41歳の時に始まった連載漫画『テルマエ・ロマエ』から漫画家としての快進撃が始まったヤマザキマリさん。自身の激動の半生を笑いに変えて描く、漫画や書籍がまた愉快でその明るい生き方に勇気づけられるという声も多数。今回はヤマザキさんのパワーの秘密を探りに、ご自宅にお邪魔しました!

ヤマザキマリさん、語る!

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窓から緑と青い空が広がる心地のいいリビングで

「昔の日本の家はもっと気楽に人が集っていた」とヤマザキさん。漫画や執筆の職場を兼ねた生活スペースでは、取材もよく行われる。肌触りのいいカシミアニットの装いは、お気に入りのロロ・ピアーナのもの。

ヤマザキ マリさん
漫画家・文筆家・東京造形大学客員教授
1967年東京生まれ。フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。イタリア人比較文化研究者との結婚を機に、エジプト、シリア、ポルトガル、アメリカで暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。著書に『プリニウス』(とり・みき氏との共著/新潮社)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、『多様性を楽しむ生き方』(小学館)、『ムスコ物語』(幻冬舎)ほか。

パンデミックを生き抜くおおらかで、明るい生き方に魅せられて

イタリアと日本を行き来し、海外で取材活動をしてきた漫画家のヤマザキマリさんが、パンデミックの影響でここ1年10か月も、日本から出られないでいる。

子供の頃から旅番組『兼高かおる世界の旅』に憧れ、17歳で日本を出て以来、地球を横断するように暮らし、旅を旨としてきたご本人にとっては、さぞかし息の詰まる状況だろう。

「今は読書や映画を観ること、そして気のおけない友人と喋ることが、旅に代わる刺激となっています」と語る。

ただそのおかげで、私たちはヤマザキさんの姿をメディアを通して観る機会が増えた。そして漫画連載のかたわら、次々に執筆された本を通して、そのパワーみなぎる生き方に触れることができる。


昆虫、金魚、猫、絵画、古代ローマ、ギリシャ…好きなものに囲まれて

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リビングで見つけたヤマザキさんのお気に入り。こちらは、『オリンピア・キュクロス』作画用のギリシャの格闘技の壺絵と、敬愛するローマ皇帝ハドリアヌス帝の胸像


早口のイタリア人さえ煙に巻き、黒柳徹子さんの口数をも減らす、弾丸のように繰り出される語りがおもしろい。そしてときに笑いを誘いながらも、深い知識と実体験に基づく、広い視野に立ったコメントには説得力がある。

自由で一風変わった子供時代を北海道で過ごし、17歳でイタリアへ渡ってからの波乱万丈、艱難辛苦(かんなんしんく)も、ユーモアに変えてしまう。そのおおらかで楽しげな生き方は、こんなにも不安定で混沌とした時代、揺らぎがちな私たちの心に火を灯(とも)し、「明日はきっと楽しい!」と思わせる、明るく、強く、たくましい生き方を指南してくれるのだ。


個性の強いものたちが静かに調和して

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世界最大級の大きさを誇るアクティオンゾウカブトの標本
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金魚を狙う木彫りの猫。10年前に縁日の屋台で掬い上げ、丸々と育った金魚のコンビ“金ちゃん”は、それぞれ白内障とおできの老人性疾患がある。同じ大気圏に住む生き物として、ペットとの付き合いも対等。頑張れよと思って見守っている

ヤマザキマリさんの生き方、考え方に触れることは、この時流が思いがけず授けてくれた贈り物。その出版物を読むだけで「人生なんとかなる」と勇気づけられる。明るい語りを聞いているだけで、たとえ100年生きろと言われても、根拠なく大丈夫な気もしてくる。

ヤマザキさんの東京での愉快な暮らしの様子をのぞかせていただき、力強い言葉と共に、パワーをチャージしたい。そんな思いでアトリエを兼ねたご自宅を訪ねた。

水と緑豊かな多摩川にほど近く、どこか昭和の風情を残す、長閑な私鉄沿線の街。窓からは富士山に向かって遮るものなく広がる空。近くの渓谷からは、昆虫採集の網を持った子供たちの声が今にも聞こえてきそう。もうここがパワースポットだと思えてくる。

焦らなくてもいい。すべてが今につながる

いうまでもなく、ヤマザキマリさんを漫画家として頂点に押し上げたのは2009年に単行本化された『テルマエ・ロマエ』だ。

「初版は僅かな部数だったのが、あっという間に完売しては重版。まだ一巻しか発行されていなかったのに、翌年には立て続けに賞を頂き、実写化も決まって。この間、私自身は海外にいたので、日本で何が起こっているのかわかりませんでした」(ヤマザキさん、以下同様)

ただそれまでの道のりは長い。西洋美術に触れるために14歳でヨーロッパ一人旅。17歳でフィレンツェに留学して11年間、イタリアで絵を学びながら、アルバイトで食いつないだ。その時代の壮絶な人生経験は幾度も語られている。


ほの暗く光を遮る、落ち着いた趣の書斎

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リビングにつながる書斎。朝の強い日差しをブラインドで遮り、集中力が高まる心地のいい部屋が、ヤマザキさんの創作の拠点。作画はすべてiPadで行われる。ギターやイーゼルが部屋の空気を和ませて。


パンクに傾倒していた高一の頃、描いた油絵

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高校の美術の課題で描いた絵はロンドンのクラブが舞台。新宿ツバキハウスのロンドンナイトに通うため、ちり紙交換のバイトをした。


「27歳でひとり子供を産み、絵を辞めて漫画を描き始めたものの、子供を育てるために帰国。札幌の3つの大学でイタリア語講師を掛け持ちし、地元テレビ局で温泉リポーターを務め、美術キュレーターなど10足の草鞋(わらじ)を履くことに。子育てが一段落するまで、6年近く日本で頑張りました」

漫画に専念するのは、34歳で結婚した研究者の夫と共に、世界を転々とすることになってから。

「漫画が唯一、世界のどこでも自分にできる仕事でした。いわば出力をひとつに絞ったのです。そのぶん仕事の濃度は濃くなりました」


14歳ずつ違うという家族は共同体のような関係

それぞれ独立してよい距離を保つ3人家族。

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夫から贈られた古代ローマのカメオは博物館級の希少さ。撮影:唐澤光也(RED POINT)
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息子デルス君も現在27歳に。親子関係は新刊『ムスコ物語』(幻冬舎)に詳しい。
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ヤマザキさんによる21歳の時の夫の肖像画。

遠回りをしてきたが、20代に貧乏暮らしをしながら、仲間たちと歴史や文学の知識を深めたこと、さまざまな職種のアルバイトでイタリアの商業文化に触れたこと、札幌のテレビ局での温泉レポーターの仕事さえも今、血肉となってヤマザキさんを支えている。

「漫画家として軌道に乗ったのは42歳になってから。まさか漫画で食べていくとは思ってもみませんでした。人生何が起こるかわからない。焦る必要はありません。でも好きなことを選択するより、自分に合っていることをするほうが、最終的に自分の中に形として残るのだと思います。私の場合、こんなに漫画を描き続けられたのも、自分に合っていたからです」

「60歳くらいで漫画に区切りをつけて、油絵に戻りたい。そして動物たちと一緒に、自由奔放に生きる」

先ほどの話を裏返すと、ヤマザキさんが職業に選ばなかった“好きなこと”とは何なのか?

「私にとってはやはり旅行ですが、それは好きを超えて、もはや生き方。価値観が変わるほど自分の視野を広げる必要があるから旅をする。心の栄養剤みたいなものです」


『21エモン』のモンガーと、ドラえもんが背後から見守る

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書斎に引き出しは圧倒的に少ないのに、よく整理されて、本棚にさりげなくインクやコピー用紙が積まれている。“ロエベ”の空き箱に家族の写真が収納され、愛する漫画のキャラクターが鎮座して。


ヤマザキさんの好きな漫画に、宇宙の旅行者が大挙して地球にやってくるという藤子・F・不二雄作の『21エモン』がある。

「1968年に始まった漫画ですが、奇妙な外見や生態はもちろん、こちらの価値観がまったく通じないいろんな星の宇宙人がやってきて、理解できないもの同士が共生していくという話。まさに“多様性”とはなんぞや?と言うことを問いかけている内容です。こうした多様性を認識するには、やはり自ら旅に出て、アウェーに身をおかないと。漫画のようにあちらから来てはくれないですから」

遊牧民のように旅をしながら生きることをデフォルト(=標準)としてきたヤマザキさんだからこそ、多様性を楽しむことができる。


人生は思いどおりにならないから、予定調和がないほうがおもしろい

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銃を持つ鹿のハンター。タイのアーティストのもので、本来撃たれる側の鹿が反撃する姿にひと目惚れして。

現在も多数の漫画やコラムの連載を抱え、テレビ出演も増えて、多忙を極める日々。エネルギーほとばしる54歳の今、定年のない職業でもリタイアを意識することはあるのだろうか。

「漫画家の仕事は肉体労働なので、死ぬまでやるものではないと感じています。60歳くらいになったら漫画から油絵の制作に戻り、絵と文章に分離したい」


最愛の画家の絵を見つめて油絵を再開する日を思う

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書斎のデスクに座ると、イーゼルの先に見えるのはアントネロ・ダ・メッシーナの自画像とされる肖像画。ダヴィンチ以前、北方ルネッサンスの影響を受けて、イタリアに油絵の技法を広めた画家で『芸術新潮』の連載でも取り上げている。


幸いなことに、アルプスの麓にある家には、広い敷地があり、イタリアに戻れば作業をする環境は整っている。

「自然に還元できる仕事には従事してみたいので、例えば養蜂などを手がけてみたいとずっと思っています。旅行も含め、自由奔放に暮らしたい。体と精神が健康なうちはまだいろいろ試してみたいことがあります」

ただ、予定調和にとらわれてはいけないとも考えてきた。

「これまでの人生を振り返っても、思ったとおりになったことがない。漫画も、温泉レポーターも、成り行きでやることになったものばかり。今だってパンデミックで身動きがとれなくなったわけで…。留学や出産の経緯も、実は自分の意思とは別の次元で決められていたことであり、すべては巡り合わせと捉えて、その時々の波に乗ればいいと思うようになりました。こうしたい! という理想や欲求にとらわれなくなれば、ストレスも軽減し、楽になりますよ」


そこかしこに佇む、愛すべきモノたち

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寝室にある小さな読書スペースには、好きな画家ヤン・ファン・エイクの『アルノルフィーニ夫妻の肖像』の写しが照らし出され、漫画の作画のために用意した馬の模型や、「ローマの敵だけど、苦悩する顔がいい」と、シリア王アンティオコス3世の像が静かに並ぶ。

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リビングの一角には現代の抽象画やラファエル前派のエドワード・バーン=ジョーンズの挿絵と共に、国内外で捕まえたカブトムシの標本が大切に額装されて。
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珍しいクワガタを背景に『テルマエ・ロマエ』で受賞した手塚治虫文化賞短編賞のトロフィーがさりげなく。
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クイズ番組『世界ふしぎ発見!』には2回ほど出演。全問正解で獲得したスーパーヒトシ君は、愛読書の安部公房全集とのコントラストがいい。
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“ポラダ”のシックなベルトベンチテーブルの上には、これも作画用に求めた懐かしい“オリベッティ”のタイプライターが。
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寝室の壁に飾られているのは、漫画雑誌の表紙用に描いたベレー帽をかぶった手塚治虫先生風『テルマエ・ロマエ』のユーモラスなルシウス像。
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トンボやセミ、スカラベなど、ヤマザキさんらしい昆虫モチーフのアクセサリーのコレクション(個人撮影)。
PHOTO :
長谷川 潤
HAIR MAKE :
hiro TSUKUI(Perle/ヘア)、仲嶋洋輔(Perle/メイク)
EDIT&WRITING :
藤田由美、古里典子(Precious)
スタイリング協力 :
大西真理子