日本人靴職人の活躍が目立つなか、またひとり才気あふれる日本人のつくり手がデビューした。イタリア・ローマに靴工房を構える吉本晴一氏である。
吉本氏が漠然と靴職人を志したのは20歳代半ば。商社に勤めていた頃で、決して早いスタートではない。ある雑誌をきっかけに靴づくりに夢を描いたのだ。
ハンドソーンウェルトによるモンクストラップの靴
「商社に就職したものの、10年後の自分の将来があまり想像できませんでした。ちょうどその頃、靴の専門誌『LAST』を読み、自分よりも上の世代の方が、イギリスやイタリアに渡って靴づくりしていた。こんな素晴らしい世界があるんだ、と触発されました」
家族の猛反対を振り切り、必ず靴づくりをものにすると決意し、26歳でローマに渡る。しかし、現実は甘くはなかった。情熱さえあればどこかのビスポーク靴店に潜り込めると吉本氏は思っていたが、「今のあなたに何ができる?」と問われると、返す言葉はなかった。
それでも、イタリアの電話帳を片っ端から調べ、靴店に連絡。その数70軒に及んだ。
なんとか見習いとして勤められたのが、ローマの「サルヴァトーレ・ポリタノ」。日本ではほとんど無名の靴店だったが、そこを拠点にして、ボローニャ、フィレンツェ、ミラノなど、靴づくりを学べる工房を巡った。
「フィレンツェで靴づくりの手伝いができるようになり、その仕事の合間にハンドソーンウェルトで仕上げたサンプルの靴を、地元の靴職人さんに見てもらっていました。指摘された不十分な場所をつくり直しては、出来具合をチェックしてもらうことの繰り返し。これが凄く勉強になりました」
同時期に、外注でつり込みの仕事も続け、実践で靴づくりの技術を磨いていく。
「相当の数のつり込みを経験してきました。アウトソースでは、ローマの『ペトロッキ』『メルクーリオ』『マリーニ』のほか、フィレンツェの『マンニーナ』、イギリスの有名靴店の仕事も得られるようになりました」
イタリアやイギリスのビスポークメーカーの靴づくりを支えるうちに、いよいよ手応えを掴み、「自分の靴を、どうしてもつくりたくなりました」という。そして2017年、堅牢なハンドソーンウェルトの靴をインスタグラムにアップし、同年12月に初めてのトランクショーを日本で開いた。
英国的な雰囲気を漂わせる丸みを帯びた木型の3足
一から靴づくりをイタリアで学び、念願のビスポークブランドを立ち上げるまでに成長した吉本氏。190㎝を超える長身のため、「のっぽ」を意味するイタリア語の『ペルティコーネ』をブランド名とした。まだまだ、自分のスタイルを探っているところだが、男らしくどっしりと安定感のある、いつまでも飽きない靴に自分らしさを表現する。
【お問い合わせ先】perticonebespoke@gmail.com
- TEXT :
- 矢部克已 エグゼクティブファッションエディター
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- PHOTO :
- 小倉雄一郎