20世紀最高の建築家。建築の神様。人は今も、憧れと尊敬を込めて彼をそんな風に呼ぶ。ル・コルビュジエ。建築史に刻まれたその名は今も輝き、その光は建築の枠を超えて、デザインやアートの世界へも及び続ける……。その光の源は、光が照らした先に見えたものとは?彼の人生を辿りながら考える。

世界が知るル・コルビュジエの名は、実はペンネーム。本名はシャルル=エドゥワール・ジャンヌレ=グリで、1887年、スイスの片田舎の小さな町に住む両親のもとに生まれた。幼い頃から絵が好きだった少年はやがて美術学校へ進み、ここで建築に出会う。19歳の時には、師のはからいで初めての住宅を完成させているから、若いうちから何かしらの才能のきらめきがあったのだろう。くわえて青年には煮えたぎるような情熱もあった。数年にわたり精力的にヨーロッパ中を旅するなどして建築への造詣を深め、鍛錬を積むと、1912年、25歳で故郷の町に自らの設計事務所をもつ。

20世紀を彩った、ル・コルビュジエという男の軌跡

ル・コルビュジエ©Getty Images
ル・コルビュジエ/主にフランスで活躍し、モダニズムの建築家としての地位を確立した建築家。本名はシャルル=エドゥアール・ジャヌレ=グリ ©Getty Images

以来青年は、両親の住宅を設計したり、量産できる新しい住宅のありようを研究したりと研鑽を重ね、1920年、ついに「ル・コルビュジエ」となる。事務所をパリへ移し、知人のアーティストたちと創刊した雑誌で、このペンネームを使うのだ。さらに1930年には、フランス人のイヴォンヌ・ガリと結婚してフランス国籍を取得。建築に集中するために子どもを持たないと決めての結婚だったというが、はたしてその翌年に完成した「サヴォア邸」は、建築家ル・コルビュジエの存在を世界に知らせる快作だった。

真っ白の四角い箱を細い柱で持ち上げたような外観のこちらの「サヴォア邸」、20世紀最高の住宅建築のひとつとされる。とはいえ、この作品、建築にあまり明るくない者の視点で見ると、「確かにすっきりして格好いいけれど、実際何がそんなにすごいのか?」というのが正直なところではないだろうか。実は、まさにその疑問そのものこそが、この住宅の最大の功績だ。私たちが今やモダンな住宅の常識と思っていることのいくつかを、コルビュジエはこの作品を通じて定義した。

当時のヨーロッパの住宅といえば石造りが主流。壁が構造を兼ねるため、大きな窓をあけるのは難しいし、室内は壁によって細切れになるから、プランニングもある程度規定されてしまう。それが常識だった社会にいきなりこの「サヴォア邸」だ。住空間は細い柱によって持ち上げられて宙に浮くようだし、室内は壁に区切られることのない自由なつくり。さらに横長の大きな窓からはたっぷりの自然光が入る。コルビュジエは、早くから注目・研究してきた鉄筋コンクリート構造を採用してこののびやかな空間を実現した。1926年から提唱してきた「近代建築の5原則」が、この住宅で花開く。

モダニズムの背後には建築への情熱がある

かくして建築界の最前線に躍り出たコルビュジエは、第二次世界大戦を生き延び、60歳の足音が聞こえる頃から創作の繚乱期へと突入する。300以上の住戸とホテルやスーパー、幼稚園などが複合した巨大な集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」(マルセイユ、1952年完成)、首相から依頼を受けて乗り出したインド・パンジャブ州の新州都チャンディガールの都市計画(1950年)、基本設計のみ手がけた後に、前川國男、坂倉準三、吉阪隆正という日本人の弟子たちが完成させた、日本唯一の作品「国立西洋美術館」(1959年完成)……。世界各地に個性あふれる作品が産み落とされたが、わけてもコルビュジエ68歳、晩年にさしかかる頃に完成した「ロンシャンの礼拝堂」(1955年完成)は強烈だ。

曲線を多用した、見る方向によって形が変わるぽってりとした建物。分厚い白壁にはランダムに大小の窓があき、漆喰の粗い肌が肉感的な印象だ。自らが唱えた「近代建築の5原則」をかなぐり捨てるような、それまでの端正な作品群を蹴散らすような……。どこか官能的ですらあるこの作品は、当時、大きな驚きをもって迎えられたという。

端正で軽やかな「サヴォア邸」と、どこか情念的でまるで生き物みたいな「ロンシャンの礼拝堂」。表現形態のギャップにはただ驚くばかりだが、彼が人生のどの時代にも執念深く建築に身を捧げたこと、それぞれの作品がその喜びの発露であることは、きちんと記しておきたい。

「サヴォア邸」の制御の効いた美しさは住宅の新しい形を求めたコルビュジエの、燃えさかる情熱の賜物だし、「ロンシャンの礼拝堂」の生き物の胎内に取り込まれるような迫力は、熟練の腕と熟慮あってのこと。全く異なるふたつの面は、実はどちらも、どの作品にも見え隠れする。それはとても人間らしくて、それを知って見るル・コルビュジエのモダニズムはとても楽しい。

その後の1965年、コルビュジエは南仏での海水浴中に心臓発作を起こし、77歳でこの世を去る。生涯で手がけたプロジェクトは、全く頼まれもしないのに計画した案やコンペに敗れた案も含めて300以上。完成までこぎつけたのはわずか2割強の80作足らずだという。建築の神は、誰よりも人間らしい男だったのかもしれない。


Le Corbusier/ル・コルビュジエ
建築家
1887年、スイスのラ・ショー=ド=フォンにて、時計の文字盤職人の父とピアノ教師の母のもと生まれる。本名シャルル=エドゥワール・ジャヌレ=グリ。時計職人を目ざしていたが、視力が悪く、美術学校在学中に住宅の設計に関わったことから、建築の道へ。1922年に従兄弟のピエール・ジャンヌレとともに事務所を設立。近代建築の5原則を反映させた代表作「サヴォア邸」などで、モダニズムの建築家としての地位を確立した。第二次世界大戦後は集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」の建設やインド・チャンディガールの都市計画、そして後期の代表作「ロンシャンの礼拝堂」等を手がける。1965年に南仏で海水浴中に心臓発作で死去。享年77歳。
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WRITING :
阿久根佐和子
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