スーツを仕立てた経験がなくても、カノニコの名前はご存知のはず。正式な社名は、ヴィターレ・バルベリス・カノニコ。1663年に創業した、紛れもなく世界最古の服地メーカーだ。生地づくりに関わる人や自然環境にも多大な努力を払う服地製造のプロ集団に、ジャーナリストの長谷川喜美氏が迫った。

最高級の厳選素材と、類い稀なる自然と人が織りなすエレガンス

北イタリアの美学と最先端テクノロジーの融合

 創業1663年、最古のラニフィーチョ(イタリア語で、紡績織物工場&メーカーの意味、英語のミル)ヴィターレ・バルベリス・カノニコ。年間760万平方メートル、スーツにして約300万着ぶんを製造、およそ8割を世界百か国に輸出しているグローバル企業である。ヨーロッパでは、バルベリスとして知られ、最高級服地で有名なメーカーの製造も請け負う同社は、ファッション業界でその名を知らぬものはない。

 同社に残る織物生産に関する最古の記録が1663年の『取り立て税共通記録』だ。この記録には税の一部として「サイア・グリザ(グレーの綾織生地)」を納めたことが記されている。当時の染色技術は一子相伝とされ、その卓越した生地づくりの伝統は、創業者ファミリーの13代目、現在はクリエイティブ・ディレクターをつとめるフランチェスコ・バルベリス・カノニコ氏の世代に至るまで継承されている。

「でき得る限り最高の素材を使用すること、クラシックであり、長く使い続けることのできるスタイルのある製品をつくること、そこに一切の妥協はありません」(カノニコ氏)

 通常、服地生産は分業制だが、オーストラリアの自社提携農場からの原毛買い付け、染色、撚糸、製織、仕上げに至るまで全工程を自社で一括管理。正真正銘のメイド・イン・イタリーである強みは、最上級のクオリティとリーズナブルな価格となって製品に生かされている。

 だが、ヴィターレ・バルベリス・カノニコの強みはそればかりではない。最新鋭の機器が並ぶオートメーション化されたファクトリーでは、画期的ともいえるCSR(企業の社会的責任)活動に早期から取り組んできた。

 この服地産業で織り工程に従事する作業員は、織機から出る極度の騒音のため、難聴を理由に引退する者が多かった。同社ではこの環境を改善するため、約100機ある織り機すべてに騒音防止用の特殊カバーを取り付けた。この取り組みは高く評価され、欧州労働安全衛生機関に表彰もされている。

 加えて、染色や仕上げ加工の工程で水は必要不可欠だ。水の使用量を従来の平均60Lから38Lに削減、排水は工場内で完全浄水され、源泉であるモッリエ川に返される。浄化処理済みタンクでは鯉や金魚が泳ぎ回っているほど、その浄化基準は厳しい。ほかにも大気汚染を防ぐべく排煙処理の機械も導入している。

 なぜ、同社はここまで人と自然の環境保護に多大な努力を払ってきたのか、その理由は明らかだ。「当社の社員は現在約400名、親から孫の3世代、さらにその子の4世代で働く者も珍しくありません。ファイン・ウールに加え、人、水、自然こそがヴィターレ・バルベリス・カノニコの服地に欠かすことのできない財産です。彼らは自分たちがつくりだす製品にプライドを持ち、それが製品のクオリティにも反映されています。ファミリーが創業した地、プラトリヴェッロこそすべての源であり、この環境と人を守ることが当社の哲学なのです」(同前)

新たな挑戦と、守り抜く服地メーカーとしての誇り

ベストセラーの4プライ、ピュアウールの生地を用いたA.カラチェニのジャケット。

 自らを「デザイナー・ビハインド・ザ・デザイナー」、デザイナーの背後にいるデザイナーと呼ぶフランチェスコ・バルベリス・カノニコ氏。彼がクリエイティブ・ディレクターに就任して以来、同社では新たな挑戦が行われている。

 2014年にオープンしたアーカイブルームもその筆頭に挙げられる。ここには19世紀を中心に2000を超える生地見本のアーカイブがコレクションされている。イタリア、フランス、イギリスを中心に収集され、ヨーロッパの毛織物産業の文化的遺産だとして、著名なデザイナーや研究者もここを訪れている。

 さらに今年の4月には、イタリアを代表するサルトリア、A.カラチェニとコラボレートしたショールームをミラノにオープンした。A.カラチェニといえば、フィアットの総帥ジャンニ・アニエリをはじめ、アニエリ・ファミリーの50年を越えるお抱えのサルトリアとして知られる名門である。
「はじめは思い付きから始まりました」とA.カラチェニの3代目カルロ・アンドレアッキオ氏はいう。「数年前は店舗だった1階が空いていたので、何か面白いことができないかとフランチェスコと話したのがきっかけです。うちでは長年ヴィターレ・バルベリス・カノニコのファブリックを使用しています。両社に共通しているのは長い歴史を持ち、イタリアのメンズファッションにおける伝統とエレガンスを共有していることでしょう」

 2015年7月にはA.カラチェニの仕立ての哲学を伝えるテーラー・シンポジウムを開催した。

「単純にビジネスのためというより、こうしたイベントを通して若い世代がス・ミズーラ(注文服)に興味を抱いてくれることがいちばん大きい。これが顧客への新たなアプローチになれば」と将来への展望を語った。

 紳士服地メーカーでは、服地の販売だけでなく、既製服を主にしたトータルブランドとして販売する傾向もあるが、フランチェスコの意見はこれとは異なる。「服地製造のプロフェッショナルに徹すること、この専門に特化することが重要なのです。また、そのことにわれわれは偉大な誇りを持っています」

 服地製造にかけた伝統と革新の哲学は、創業の地でこうして新たな1ページを刻んでいる。

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この記事の執筆者
TEXT :
長谷川 喜美 ジャーナリスト
BY :
MEN'S Precious2015年秋号 紳士服の頂点に君臨する「生地屋」のプライドより
ジャーナリスト。イギリスとイタリアを中心にヨーロッパの魅力をクラフツマンシップと文化の視点から紹介。メンズスタイルに関する記事を雑誌中心とする媒体に執筆している。著作『サヴィル・ロウ』『ビスポーク・スタイル』『チャーチル150の名言』等。
公式サイト:Gentlemen's Style
クレジット :
撮影/Lyle Roblin 構成・文/長谷川喜美
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