「ミラノ風コトレッタ=コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ」は、ミラノ風リゾット、パネットーネと並ぶミラノ3大料理のひとつ。骨つき仔牛肉を使い、卵とパン粉をつけてバターで片面づつ焼き揚げた料理だ。香ばしいバターの香りとしっとりと火が入った骨つき仔牛肉のコンビネーションは老若男女誰にも好まれる料理だ。近年ではバターのみではなくオリーブオイル、あるいはサラダオイルを加えてカロリー減につとめたレシピや、パン粉の中にパルミジャーノ・レッジャーノを加えてより香ばしさを出すレシピなどもあるが正統はあくまでバターのみ。鈴木シェフのは澄ましバター=Burro Chiarificatoを使用しているのでよりライトかつクリスピーな仕上がりで、その香りと食感は一度食べたら忘れられない。
ミラノ風コトレッタとラデツキー将軍
「ピアット・スズキ」でも常に人気の定番料理というのもうなづける。澄ましバターを使うとコストも上がるが、タンパク質をとりのぞいてあるので発煙点が252度と通常のバターの発煙点163〜190度と高く、よりカリっとしあがるという料理的特徴もある。
コトレッタの話をすると必ずコトレッタとウイーンのシュニュッツェルとどちらが元祖かという話になるが、一般的に知られているのはオーストリアがミラノを統治していた19世紀半ば(1849〜1857年)にミラノ総督だったラデツキー将軍がコトレッタを非常に好み、ウイーンに持ち帰って広めたという説。
これはイタリア人的にはすでに定説となっているが、従来からウイーンにも仔牛肉を揚げた料理は存在していたようだ。しかしそれは小麦粉をつけて揚げたもので、卵とパン粉を使う調理法は当時のウイーンには存在しなかったらしい。ユダヤ人やイスラム系移民も多いウイーンでは伝統的に豚肉は使わず、揚げ物には仔牛肉が多様されたという背景もある。
コトレッタをこよなく愛したラデツキー将軍
ラデツキーは1798年に32才で結婚したが、その相手は当時オーストリア領だったフリウリの貴族ストラッサルド家のフランチェスカ・ロマーナ。その頃からラデツキーは、料理人たちにストラッサルド家の揚げ物レシピを学んでおくようにと命じていたという。
つまりラデツキーは1849年にミラノ総督となる前からかなりのコトレッタ=シュニッツェル・ファンだったようで、ラデツキーの厨房で多はミラノの料理人たちがそのレシピを学び、コトレッタに進化させたともいわれている。
また、ジャガイモやレモンなどの付け合わせを考案したのもどうやらラデツキーのようだ。ミラノ総督に就任した際のラデツキーはすでに83才。それにもかかわらずコトレッタをこよなく愛した、というのはなかなかの健啖家ではないか。
ではコトレッタはラデツキーがフリウリ経由でミラノに持ち込んだのか?というとそうでもなく、Pietro Verri(ピエトロ・ヴェーリ)がサンタンブロージオ教会に残した1148年の記録には”lombos cum panitio”という料理の記述が見られる。これは現代のイタリア語に訳すならLombato impanata=仔牛の肋間肉のパン粉焼きとなり、12世紀にはすでに仔牛肉にパン粉をつけて揚げるという料理が存在していたことになる。
つまりロンバルディア、フリウリ、ウイーンには時代の差こそあれ仔牛肉を揚げる料理は存在していたが、パン粉をつけて揚げるという料理法はイタリア経由でウイーンに渡ったようだ。また、コトレッタという名称はフランス語のコトレットから派生したものだが、ミラノでは肋間肉を意味するCostoletta(コストレッタ)と呼ぶこともあり、ロンバルディア州西部の方言ではクトゥレータと呼ぶこともある。
ではシュニッツェルとコトレッタ、どちらが美味しいか?かつてウイーンでシュニツェルの名店「フィグルミューラー」を取材したことがあるが、同店の名物は皿からはみ出すいわゆる「象の耳=オレッキエ・デレファンテ」。これは肉叩きを使って仔牛肉を非常に薄くのばしてあるので火の通りが早く注文が入るたびにどんどん揚げることができる。薄く大きくのばしてあるので食感はサクサク、見た目も派手。
しかし「象の耳なんてコトレッタではない」というイタリア人も多く、厚切りの肉にナイフを入れてその食感を味わうという点においてはコトレッタの方が料理的には一段上ではないか、と思う。こよなくコトレッタを愛したラデツキー将軍の像はいまもウイーンの環状通りリンク沿い、陸軍省の前に立っており、ヨハン・シュトラウス1世の「ラデツキー行進曲」として音楽史にもその名が遺されている。高揚感があり、ミラノ風コトレッタを作る時には最適のBGMかと。
問い合わせ先
- ピアット・スズキ TEL:03-5414-2116
- 住所/東京都港区麻布十番1-7-7 はせべやビル4F
※営業時間などの詳細は店舗HPなどでご確認ください。
- TEXT :
- 池田匡克 フォトジャーナリスト