旅とは、旅先だけで行われるものではない。ひとつのきっかけさえあれば、自宅の書斎やリビング、そして車中や散歩の道すがらにいようとも男の精神はいともたやすく旅立てるのだ。ここではそんな妄想旅行のトリガーとなってくれる6つの静物、またはロマンティックな記憶装置をご案内しよう。

【ルイ・ヴィトン】ポストカード

 19世紀末から1960年代頃まで、旅には高級ホテルや航空会社で配布される、ステッカーがつきものだった。海外旅行自体がとても贅沢だった当時、スーツケースに貼られたそれらは最高のステイタスであり、旅のロマンをかきたてるものだったろう。あのルイ・ヴィトン家の3代目当主、ガストン―ルイ・ヴィトン氏は、そんなトラベルステッカーに魅せられた旅行家だ。彼が生涯を通じて蒐集した3000枚ものホテルラベルのコレクションから、なんと約900枚を掲載した豪華な書籍がルイ・ヴィトンで販売されている。500ページを超えるその本は、20世紀初頭のグランドツアーの幕開けを楽しむ彼の驚きと熱狂ぶりを封じ込めたかのように生々しく、読んでいるこちらも体が火照ってくるようだ。ちなみにその本には、付録として11枚の復刻版ステッカーが挿入。現代の飛行機やホテルはすこし味気ないから、私たちはそれをトランクに貼って、旅に出るとしよう。

ロマンあふれる、20世紀初頭の旅へ!

1920年の著書『わがトランクを巡る図像の旅』で、「ホテルラベルの跡を辿り、世界中を巡ろうではないか」と綴ったガストン-ルイ・ヴィトン氏。その言葉のとおり、その図案を眺める時間は、ちょっとした旅のようだ。ちなみにルイ・ヴィトンでは、エアラインのラベルを模したポストカードセットも扱っている。下/『世界を巡る旅――ガストン-ルイ・ヴィトン所蔵ホテルラベル・コレクション』¥8,964 上/ポストカードセット(30枚)¥7,128(ルイ・ヴィトン クライアントサービス)

【グローブ・トロッター】トランクケース

 グローブ・トロッターが誕生したのは1897年。豪華客船による世界旅行が広まりつつあった時代背景を考えると、「世界中を闊歩する人」という意味のブランド名は、現代でいうジェットセッターにあたる。象が踏んでも壊れないという合言葉で広まった『ヴァルカン・ファイバー』は、当時最先端の機能素材。そのトランクはセレブリティに加え、探検家や空軍にも携行されていた。時は流れ、旅の事情も旅行鞄の技術も、大きく進化を遂げた。しかしそんな現代にあってもこのトランクが支持を失わないのは、その存在がいつしかジーンズのような概念へと窯変したからだ。決して便利なものではないけれど、使い込むほどに色落ちして風合いを増し、所有者の思い出を刻み込んでいく―そんな、愛すべき存在に。数十年がたってあなたが旅に出なくなったとしても、ぼろぼろになったそのトランクは、いつだって輝かしき思い出を語ってくれるだろう。

ジーンズ感覚で楽しめるネイビーカラーを!

ジーンズのような味わいを求めるなら、やはりネイビーブルーがおすすめ。買った瞬間はそっけない雰囲気だが、数回ほど旅に出れば、塗装のハゲや引っかき傷などが現れ、そのエイジングの進み具合を最も早く実感できるはずだ。ホテルラベルを貼るなど、所有者ならではのカスタムも実に楽しい。ヴィンテージのトランク¥88,000(オールドハット〈グローブ・トロッター〉)

【ライカ】カメラ

 最新のiPhoneで驚くほど美しい写真が撮れ、SNSで瞬時に世界中へと拡散できる2015年。しかし簡単に撮った写真は、その光景を脳髄に焼き付けるという大切なプロセスを省略した、単なるメモ書きにすぎない。だから今こそライカ、しかも〝フィルム〟なのである。まずは底蓋を外して、フィルムを装塡。露出計が付いていないから、撮影現場ではよく光を観察しなくてはならない。そしてライカ特有の二重像合致によるピント合わせを経て、撮影。撮り終わったフィルムが現像から帰ってきて、はじめてその写真を見ることが許される……。現代においては面倒に思えるが、機械ではなく撮影者が自らスケッチをするように描いたフィルム写真は、どんなにピンぼけであろうとも記憶に深く焼き込まれ、決して消去されることはない。まるでスケッチブックのようなそのカメラを携えていれば、たとえひと駅分の散歩道であろうと、それは立派な旅なのだ。

だれもが旅に出たくなる不思議なカメラとレンズ

世界でも貴重な現行フィルム式カメラ『ライカMA』。電源を一切必要としない完全機械式カメラなので、モデルチェンジなどに惑わされることなく、一生使えることは間違いない。その場の空気感までをも完全に再現してくれる、驚きの描写能力を誇るライカレンズとともに。『ライカM―A』¥580,000・レンズ『ズミルックスf1.4/35㎜ASPH.』¥580,000(ライカカメラジャパン) ストラップ/参考商品(EXTENDED〈EPM〉)

キーホルダー

 旅先で集めたキーホルダーは、少年にとっては宝石にも等しい存在だった。だからといって大人になってもこんなものを集めているの?と笑われそうだが、フランスのアンティークキーホルダーは、今でも男の瞳を少年時代のように輝かせてくれる宝物だ。1960~70年代のフランスでつくられていた、透明なアクリル製キーホルダーは、もともと企業の販促用につくられ、無料で配布されていたという。なかでもブルボンという会社が製造していたキーホルダーは、洒落たデザインといい精巧な造形といい別格の存在で、眺めているだけでとても楽しい。世界中にコレクターが存在して、プレミアがついていることも多いのだが、付加価値だけで選ぶのは少年時代の自分に対する裏切りだ。世界中の都市が同じにおいになりつつある現代だが、このキーホルダーに封じ込められているのは、まさに恋焦がれていた’60年代のパリ。ぎゅっと握りしめると、時代の息吹が感じられる。

あのころのパリのにおいをポケットにしまって

製薬メーカーによるASPROという頭痛薬の宣伝用キーホルダー(左上)は、男性の頭のなかを車が駆け抜ける仕組み。現代の土産物屋で売っているアジア製キーホルダーとは別次元のクオリティやウィットは、効率至上主義に陥らず、正しいものづくりが行われていた時代の名残りだ。写真はすべてフランス雑貨店「クローゼット」が買い付けた『ブルボンキーホルダー』。価格など詳細は「クローゼット」のホームページ(clozzet.com)をご参照ください。

スノードーム

 仕事がひと息ついた深夜、リビングの棚に置いたスノードームの埃をぬぐって、それを逆さにしてみる。雪がほとんど降らないナポリ湾になぜか舞う、きらきらと光る雪……。スノードームの役割なんてたかがそれだけのことなのだが、その雪を眺めている間は、旅の思い出がよみがえり、胸がいっぱいになってくる。あの日のレストランで食べたピッツァの味、そして洗濯物がはためくスパッカ・ナポリの風景……。名もなき工場の流れ作業によってつくられた、シンプルで隙だらけの造形だからこそ、かえってそれらは私たちの脳髄を刺激するのかもしれない。だとするとスノードームは、記憶だけをよみがえらせてくれる、でき損ないのタイムマシンそのものだ。近頃よく見る写真を使った安易なスノードームはいただけないが、かといって高価な作家ものでも想像力はかきたてられない。土産物屋でちょうどいい塩梅のスノードームを見つけたときが、買い時だ。

いつか買い逃してしまったスノードームを手に入れたいなら、東京・世田谷の「スノードーム美術館」に行ってみよう。世界各国のスノードームが手に入るが、おすすめは、オーストリアで100年の歴史を持つペルツィ。アルプスの雪解け水を使ってつくられるそのスノードームは、普通のものよりも雪が細くて、ゆっくりと舞うのが特徴だ。その素朴な造形は、見るものすべてを癒してくれるだろう。すべて¥2,940(スノードーム美術館〈ペルツィ〉)

M-65 ブルゾン

 ハイテク素材を使ったジャケットは数多あるが、このミリタリーアイテムの傑作『M―65』にかなう旅用ジャケットはそうはない。何しろ大きな4つのポケットは、地図や財布はもちろん手帳やカメラまで入る、小さなトランクなみの収納力。しかもこのジャケットは、合わせる洋服しだいで何者にだって変身できる。ホワイトジーンズとネイビーブレザーの上にはおればまるでパリジャンのように洒脱にきまるし、はき古したジーンズと合わせれば、気分は1970年代の戦場ジャーナリスト。ちょっと怪しげな路地にだって、足をのばす勇気が湧いてくる。たとえば休日はバッグを持つことをやめて、『M―65』のポケットにすべてを入れて散歩に出てみてはどうだろう。お気に入りの詩集とカメラ、そして財布の中身だけを無造作に放り込んで……。このジャケットをはおって手ぶらで歩く解放感は、私たちをまるで旅先のように自由な気持ちにしてくれるはずだ。

軍用として生まれ、いつしか自由の象徴となったアウター

アメリカ軍が開発した、1965年モデルのフィールドジャケットの通称が『M-65』。1970年代には払い下げ品が多数流通し、ヒッピーやジャーナリストなど、自由な生き方を実践する男たちにこよなく愛された。映画『タクシードライバー』や『クレイマー、クレイマー』、『ランボー』などの主人公が着ていたことでも知られている。1990年代まで生産されていたが、近年は状態のよいアイテムが減少気味。今のうちに手に入れておきたい。ヴィンテージの『M-65』¥15,000(ユーロサープラス)

いかがだろう。長期休暇をとる余裕などなくても、気分次第で旅は楽しめるのだ。そのためにも、創造性を育み、機能的で格好いいモノにはアンテナを張っておきたい。

※価格はすべて税抜です。※2015年秋号掲載時の情報です。

この記事の執筆者
TEXT :
山下英介 MEN'S Preciousファッションディレクター
BY :
MEN'S Precious2015年秋号男の魂を揺さぶる 「妄想旅アイテム」より
MEN'S Preciousファッションディレクター。幼少期からの洋服好き、雑誌好きが高じてファッション編集者の道へ。男性ファッション誌編集部員、フリーエディターを経て、現在は『MEN'S Precious』にてファッションディレクターを務める。趣味は買い物と昭和な喫茶店めぐり。
クレジット :
撮影/戸田嘉昭(パイルドライバー) 構成/山下英介(本誌)