ジャーナリズムの舞台となるメディアは、時代とともに変遷してきた。19世紀から現在にいたる新聞の時代。第一次大戦の戦禍のあと産声をあげたラジオ。同じ電波メディアでありながら第二次大戦後に現れ、20年足らずで新聞、ラジオから主役の座を奪い取ったテレビ。そして誰もが世界と瞬時に情報をやりとりすることを可能にした今日のインターネット。乱暴にまとめればそのような流れになるのだが、今回紹介するダンディ、エドワード・R・マロー(通称エド・マロー)は、第二次大戦を挟み、ラジオ、テレビをまたにかけて活躍し、電波時代のジャーナリズムの最上の指標として君臨したアメリカ人である。その名は、第二次大戦中ドイツから空爆を受けていたロンドンからの「爆撃実況生放送」で一躍世界に広まった。

Grace Under Pressure/重圧の中での優雅さ

マッカーシー旋風が吹き荒れる中、真実と向き合い、時代に抗った男。

 1935年、米国の放送ネットワークCBSに入社したマローは、学生時代からの欧州との交流体験を買われ、2年後の1937年にヨーロッパ局長としてロンドンに赴任。ドイツのオーストリア占領を現地ウィーンからラジオで伝え、アメリカ人に向かって冷静にナチスの脅威を説いた。

「ジス・イズ・ロンドン……」

 ウィーンの変から2年後。ビルの屋上から危険を顧みず、爆弾と高射砲が炸裂する大英帝国の首都の夜を活写するマローの声は、実況というかたちで世界に戦争の恐怖、悲惨さを訴え、同時に「起きている事実そのものを伝える」という放送ジャーナリズムにおける戦争報道の基本を確立したのである。放送ジャーナリストの頂点に立ったマローをアメリカで待っていたのは、テレビという視覚にも訴える新しいメディアだった。

 1951年、敏腕プロデューサー、フレッド・フレンドリーとタッグを組んだマローは「シー・イット・ナウ」というドキュメンタリー番組の制作を開始。多面的取材に独自のコメントを加えるという新しいアプローチでまたしても注目を浴びる。

 しかし、第二次大戦後は冷戦の世界である。中国の共産主義化、ソ連の原爆保有、朝鮮戦争と二極対立が進むなかで、アメリカは膨張する共産主義の赤い影におびえていた。誰もが誰もを共産党のスパイではないかと疑う時代がテレビとともに始まろうとしていた。その中心にいたのがマローと同じ年の共和党上院議員ジョゼフ・マッカーシーである。

 どこから入手したのか、マッカーシーは政府や軍の幹部が共産主義者であるという証拠を振りかざし、非米活動委員会で追及。共産主義者と断定されれば、その人物は祖国への裏切り者として社会から抹殺される。その手は芸能界やマスコミにまで及び、政府以上に共産主義を恐れていた米国民はマッカーシーを救世主扱いする。実に性た質ちの悪い状況がマローの前に立ちはだかっていたのだ。アンタッチャブルと化したマッカーシーに戦いを挑んだのはマロー、彼ひとりだった。父と姉が共産主義者の疑いがあるという理由で空軍を解雇される寸前の兵士をとりあげた番組を制作。父が唯一母国語で読める共産国ユーゴスラビアの新聞の購読者であったというだけで兵士を辞めさせていいのかと国民に問う。

エドワード・R・マロー

エドワード・ロスコー・マロー●1908年4月25日生まれ。1965年4月27日没。1935年、ラジオネットワークのパイオニアであるCBS放送に入社し、ラジオのジャーナリストとして第二次世界大戦の前後にかけて活躍。1954年の冷戦初期には、ジョセフ・マッカーシー上院議員についての特別番組を放映。当時アメリカ中のマスコミが、『赤狩り』(公職)の標的になることを恐れていた中、「共産主義の脅威と戦い自由を守る」との言葉を盾にし、強引かつ違法な手法で個人攻撃を行うマッカーシーのやり方を鋭く批判した。権力に臆することなくジャーナリズムの自由を貫いた人物である。

 だがマッカーシーの影響力を恐れたのはCBSも同じであった。局がマッカーシーから弾劾され、広告主が撤退するという最悪の事態を企業としては想定しないわけにはいかなかった。

 マローが放った第二の矢、マッカーシーの発言を数々引用しながらその矛盾をついていくという「シー・イット・ナウ」の放送の際も、企業防衛に走る経営陣と激しい衝突があったという。

 ジャーナリストとしてのすべてを賭けたこのキャンペーンのさなか、圧力に屈しそうになるスタッフに向け、彼はこう語ったという。「われわれの仕事は、放送したものによって評価される。しかし放送しなかったものによっても評価されるのだ」マローの放送の後、マッカーシーへの評価は下降線をたどり、アメリカ人の不安を背景に権力を手中にしたデマゴーグとして破滅する。ジャーナリストとしての矜持を最後まで保ったマローもまたその孤高のダンディズム故にCBSを去ることになる。

マッカーシーとの戦いが済んだそのとき、アメリカの放送メディアは既に大衆化路線へ、利益優先主義へと大きく舵を切っていたのである。

この記事の執筆者
TEXT :
林 信朗 服飾評論家
BY :
MEN'S Precious2015年秋号ダンディズム烈伝より
『MEN'S CLUB』『Gentry』『DORSO』など、数々のファッション誌の編集長を歴任し、フリーの服飾評論家に。ダンディズムを地で行くセンスと、博覧強記ぶりは業界でも随一。
クレジット :
文/林 信朗 イラスト/木村タカヒロ