200年を超える歴史を持つ紳士服の聖地サヴィル・ロウに、突如として登場したテーラーだ。彼は、セックス、ドラッグ、ロックンロールに満ちた狂乱の'70年代を駆け抜け、メンズファッションの歴史を塗り替えた。これまで語られることのなかった伝説が、今、解き明かされる。
なぜ、そのテーラーは「伝説」と呼ばれるのか
サヴィル・ロウには、人々から「生きた伝説」と呼ばれるマスターテーラーが存在している。
メンズファッション史に輝く革命的なテーラー、デザイナーのトミー・ナッターとヘッドカッターのエドワード・セクストンによるナッターズ・オブ・サヴィル・ロウは、1969年2月14日、実に120年ぶりにサヴィル・ロウに登場した、新たなテーラーだった。
ザ・ビートルズのラスト・アルバム『アビー・ロード』のカバーに登場するジョージ・ハリスンを除いた、ジョン・レノンなど3人のスーツ、さらにミック・ジャガーのウェディング・スーツなど、一世を風ふう靡びしたスーツの数々はここナッターズ・オブ・サヴィル・ロウから生まれた。
そのスタイルといえば、デザインすべてがグラマラスにしてエキセントリック、張り出したワイドショルダーにワイドラペル、極端に絞られたウエストライン、完全にヒップを覆う長めの着丈、オックスフォード・バグスを思わせるワイドなトラウザーズ。それは1960年代を代表するスリムで小綺麗なスーツに完全なる決別を告げていた。
同時に、それはサヴィル・ロウから最先端の流行が初めて発信された瞬間でもあった。さらに衝撃的だったのは、そのスーツがサヴィル・ロウの最高の技術を用いてつくられた、ビスポークだったことである。
メンズファッションの歴史を塗り替えたレジェンド
伝説の陰の立役者、実際にこれらのスーツをつくったテーラーこそ、エドワード・セクストンだ。「まず、シガレット(煙草)なくしては何事も始まらない」
そう宣言すると、セクストンは煙草に火をつけた。紫煙がゆっくりと立ちのぼり、濃厚なデカダンスが空気を支配する。煙草を吸う一連の仕草にも徹底した美意識がにじむ。
今日のスーツは、当時と同じディテールを持つ構築的なロープ・ショルダー、ワイドラペルのダブルブレステッドのスーツだが、同時にブリティッシュ・スタイル特有の研ぎ澄まされた抑制の美学があり、現代的エレガンスも表現されている。
名門ギーヴス&ホークスのヘッドカッター、ダヴィデ・トウブも師事し、「伝説以上の存在」と讃えるテーラー。
'70年代の衝撃的な登場から現在まで、50年近く一線で活躍しているのはなぜか。「マネーはいいものだが、すべてではない。それより、常に最上のスーツをつくること、それが私の信仰だ」
セクストンの語り口は穏やかだが、そのブルーアイズには有無を言わせない強さが潜んでいる。「ダヴィデに言ったことがある。それまで100着の良いスーツをつくっても、最後のスーツが満足のいかないものであれば、今までの100着は忘れられる。顧客は最後のできの悪いスーツだけを覚えている。だからこそ、毎回、より完璧なスーツを目ざすべきなのだと」
狂乱の'70年代の伝説、そのはじまりと終焉
1967年、ロンドンのバーリントン・アーケードにあったテーラードナルドソン・ウィリアムス・ウォードでセールスマンをしていたトミー・ナッターと、そこでカッターだったエドワード・セクストンが出会ったことから伝説は始まる。「トミーは型紙をひくことができず、スーツをつくることはできなかったが、とてもチャーミングでハンサム、カリスマ的な魅力があった」
ナッターは毎夜クラブに通い続けていたが、そこで知り合ったのが、ザ・ビートルズが設立した企業アップル・コープのマネージング・ディレクター、後に彼らの出資者となるピーター・ブラウンだった。「第二次世界大戦が終わり、ロンドンは変わった。それも劇的に。ポップスター、ミュージシャン、投資家、新たな世代のマネーがすべてを変えた。カネと力を得た若い音楽業界の人間は、自分を表現する強烈な何かを探していたんだろう。私たちのスーツはただの仕事着でなく、自分自身の個性や創造性の表現だった。そこに彼らは魅かれたのだ」
あらゆる点でナッターズ・オブ・サヴィル・ロウは今までの常識を覆していた。閉鎖的なサヴィル・ロウで唯一巨大なショーウインドーを持ち、スーツをディスプレイした。店の中央にはカッティングテーブルがあり、顧客はスーツづくりのすべてを見ることができた。
天才カッター、エドワード・セクストンと時代の寵児、トミー・ナッターが出会い、新たなるサヴィル・ロウの伝説が始まった
そこではナッターの時代を読む抜群のセンスと、セクストンの卓越したクラフツマンシップが、時代の寵児のスーツを生み出していった。アップルのカネと人間関係をバックにザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズといったセレブリティが顧客となり、メディアの注目を集めたナッターズ・オブ・サヴィル・ロウは、瞬く間に驚異的な成功を収め、ロンドンばかりでなく世界中にその名を轟とどろかす。だが、この蜜月は長くは続かなかった。「トミーと別れたのは、彼がアルマーニのようなデザイナーになりたがったからだ。しかし、私たちは大企業のデザイナーではない。美しいスーツをつくる比類なきテーラー、それが私の仕事であり、人生だ」
こうしてひとつの伝説は終わりを告げた。1977年、トミー・ナッター自身がナッターズを離れ、キルガー・フレンチ&スタンバリーへ移り、既製服に挑戦するが結果は失敗に終わる。1988年には再びサヴィル・ロウに自身の店をオープン。ティモシー・エヴェレストなど後進を育てたが、1992年、惜しくも49歳の若さでHIV感染症によりその生涯を閉じた。
一方、セクストンはトミー・ナッターが去った後も、ナッターズ・オブ・サヴィル・ロウを続け、1982年にサヴィル・ロウ36・37番地にエドワード・セクストンをオープン。1990年にナイツブリッジに移転し、現在もその地で営業を続けている。
常に進化を続けてきたアイコニックなスーツ
1972年スーツの常識を覆す異なる素材を組み合わせたコンビネーション・スーツ
世界最高の男たちから選ばれる、その理由
彼の顧客である名だたるミュージシャンたちは、果たしてスーツのクオリティを理解できたのか?
「この男たちはただのミュージシャンじゃない。アーティストだ。彼らはクリエイティブで、音楽だけでなく、どの分野においてもずば抜けたセンスを持ち、自分を表現する、最高のものに興味を持っていた」
彼らがミュージックシーンで成し遂げた偉業を思えば、セクストンの言葉を疑う余地はないだろう。
だが、なかには確かに難しい顧客もいる。
「敢えて名は伏せるが、ひとりは私より自分のほうがスーツのことがわかると思っていた。彼の態度は友好的でなく、私はこう言った。『友達になろう。そうすれば私がスーツをつくる必要もない。そちらも金を使う必要もない。そのほうがお互いにうまくいく』。そう言った途端、彼の態度は完全に変わり、友好的になった。もうひとりは『ここはえらく高くなったようだ。私はほかのテーラーも知っているんだが』と言ってきた。彼にも同じことを言ったが、結局こっそり戻ってきたよ」
今ではミュージシャンだけでなく、F1界のボス、バーニー・エクレストン、メディア王ルパート・マードックなど、時代を動かす、一癖ある男たちが顧客に多いことに変わりはない。強烈な個性を持つトップの男たちが愛するテーラー、それがエドワード・セクストンだ。
- TEXT :
- 長谷川 喜美 ジャーナリスト
- BY :
- MEN'S Precious2015年冬号 エドワード・セクストンという、 生きる伝説より
公式サイト:Gentlemen's Style
- クレジット :
- 撮影/Andy Barnham 構成・文/長谷川喜美