伝統漁法「鵜飼」を生業とする、鵜匠(うしょう)。澤木万里子さんは、全国でも珍しい、3人目の女性鵜匠として活躍しています。鵜とともにそのキャリアを築き、「鵜匠は一生の仕事」だと語る彼女の生き方に迫ります。

■鵜とともに歩んできた「鵜匠」は、一生の仕事だと思っています

宇治川の鵜飼・鵜匠の澤木万理子さん。宇治川沿いの鵜小屋前で、宇治で生まれた「ウッティー」とともに
宇治川の鵜飼・鵜匠の澤木万理子さん。宇治川沿いの鵜小屋前で、宇治で生まれた「ウッティー」とともに

鵜飼とは、鳥の鵜を使ってアユなどを獲る漁法のひとつ。古来より中国や日本で行われており、現在では漁業というよりも観光業として行われることが多いのだといいます。澤木さんは、学生時代に嵐山や長良川で見た鵜匠に憧れ、家族に反対されながらも鵜匠になろうと行動を起こしたのだそう。そして、29歳の夏、京都・宇治川の鵜飼の見習いになることに。

「実際にやってみて驚いたのは、鵜飼が現在では『観光』だったこと。お客さんに楽しんでもらうためにするものなんです。鵜は、魚は自然にとりますが、吐くのは鵜匠しだい。全体の流れを見て、どこでどう吐かせるのか、どんな角度がいいのかなど、苦労しました。鵜6羽の体に「追い綱」と呼ばれる綱を結んで放つのですが、その綱がからまないよう、ほどきながら操るのも難しかった。入ったばかりのころは、女性は私ひとり。トイレも着替える場所もなかったし、「習うより慣れろ」の世界でしたが、女性だからといって差別もなく、かわいがっていただきました」

■つらい時期もあった。今では、同じ女性鵜匠と現場に出る日々を送る

駆け出しのころは、珍しい女性鵜匠ということで、実力もないのにメディアに注目され、心身ともに辛かった時期もあったのだとか。そんなとき、ひとりの女性が鵜匠になりたいとやってきました。「逃がしてなるものか(笑)」と、後輩を、熱心に、丁寧に育てたといいます。今では、その後輩とふたりで現場を回しているのです。

また、3年前には、日本で初めて鵜の人工ふ化に成功。「うみうのウッティー」と呼ばれるその鵜たちは、人間に慣れているため穏やかな性格。その気質を生かし、追い綱を付けない「放ち鵜飼」に挑戦することとなり、現在も練習中なのだそうです。

「鵜が頑張ってくれるおかげで鵜飼ができる。一生の仕事だと思っています」

■世界各国キャリアへ 、5つの質問

Q1:仕事の成功のためにしている習慣は?
1週間単位でその週にすべきことを手帳に書く。お風呂に毎日入る。
Q2:バッグに必ず入っているもの3つは?
手帳、携帯電話、シーズンの夏場は傷薬、冬場はハンドクリーム。
Q3:あなたの街のストレス解消スポットは?
宇治川沿いのあじろぎの道。石畳の道で、特に朝は心地いい。
Q4:理想の週末の過ごし方は?
休日には飼っているオウムとゆっくり1時間くらいお風呂に入る。
Q5:人に言われてうれしいほめ言葉は?
鵜飼のお客さんからの「よかったよ!」という言葉。

PROFILE
澤木万理子さん
鵜匠
43歳。滋賀県生まれ。京都の美術短大を卒業後、建築関係の会社で3年ほど働き、結婚退職。29歳で鵜飼の世界へ。全国で3人目の女性鵜匠となる。現在は宇治川の鵜匠であり、宇治市観光協会の職員。
PHOTO :
森本真哉
WRITING :
木佐貫久代
EDIT&WRITING :
難波寛彦