ジャンニ・アニエリ(※1)、ルカ・ディ・モンテゼーモロ(※2)、ステファノ・リッチ(※3)、ウンベルト・アンジェロー二(※4)。ファッション好きなら耳にしたことのある蒼々たるイタリアン・ファッション・アイコンたちだ。彼らが日本のメンズファションに与えた絶大な影響は多岐にわたる。ここでは'90年代初頭から巻き起こった日本における「クラシコイタリア」の真実を、改めて解き明かしたい。

 日本がバブル経済の真只中だった1980年代終わりから’90年代初頭、メンズファッションの世界ではインポートブランドブームが巻き起こり、イタリアのブランド、ジョルジオ・アルマーニ、ジャンニ・ヴェルサーチ、ジャンフランコ・フェレなどのデザイナーズ・ブランドが隆盛を極めていた。ソフトスーツは、いまや死語となって久しい、ヤングエグゼクティブの象徴として、人気を誇っていた・・・。

改めて見直すクラシコイタリア

 ’94年、高級なメンズファッションに特化した雑誌『メンズエクストラ(現・Men's Ex)』(世界文化社)が創刊される。2号目の至高のスーツ論というテーマで、日本ではじめてクラシコイタリアという言葉が登場した。ファッション業界では当時無名だった書き手、落合正勝(※5)氏が執筆した。

 本来、クラシコイタリアとは、イタリア各地の優れたメーカーを集めて、’86年に設立された協会名のことを指す。協会の初代会長を務めたのは、フィレンツェでタイのブランドを率いるステファノ・リッチ氏。

 メイド・イン・イタリーを打ち出し、規模の小さいメーカーも含めて、巧みなものづくりにこだわりるつくり手たち16社が加盟した。当時は、デザイナーズ・ブランドが日本の上質なメンズファッションのマーケットを占めていたこともあり、クラシコイタリアという言葉はあっても、その実体はまだまだ不明であった。

 ところが、『メンズエクストラ』誌で落合氏が記すクラシコイタリアに関する描写が、メンズファッション業界にボディブローのように効きはじめていった。

 たとえば、「ミシンを一切使わない、フルハンドの縫製」「ジャケットを羽織ると、まるで生き物のように体に吸い付く着用感が具わる」「上質な靴は、履くときに踵からシュポッと一気に空気が抜ける」……。

 丹念な事実の書き込みと感覚的な筆致が繰り返され、スーツづくりにおける「フルハンドの縫製」や「体に吸い付くような着用感」といった表現は、クラシコイタリアを象徴する記号として定着したのだ。

 そのような落合語録が、未知なるクラシコイタリアの世界をひとつひとつ詳かにしていくと、元来、こだわりのものづくりに強い関心のある日本のメンズファッションの愛好家たちは、キートンやサルトリアアットリーニ(当時の名)、あるいはルイジボレッリなどのスーツやシャツを手に入れはじめていった。’90年代半ば、いよいよクラシコイタリアが、次なるメンズファッションのトレンドになりはじめたのだ。

 クラシコイタリアがメンズファッション界に浸透した背景には、落合語録のほかに、まずメイド・イン・イタリーによる手仕事を多用した、巧みなものづくりが正しく認められたことがある。

 さらに、クラシコイタリア協会に加盟したいくつかのブランドが発信した「洒落たイタリア人」のイメージが、クラシコイタリアという未熟な組織を高いステイタスに導いていった。

 その「洒落たイタリア人」のひとりが、ジャンニ・アニエリ氏。かつて『ル ウォモ ヴォーグ』の表紙を飾ったこともある、財界人でありながら洒脱なスタイルを披露する元フィアット名誉会長だった。

 次に、ルカ・ディ・モンテゼーモロ氏。’90年にFIFAワールドカップ・イタリア大会事務局長に就任した、アメリカでの留学経験もある国際的な感覚を備える洒落者。ふたりは実にクラシコイタリアだった。堂に入ったクラシックなスーツの着こなしと優雅なライフスタイルや、重責を担う仕事をいくつもこなす男たちが、クラシコイタリア協会創設時に掲げた「手仕事によるイタリア製を世界に拡大させる」という理念と結びつかないわけがない。なぜなら、彼らは自国の巧みでクラシックなものづくりを信奉し、同時に愛用していた張本人だからである。

 振り返れば、デザイナーズ・ブランドが全盛の頃、ブランドのイメージをつくったのは、トップモデルやハリウッドスターだった。デザイナーの新しい視点やクリエーションを伝えるには、彼らの肉感的なスタイルがふさわしかった。

 それに対してクラシコイタリアという組織が求めたイメージリーダーは、伝統に敬意を表し、仕事にプライドを持ち、芸術・文化を愛し、知的でパワーのある人物である。クラシコイタリアの対象となる消費者は、知性にあふれ国際的な舞台で活躍する、誠実なクラシックスタイルで装う男たちだった。

 前出のアニエリやモンテゼーモロが発信したイメージが、トップモデルやハリウッドスターを使わなくても、手工芸的な伝統の技術を重ねた本来のイタリアの服の魅力、本物を伝えるアイコンとして、クラシックスタイルを必要とし、そして愛している男たちにフィットしたのだ。

 '97年から数年にわたって、クラシコイタリア協会は、雑誌仕立ての小冊子をつくった。協会に加盟するブランドの歴史や新作のアイテム、当時のトピックなどを編集した『CLASSICO』(※6)という宣伝媒体だ。その創刊号の表紙に登場した人物は、詩人のガブリエレ・ダヌンツィオ。

 19世紀末から20世紀初頭に活躍したイタリアきっての粋人で服飾の目利きである。2号目が元フェラーリ会長のエンツォ・フェラーリ氏。天才的なエンジニアでF1の頂点に君臨した男。

 以後、世界的な指揮者のリカルド・ムーティ氏、ニューヨークのマンハッタンを安全な街に変貌させた、イタリア系のルドルフ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長らが続いた。彼らの横顔が表紙を飾ったことで、クラシコイタリアの知的で文化的な世界をもイメージづけた。

歴代会長の手腕が成功へと導いた

 '95年、クラシコイタリア協会の3代目会長に就任したのが、当時ブリオーニのCEOを務めていたウンベルト・アンジェローニ氏。歴代会長のなかでも、飛躍的にクラシコイタリアを世界に広めた強者である。ローマンスタイルを謳うブリオーニは、映画『007ゴールデンアイ』でジェームズ・ボンド役に扮する俳優、ピアース・ブロスナンへの衣装提供に成功する。

 前作までイギリス・サヴィル・ロウのスーツを着ていた主役の諜報部員が、イタリアのスーツに鞍替えしたことが、大事件のように伝播された。すでにイタリアを代表するメンズクラシックの雄として知られていたブリオーニだが、同ブランドのスーツが『007』に登場したことで、クラシコイタリア全体のイメージを間違いなく格上げしたのだった。

 2005年には、ヘルノのCEOであるクラウディオ・マレンツィ(※7)氏が、5代目会長に就任。会長に就いてすぐに着手したのは、クラシコイタリアをオープンなスタイルで提案することだった。ピッティ会場のセンターパビリオンに設えたクラシコイタリアの会場は、以前、協会加盟ブランド以外と、一線を画するように壁で仕切られていた。その壁を取り除き、それまで近寄りがたかったクラシコイタリアへさらなる集客を狙い、軽やかなイメージをも演出したのである。

 こうした流れから、クラシコイタリアが日本のメンズファッションに与えた影響は大きい。イギリスの格式張ったスタイルとは異なり、フランスの控えめなクラシックとも違う、イタリアのクラシックなスタイルには、日本人が求めていた、柔軟さや色っぽさも備わっていた。イタリアには、手仕事の文化が根付き、各地の特性に合ったものづくりで豊かなアイテムを生み、今もその人気が続いている。

クラシコイタリアの登場で、はじめて本当の意味でイタリアのクラシックスタイルに触れられたのである。クラシコイタリア30年の歴史を合わせて読んでいただき、ファッションの流れを知っていただきたい。

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※1 ジャンニ・アニエリ/1921-2003年。フィアット創業者一族に生まれ、フィアット名誉会長に。女優アニタ・エクバーグやジャクリーン・ケネディらと浮名を流した当代きってのスーパーダンディ。
※2 ​ルカ・ディ・モンテゼーモロ/1947年ボローニャ生まれ。ローマ大学卒業後、アメリカ・コロンビア大学に留学。イタリア産業総連盟会長などを務める。知的さとエレガンスが備わる高貴な色男である。
※3 ​ステファノ・リッチ/1949年フィレンツェ生まれ。’72年にネクタイ専業メーカーのステファノ リッチを創業。クラシコイタリア協会の会長を3期務めた。まさにクラシコの首ド領ンだ。
※4 ​ウンベルト・アンジェローニ/1962年ローマ生まれ。ブリオーニのCEO兼共同オーナーを経て、2008年カルーゾのCEOに就任。ファッションだけでなく、ウイスキーへの造詣も深い。※5 落合正勝/1945-2006年。服飾評論家。’97年に雑誌『Men’sEx』一連のクラシコイタリアに関する記事により、フィレンツェ市長よりベスト・ペン・プライズを受賞する。
※6 クラシコイタリア協会発刊『CLASSICO』/写真の第2号には、キートンや ブリオーニがオークションでウィンザー公のフォーマルウエアを競り落とした記事を掲載。小冊子ながら質のいい充実した内容だった。
※7 ​クラウディオ・マレンツィ/1962年イタリア北部レーザ生まれ。2007年に父親からヘルノを受け継ぎCEOに就任。’05年から現在まで、クラシコイタリア協会会長を最長で務める功労者。
この記事の執筆者
TEXT :
矢部克已 エグゼクティブファッションエディター
BY :
MEN'S Precious2016年冬号 今よみがえる!「クラシコイタリア」の伝説より
ヴィットリオ矢部のニックネームを持つ本誌エグゼクティブファッションエディター矢部克已。ファション、グルメ、アートなどすべてに精通する当代きってのイタリア快楽主義者。イタリア在住の経験を生かし、現地の工房やテーラー取材をはじめ、大学でイタリアファッションの講師を勤めるなど活躍は多岐にわたる。 “ヴィスコンティ”のペンを愛用。Twitterでは毎年開催されるピッティ・ウォモのレポートを配信。合わせてチェックされたし!
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