酒はその土地に根付いているという。アラン諸島のひとつ、イニシマン島で飲んだギネスの味は、いまでも忘れることができない。

 酒ばかりでなく、食べ物も衣類も住宅も、人の生活に関わるすべて、さらに言えば人々の気質や性格もすべてがその土地の風土に結びついている。

 ギネスはアイルランドの精神を映し出した、いわば象徴だと言われる。私もそう思っていた。

 ところが、ダブリンにあるギネスの総本山、ギネスストアハウスに行き、ギネスの文字が大きく胸に書かれたTシャツにジーンズの若者が、インカムをつけて「Welcome to Guinness!」と快活な笑みを浮かべて言った時、裏切られたような気がした。

ギネス生誕の地、ダブリン市内にあるギネスストアハウス。
ギネス生誕の地、ダブリン市内にあるギネスストアハウス。

 もちろん、最上階のレストランで飲んだ、泡がクリーミーでキャラメルのような香ばしさがあり、後からホップの芳醇な苦さが表れる、できたての新鮮なギネスとギネスシチューの美味しさは幸福になるのに十分だった。しかし、それは真っ当に美味しく、何かが欠落していた。私が求めるギネスはこれではないと心の何処かが語りかけていた。

 言うまでもないことだが、ヨーロッパはアジアとは気候がまるで違う。それは体感してみないとわからない。アイルランドでは生まれてから一度も汗が頭の中を流れるといった経験や、夏の朝、汗をかいてその気分の悪さで目がさめるといった経験を、生涯知らずに終える人はたくさんいる。そうした土地ではビールさえ、火照った身体を冷やすためにきりりと冷えたラガータイプのビールを喉に流し込むより、もっと濃い味わいを少しずつ慈しみながら飲むエールタイプの方が好まれる。

2. アラン諸島の戯曲と小説で知られる劇作家ジョン・M・シングが思索に耽ったとされる「シングの椅子」。崖上に石を積み上げた、文字通り架空の思索のための椅子である。
2. アラン諸島の戯曲と小説で知られる劇作家ジョン・M・シングが思索に耽ったとされる「シングの椅子」。崖上に石を積み上げた、文字通り架空の思索のための椅子である。

 アラン諸島の中で最も小さいイニシマン島にはパブは1軒しかない。

 人々は慣習として、1パイントのビールを2杯ずつ頼む。そのままだと冷たすぎるというのもあるし、パブではそれぞれが酒を頼むのではなく、交互に酒をおごり合う「パブ・クロール」と呼ばれる習慣とも関係しているのだろう。

3. この取材中は何度もギネスを飲んだ。いったい、何杯飲んだかわからないが、場所によって味わいは異なっていた。
3. この取材中は何度もギネスを飲んだ。いったい、何杯飲んだかわからないが、場所によって味わいは異なっていた。

 夕方のパブにたむろしているのは引退したと思われる老人ばかりで、男たちが注文した2杯のギネスがどのテーブルの上にもずらりと並んでいる。夏といえどもイニシマン島は肌寒く、暖炉には火が入っていた。ゆらゆらと燃える炎を見ていると、どこからともなく、男たちが土地の民謡を歌い始めた。それに合わせてゆるやかな手拍子も始まる。ケルト語のその歌詞はわからない。だが、男たちの低く、地の底から湧いてくるような歌声は、心に触れる、なにか熱いものがある。

 彼らはここで生まれて、毎日こうしてギネスを飲み、人生を終える。人の一生とはそういうものなのだろう。彼らの歌声を聴きながら飲む、わずかに温くなったギネスには、アイルランドの精神が溶けこんでいるように感じた。

 やがて酔いつぶれた老人の家に、パブの店主が電話をする。家族が迎えに来て、店主と二言、三言言葉をかわし、老人を担いで帰って行った。これは毎日のようにここで繰り返される風景なのだろう。 

アラン諸島は聞きしに勝る荒蕪の土地で、荒涼とした大地には見渡す限り草木はない。
アラン諸島は聞きしに勝る荒蕪の土地で、荒涼とした大地には見渡す限り草木はない。

 イニシマン島にはローマ教皇にアランセーターを献上した伝説のニッター(編み手)モーリンさんが住んでいる。彼女に取材することができるかどうかで、この取材の可否が決まる。ところが、彼女には電話連絡しか方法がなく、高齢のため日によって体調が変わると聞いた。彼女に取材したいなら、一番いい方法はこの島にある『イニシマン・ニッティング』社のターラック・デ・ブラカン氏に頼むことだという。この島に来たのは『イニシマン・ニッティング』の取材が目的だったが、モーリンさんの取材も同じように重要だった。突撃取材は相手に失礼だし、私は事前のアポイントなしで取材をすることは通常ない。当日までモーリンさんの確実な取材のアポイントが取れないことが何より心配だった。

5. ブラカン氏の家でランチをごちそうになる。スモークサーモンに庭からブラカン氏自ら採ってきてくれたハーブのサラダ。
5. ブラカン氏の家でランチをごちそうになる。スモークサーモンに庭からブラカン氏自ら採ってきてくれたハーブのサラダ。
アイルランドの伝統的なパン、ベーキングソーダで作るソーダブレッドはブラカン氏の奥さんのホームメイド。
アイルランドの伝統的なパン、ベーキングソーダで作るソーダブレッドはブラカン氏の奥さんのホームメイド。

 東京からはるばるアラン諸島に来て、3島を回り、その前はダブリン、ゴルウェイでアランセーターを扱っていたストアを取材し、カスルバーでは『国立カントリーライフ博物館』で200点に及ぶアランセーターのアーカイブの取材も行った。ここまでの私たちの努力も、伝説のニッター、モーリンさんの取材なくしては画竜点睛を欠いてしまう。

 モーリンさんはこのパブの裏に住んでいた。ブラカン氏から、彼女が喜んで取材に応じてくれるという、その知らせを聞いたのがこのパブだった。東京を発って、アランセーターの取材を始めて以来、初めて安堵感に包まれた。このパブで飲んだ、染み渡るようなギネスの味を忘れることができずにいる。

 『イニシマン・ニッティング』のブラカン氏はインタビューの間は、島の過酷な状況と地場産業を真剣な表情で語っていたが、その後、島では他にランチを食べるところはないからと、親切にも自宅に招いてくれた。その時の彼の寛いだ表情から、この島の暮らしを如何に愛しているかが見て取れた。

 インタビューも興味深いが、その前後に本人の人間性が表れる瞬間がある。豊かと言われる日本から来て、はたして人間にとって豊かな暮らしとは何か、旅ではよく考えさせられる。

プロペラ機の飛行は自分が飛行している感覚をダイレクトに感じる。島の自然の素朴な美しさも忘れがたい。
プロペラ機の飛行は自分が飛行している感覚をダイレクトに感じる。島の自然の素朴な美しさも忘れがたい。

 島から本土に帰る朝は、行きの悪天候が嘘のように晴れ渡り、無事プロペラ機でゴルウェイの空港へ帰ることができた。空港へ着き、レンタカーを心配しながら、受付のカウンターへ行った。親切なあの空港の係官の姿はそこになく、別の係官にレンタカーのことを告げると、「駐車場に車は停めてあるから心配するな」と笑いながら、無造作に引き出しに入れてあった鍵を返してくれた。パスポートで身元を確認するわけでもない。車は果たして無事にそこにあった。忙しい時間を縫って、フェリーの船着場から空港まで誰かがレンタカーを運んでくれたのだ。

 飛行機で後ろの席に座っていた男性は、生後2ヶ月の孫を大事そうに抱いていた。
 飛行機で後ろの席に座っていた男性は、生後2ヶ月の孫を大事そうに抱いていた。

 取材では人の親切に触れることが多い。その度に、異なる言語、異なる風土、異なる人生であっても、最後に人の心にのこるのは、人を思いやる気持ちだと思う。今日も異なる場所、異なる人々に会うためにでかける。旅ではいつも発見があるからだ。

アラン諸島最大の観光名所、断崖絶壁のドン・エンガス。
アラン諸島最大の観光名所、断崖絶壁のドン・エンガス。

【関連記事:アランセーターの聖地、アラン諸島にはアイルランドの良心があった(前編)】 

この記事の執筆者
ジャーナリスト。イギリスとイタリアを中心にヨーロッパの魅力をクラフツマンシップと文化の視点から紹介。メンズスタイルに関する記事を雑誌中心とする媒体に執筆している。著作『サヴィル・ロウ』『ビスポーク・スタイル』『チャーチル150の名言』等。
公式サイト:Gentlemen's Style