優たちが演じる、完成度の高いストーリーから引き出された強烈なイメージに感化されました。服の形やディテールも大切ですが、一流の俳優たちの着ている服に魅せられ、その世界に自分が引き込まれていくような感覚。それが、スタイルを磨き上げるスタートになりました。
ヴァンに就職し、その後テイジンメンズショップに転職。1976年にエーボンハウスに移りました。この間は、アイビースタイルを徹底し、それを土台にしてヨーロッパ(コンチネンタル)の新しいエッセンス、エレガントな世界をバランスよく吸収していきました。仕事でパリ、ロンドン、ミラノなど、ヨーロッパを飛び回っていた頃でもあり、現地に赴くと必ずアンティーク市を見て回りました。
1980年の夏だったと思います。ロンドンのポートベロー・マーケットで探し出したのが、このシャツです。ちょうどいい厚みのコットン生地で、スラブ織のような質感が気に入りました。出合ったときにはすでに古着でしたが、あれから約40年経った今でも、クリーニングを繰り返して着用しています。
売っていそうで売っていないアイテムに出合えるのは、いつの時代も、服選びの何よりの楽しみです。(談)
服づくりの原動力。パリコレの初参加。忘れてはならない記憶が詰まっています―アンリアレイジデザイナー・森永邦彦さん
学生の頃、最初につくった服が、細かい生地をつなぎ合わせたパッチワークのものです。パッチワークをはじめた理由は、こんな考えからでした。
テキスタイル店でバイトしていたとき、裁断して売り物にならない端切れを全部もらっていました。「通常、捨てられてしまう大小の生地を、多くの時間をかけてつなぎ合わせれば価値あるものに変えられる」と考えたんです。僕が手がけるアンリアレイジは、建築家ミース・ファン・デル・ローエの「神は細部に宿る」が創作の信念。見過ごされ、忘れられてしまうものに価値を見出す、という考え方で、あたりまえになった存在を揺るがしたい、という思いです。従来のパッチワークはほのぼのとした雰囲気ですが、3cmぐらいの大きさで、すべての生地の形を変える「攻撃的なパッチワーク」にすることで、イメージを裏切りました。
このパッチワークによるショーツには、2014年のパリ・コレクションに初めて参加したときの思い出がそのままに残っています。意を決して勝負に出たパリコレの経験、そのときの熱や感情をこれから先も持っておくべきと、コレクションで発表した春夏のテキスタイルの端切れを使い、自分用につくりました。
12種類の黒い生地を、すべて形の違う400パーツに裁断し仕立てたショーツ。夏にはくたびに、初めて服をつくったときの原動力や、忘れてはならない大切なものがよみがえります。(談)
アステアの「抜けた感じ」が、今になって自然にできる気がします―ユナイテッドアローズ クリエイティブアドバイザー・鴨志田康人さん
このダンスシューズは、福岡のデザインホテル内にあるショップで見つけ、3年ぐらい前から、トラウザーズに合わせる靴として愛用し始めました。
僕らの世代にとって、ダンスシューズは、やはりセルジュ・ゲンズブールやフレッド・アステアが格好よくはいていたイメージですね。ゲンズブールなら、ストライプスーツにレペットを合わせる。ただ、20~30代の頃は、「あの格好は、分不相応でできないな」と……。当時、白の靴といえば、アメリカントラッドのホワイトバックスをはいていましたが、最近になって、いよいよダンスシューズを自然体ではけるような気がしてきました。アステアのスタイルのように抜けた感覚は、洒脱で、余裕のある大人の遊びなんですね。
自分らしさを表現するために、タイやシャツの組み合わせで見せるVゾーンや、足元に、どこか力が抜けた雰囲気をつくります。まさにダンスシューズは、リラックスした自分のスタイルを象徴するアイテムになりました。スーツにダンスシューズを合わせるドレスダウンは、やはり大人のためのもの。もう、スニーカーではないんです。
今では、夏のスタイリングでほどよく主張できるダンスシューズは、着こなしに深みを加えています。上質なグローブをはめているように、薄くしなやかなカーフレザーが足をぴったりと包み込む感触は、抜群ですね。(談)
「ちょっと違うベクトルから見てるよ」という狙いが、ライカには伝わるんです―ヨシオ クボデザイナー・久保嘉男さん
デジタルとアナログの、それぞれの特性が一体化したカメラとは、どのように撮れるのか、と興味があったんです。
ファッションカルチャーから捉えるライカの話は、ファッションデザインの製作現場でよく出ていました。チェ・ゲバラが愛用していたこと、戦場の撮影で命とりになるシャッター音は、ほとんど聞こえないほど小さいことなど、ストーリーもたくさんそろったライカは、どんどん魅力的なカメラになっていきました。そして、「デジタルになったライカ」の2世代目に当たる『M9』を10年前に買いました。
以来、旅に出るときは必ず『M9』を携えています。とりわけ、夏のリゾートが大好きで、ニースでも、ハワイでも、ゴールドコーストでも、ほんの一瞬、太陽光がひと筋差したシーンを切り取る撮影に、このカメラは見事に応えてくれるのです。写真は、画角が1㎝変わるだけでまったく異なる絵になります。「僕はちょっと違うベクトルからモノを見てるよ」という狙いが『M9』のライカには伝わっている感じがします。優しい画質が堪らないですね。10年間使ってきて、何度も落としても壊れない。一度もオーバーホールしたことはありません。繊細なコンピュータを搭載したデジカメなのに、めちゃくちゃ頑丈です。
75cmで焦点距離の合う標準レンズ1本で、撮影は通しています。自分の体の一部になった距離感が最高です。(談)
- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
- BY :
- MEN'S Precious2020年夏号より
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- PHOTO :
- 篠原宏明(取材)
- WRITING :
- 矢部克已(UFFIZI MEDIA)