ラテン系の女たらしを、「ラテン・ラヴァー」と呼ぶ。イタリアを代表する伊達男、マルチェロ・マストロヤンニもそのひとりだ。生前、本人は否定していたが、名優として一時代を築き上げた男はまた、共演する女優たちを溺れさせた役者でもあったのだ。その魅力は、上質な喜劇の数々を見ればわかる。凡人が真似などできるはずがないなどど、あきらめるなかれ。名画は人生の潤滑剤であり、知らずうちに男の仕草や思考に取り込まれていくものだ。

 ラテン・ラヴァーとして知られるマルチェロ・マストロヤンニ死す「1996年12月19日」
 CNNが伝えたマストロヤンニの訃報である。ラテン・ラヴァーとは、ラテン系プレイボーイという意味で、アメリカのサイレント映画時代の二枚目俳優、イタリア系のルドルフ・ヴァレンティノらが映画で演じた女たらしなイメージをシンボリックに指す表現だ。転じて南米や南欧の男たちの女好きを指すようになる。

「共演即恋愛」だったマストロヤンニの美女遍歴

恋多きラテン・ラヴァーの正妻は、後にも先にもフローラ・カラベッラだけだった。カラベッラとの間に娘のバルバラが、結婚こそしなかったが、マストロヤンニの最期を看取ったカトリーヌ・ドヌーヴとの間には、女優キアラがいる。稀代の色男は、常に美女に囲まれた人生だった。
恋多きラテン・ラヴァーの正妻は、後にも先にもフローラ・カラベッラだけだった。カラベッラとの間に娘のバルバラが、結婚こそしなかったが、マストロヤンニの最期を看取ったカトリーヌ・ドヌーヴとの間には、女優キアラがいる。稀代の色男は、常に美女に囲まれた人生だった。

 1960年のフェデリコ・フェリーニ監督作品『甘い生活』でアニタ・エクバーグやアヌーク・エーメらの美女を相手に、不毛なアバンチュールを繰り広げるマストロヤンニをみたアメリカのプレスが、「新時代のラテン・ラヴァー登場!」と書きまくったおかげで、彼には終生このニックネームがついてまわることになる。

 マストロヤンニ本人は死の間際までこの呼び方を嫌い、「わたしは俳優として働くことで名声を得たのです。色男としてではありません」(『マストロヤンニ自伝 わが映画人生を語る』小学館刊)と吐き捨てんばかりだ。しかし、どうだろう、ぼくにいわせればどっちもどっち。真実はその中間に潜んでいるように思う。

 ウィキペディアでマストロヤンニをひいてみるといい。私生活のセクションには最初で最後の正妻フローラ・カラベッラ以外に彼と関係があった女性名が列挙されている。前述のアニタ・エクバーグ、10本以上共演しているソフィア・ローレン、アメリカの美人女優フェイ・ダナウェイ、フランス映画界の華カトリーヌ・ドヌーヴ。こんな世界の美女たちをモノにした男が色男でないと誰が断定できるだろうか?

 イタリアン・ビューティのシンボル、クラウディア・カルディナーレやアヌーク・エーメ、ブリジッド・バルドーとの艶聞だってガセとはいいきれない。つまり共演即恋愛ということじゃないか。

 その端的な例が、彼が生涯最も愛したと言ってはばからない、フェイ・ダナウェイとの成り行きだ。

 1968年、ヴィットリオ・デ・シーカの凡作『恋人たちの場所』で共演。ヴェネト州の小さな村でのロケ中のことだ。「ひとっこひとりいない村だった。ぼくは退屈していたんだ。フェイの手は老婆のような手でね、シミだらけで血管が浮きでていた。鼻も曲がっている。でも、彼女の顔は青白く輝いていて、ミステリアス。目の奥には狂気があった。ああ、フェイはぼくを愛してくれた。それはもうひたすらに……」(『People』誌1987年12月のインタビュー)

 マストロヤンニの甘い回想は続くのだが、ふたりは3年の後に別れてしまう。ダナウェイが結婚と子供を望み、マストロヤンニが拒否したからだ。怒ったダナウェイはマストロヤンニのもとを去る。

 現在女優として活躍するキアラという娘まで儲けたカトリーヌ・ドヌーヴとの恋は、フェイとの破局のリバウンドだと言う観察もある。そして、ドヌーヴとの別離も同じく3年後にやってくるのだ。

 マストロヤンニの恋愛というのは、ほとんどすべてがこのパターンだ。母親やまわりの女性から愛されに愛されて育った「愛されキャラ」、ソフイア・ローレンも絶賛するユーモア精神、誰もが耳をかたむけたくなるような、あの魅惑的な声という最強のコンビネーションで一瞬のうちに女性を虜にするのだが、しばらくすると女性は、彼のエゴイストぶりにがまんならなくなり、去っていく。

 しかし、そのおしゃれな幕開けとコメディのようなぶざまな結末のセットに、イタリア人たちは自分を重ねあわせるのかもしれない。多少のことはあっても明日があるさ、と気を取り直すマルチェリーノの背中を追って、ほっとするのかもしれない。

 そういえば『甘い生活』の撮影中、フェリーニはマストロヤンニに何度となくこう語りかけたという。「これは喜劇なんだからね」

 そう、マルチェロ・マストロヤンニはチネチッタでの撮影中も、深夜、ホテルの部屋で美女とシーツの間で戯れているときでも、圧倒的に喜劇が似合う男なのだ。それも、最も上質な部類のものが。

この記事の執筆者
TEXT :
林 信朗 服飾評論家
BY :
MEN'S Precious2014年春号イタリア3大伊達男の伝説より
『MEN'S CLUB』『Gentry』『DORSO』など、数々のファッション誌の編集長を歴任し、フリーの服飾評論家に。ダンディズムを地で行くセンスと、博覧強記ぶりは業界でも随一。