夢多き時代を過ぎても、男たちは常に夢みることをやめない。ある者は『ミッドナイト・イン・パリ』のギルのようにゴールデンエイジのパリを想い、またある者はボギーの粋なセリフに酔う。そして、お洒落とはそんな空想の旅におけるよき従者であり、ある意味未完成のタイムマシンのような存在かもしれない。クラシックな仕立てのスーツやハット、そしてすねまで隠れるようなロングコートをはおって街を歩けば、私たちはどこかで妄想と現実が混濁とした感覚を覚えるはずだ。あの迷路のような路地を曲がった先には、英国統治下にあったミッドセンチュリー香港の妖しげなネオンがぎらぎらと輝いているかもしれない、と……。見果てぬ素晴しき夢の世界、妄想世界旅行へとご招待しよう。

思い出というタイムマシンに乗って|文・松山 猛

 サディスティック・ミカ・バンドのアルバム『黒船』のために、僕が詞を書いたのが『タイムマシンにおねがい』という一曲だった。それはもしもタイムマシンがあったら、好きな時代へと時空を移動し、恐竜の昼寝姿を見てみたり、明治の鹿鳴館での宴のさまを見てみたりしたいという、いささか吞気な願望を歌にしたものだった。

 だれもがそんな空想をするかは知らないが、いささか煮詰まり気味の21世紀の今日この頃、時には現実を逃避して、自分の夢見る世界へと、旅立ってみたくなるのも不思議ではなかろう。

 さてもしも今、時空を超えて、どこにでも望む所へ行けるというのなら、まずは1970年代のロンドンへ出かけてみたいと思う。

異国の地へタイムスリップした現代のジェントルマン。
異国の地へタイムスリップした現代のジェントルマン。

 僕の手には本棚の片隅から探し出した、『ファースト・ロンドン・カタログ』という、今は古びた一冊の書物があり、そこに紹介されていた「ロバート・ロウリー」という靴工房にもう一度行ってみたいと思うからだ。

 かつてその靴工房で誂えられた登山靴は、1953年エドモンド・ヒラリー卿率いる、英国のエベレスト登山隊が、世界最高峰の登頂に成功した時にも、隊員たちの足元を固めていたという。

 1970年代の終わり頃、セイモア・ストリートの一画の、住宅の半地下にあった工房を訪ねた時、ロウリーさんは長年のベンチワークのせいで腰を痛め静養中で、工房には出ておられず、代わりにロウリーさんの奥さんが応対してくださったのだった。

 もう新しい注文は受けられないが、もしも在庫している靴の中から、あなたに合うサイズのものがあればお譲りしますよと言われ、探し出したのがビブラムソールの、短靴スタイルのトレッキング・シューズだった。「しばらくはいていると、ソールに打ち込んである、竹のピンが出てくることがあるので、その時はまたお立ち寄りになっていただければ、直して差し上げます」と奥さんは言ってくださった。

 工房の壁にはエベレスト登山隊がはいた靴や、登頂成功記念の写真などが飾られていたものだった。

 僕がその店にいる間にも、遠くウエールズからの顧客が、見たこともない屋外作業用の、不思議なブーツの修理のためにやってきて、そこが世にも珍しい靴工房であることを感じさせてくれたものだった。

 その日はトレッキング・シューズのほかにも、オリーブグリーンの防水の効いた、コットン素材のマウンテン・パーカも手に入れたのだが、そのパーカにはラテン語で、ノンパレイユ=比類なき物というラベルが貼られていたのだった。

 僕が時間を超えた妄想旅行の行き先に、真っ先にこの工房を選んだのは、まだ靴づくりを楽しんでいた時期の、ロウリーさんの仕事ぶりを見てみたいと思うからだ。さらに少しはきこんだ僕の靴の手入れと、今ではサイズが小さくなってしまったパーカを、もう一度大きなものに買い替えてみたいと願うからである。

 さてその次に向かうのは、同じロンドンのバーリントン・アーケードにあった、「W・ビル」というニットとツイードの専門店だ。ここにはやはりエベレスト登山隊が愛用した、超軽量のシエットランド産のセーターやベストがある。この気象条件の厳しい島で育った羊の毛からつくられる、すばらしいニットウエアである。

 またこの店には、フェアアイル島の女性たちによる、手編みのニットウエアがあったものだ。厳しく荒れた海へと漁に出る男たちに、万が一のことがあった場合、そのそれぞれの家族独特の柄が、身元を明かしてくれるという、そんな情念が編みこまれたニットに、若き日の僕はあこがれたものだった。

 そして1970年代のロンドンには、まだまだ手仕事の粋が、あちこちの店が扱うさまざまな品々にはあったものだ。

 たとえばあの頃、容易に手に入れることができた、イニシアルを編みこんだ靴下なども、今はどこを探しても見つけられなくなってしまった。つくり手がリタイアしてしまい、後継者がいないと、よき物の伝統は、あっけなく消えてしまうものなのだ。

 さてロンドンの次は、ドーバー海峡を渡って、花の都パリを目指してみようか。なぜならパリの蚤の市の迷路こそは、タイムマシンそのものではないかと思うからだ。

 ありとあらゆる時代の遺物がそこには並んでいる。真贋のほどはわからないが、エジプトやメソポタミア、ギリシャ、ローマの古代文明が残したものや、絵画や彫刻、古い写真機もあれば、古地図やリヨンで織り上げられた、カシミール風のペイズリーの布、美しい銀製のグリップがつけられたステッキ、アールデコ・デザインの食器など、面白いものがそこにはあふれていたものだった。

 ある時クリニャンクールの蚤の市で、たくさんの古い帽子を並べている屋台を見つけ、現代にはないその素材のクオリティーの高さや、さまざまなデザインや色調の面白さに目を見張った。

フィルム・ノワールに登場する世界をイメージしたイラスト
フィルム・ノワールに登場する世界をイメージしたイラスト

 そのうちのいくつか、濃いえんじ色の、鍔つば広のソフトや、太いリボンの結び目が後ろにあるものなどを、驚くほどの安価で手に入れ、日本に持ち帰ったが、残念なことに今はもうそれらの帽子は手元には残っていないのだ。

 もちろん今でもよい帽子は手に入れることができるけれども、あの時見つけた帽子の中には、20世紀の初め頃を思わせるものや、凝った素材のリボンが巻かれたものなど、今ではどこでも見かけることがなくなったものがたくさんあったのだった。

 アクセサリーの類なら、人気が高かった「リリー・ガンダルフスキー」の店に行けば、古いボタンや眼鏡フレームなどが所狭し、と並んでいたし、その近くには厚手の革コートや、ツイードの上着を大量に扱っている店があった。

 そのように手に入れたものを身に着けると、まるで自分もフィルム・ノワールに登場する男たちになったような、気分に浸れるような感じがしたものだ。

 あの頃の蚤の市にはファッションセンスの面白い、粋な人物や奇抜な恰好の人々も多く、まるで人間博物館にいるようで楽しかった。

 パリにはもう1軒行ってみたい店がある。それは凱旋門の北にあるグランダルメ通りにあった「ラグノー・スポール」という小さなブティックである。

 そこにはチロルのローデンコートや手編みのニット、ネイティブ・アメリカンの手織りのラグを素材にしたコートなど、センスのよいスポーツウエアが世界中から集められており、店主の目利きには尊敬すべきものがあった。

 その店も今はすでに店を閉じて久しく、かつては世界のあちこちにあった、魂をくすぐってくれる品々を集めた店の、そのほとんどが歴史の彼方に消えてしまったのは残念なことだ。

 だから今は思い出のかけらを拾い集めて、手元に残ったあれこれを身に着けて、空想の時間旅行を愉しむほかはないようだ。妄想であれば今すぐ冬のビアリッツや、秋のイングランドの森へと、すぐさま出かけることができよう。

 思い出の詰まった洋服を選んで装い、気が向くままに世界のあちらこちらへと出かけてみる。

 1970年代といえば、当時サン・ジェルマン・デ・プレの裏道に、飲茶で人気のあった、中華料理屋があり、そこへもよく通ったものだった。

 ある日その店にソフト帽を被り、時代離れをしたチャンパオ=長袍と呼ばれる、中国服を颯爽と着た紳士が現れたのだった。

 それはまるで1930年代のパリに遊学していた、裕福な中国人のようなイメージだった。彼もひょっとしたら、時空を自在に移動する術を知っていた人物だったのかもしれないと思う。

この記事の執筆者
TEXT :
松山 猛 
BY :
MEN'S Precious2015年秋号紳士の妄想世界旅行より
1946年、京都市生まれ。盟友・加藤和彦のバンド「ザ・フォーク・クルセダーズ」や「サディスティック・ミカ・バンド」の作詞を担当。その後は編集者・ライターとして活躍し、『BRUTUS』をはじめとする雑誌の創刊に携わる。近年は時計やファッションへの深い造詣を活かした著作も多数出版。ジ
クレジット :
イラスト/早乙女道春  構成/山下英介(本誌)
TAGS: