【目次】
南青山ってどこにあるの?「場所」と「地図」
南青山の「場所」
青山通り(国道246号)沿いの南側にあるのが港区「南青山」です。そして、北側にあるのは港区「北青山」という地名です。
南青山は、話題のショップや時代を先駆けるハイブランドの旗艦店、注目のカフェやレストランのなどが立ち並ぶファッショナブルな高級住宅街。憧れの街としてトップに君臨しています。南青山は、国立新美術館に近い1丁目から青山学院大学に近い7丁目で構成されています。
南青山の「最寄り駅」
交通の便が良く、幅広い駅が利用できます。表参道駅では東京メトロ銀座線、千代田線、半蔵門線。外苑前駅では東京メトロ銀座線。青山一丁目駅では東京メトロ半蔵門線・銀座線、都営地下鉄大江戸線。乃木坂駅では東京メトロ千代田線が利用できます。バスも豊富です。表参道駅周辺はとても賑やかですが、大通りから1本入ると表参道付近の喧騒とはかけ離れた閑静な住宅街があります。
南青山の「地図」
賑わいのある「大通り」の特徴
南青山界隈には、ショッピングが楽しい通りが複数あります。正式名称と共に、通称でも親しまれている通りです。
◆骨董通り (高樹町通り)
青山通りの南青山五丁目交差点~六本木通りの高樹町交差点を結ぶ道です。 骨董通りには、インテリアショップにフード店、レストラン、カフェ、アパレルショップなど、様々な形態のお店が立ち並ぶおしゃれな通り。 近頃ではメガネ屋も多く、999,9(フォーナインズ)や、DITA、MOSCOT、EYEVAN7285、Eyevol、CRADLE、などがあります。
この通りで歴史のある建物は1980年( 昭和50年)竣工の 小原流会館。いけばな三代流派のひとつ小原流の東京拠点となっています。
◆みゆき(御幸)通り
骨董通りと隣り合う道がみゆき通りです。南青山5丁目の交差点からのびています。昭和天皇が明治神宮に行幸する際に使われた道なのでこの名前がついたのだそう。落ち着いた雰囲気の通りで、道路に面した1階に路面店が立ち並びます。
バレンシアガ、コム デ ギャルソン、プラダ、ミュウミュウ、イッセイミヤケなどハイブランドが並んでいます。特徴的な建物といえば昭和53年(1978年)に誕生した象徴的な青いタイル貼りのヨックモック青山本店。併設された人気のカフェでは、お馴染みのシガールやケーキなどを提供しています。
◆キラー通り(外苑西通り)
南青山4丁目あたりから仙寿院交差点交差点までを、通称キラー通りといいます。この名は、コシノジュンコさんが名付けたと言う説が一般的。家具や雑貨などアート関連のお店が点在していて雰囲気のある通りです。古くから営む飲食店などもあります。青山陸橋を上がると、青山霊園に続く道には春には桜が咲きほこり、名所のひとつとなっています。
南青山の「歴史」
南青山の「由来」とは?
青山という地名は、天正18(1590)年に、青山忠成が徳川家康から屋敷地として拝領したことが起源とされています。忠成が家康の鷹狩りに随行したある日、家康が忠成に「馬に乗って一回りして参れ。その範囲の土地を屋敷地として与えよう」と言い、忠成は馬を走らせ広大な土地を賜ったと言う話も伝えられているそう。「青山家」は後に丹波篠山藩主、美濃郡上藩主となります。
青山通りは、江戸時代には大山街道と呼ばれていました。 台地の尾根部にあったこの道は、相模国の霊山・大山へ向かう人が通ったことから名づけられたのだそう。大山街道を挟んで、青山家の邸地が北の本家と南の分家に分与され、南側にあった美濃郡上藩青山家の下屋敷跡は、明治5年(1872年)に神式による墓地として開園、その後明治7年(1874年)に青山霊園となりました。屋敷脇にあった梅窓院は青山家の菩提寺です。青山通りから梅窓院まで美しい竹林が続きます。
なぜおしゃれの発信地に?
1923年(大正13年) 内閣府が設立した同潤会が「同潤会青山アパート」と呼ばれるアパートを表参道に建設。耐震耐火で設計された、鉄筋コンクリートによる最先端の建築技術を駆使した近代的なアパートとして注目されました。このアパートには、後にブティックやギャラリーなど、おしゃれなお店が多く集まるようになりました。このアパートがあった場所は現在の表参道ヒルズです。
昭和39年(1964年)東京オリンピックが開催のために青山通りが拡幅され、メインスタジアムとなる国立競技場が建設されると、その周辺も再開発されました。そして、青山一帯は現在のようなおしゃれの街へと発展して行きます。
1960年代にはアイヴィーファッションブランド「VAN」の創業者石津謙介氏が青山に本社をおきました。それから、日本のファッションを一変させたデザイナー、コシノジュンコ、山本耀司、川久保玲、三宅一生も拠点を青山にしています。「ISSEY MIYAKE」(1976年)、「コムデギャルソン」(1976年)が南青山にお店をオープンさせ、海外ブランドも集まるようになります。
南青山の3つの「魅力」
■1:ブランドの旗艦店、最先端の情報が集まる
南青山には、ハイブランドの旗艦店が多く集まります。また、この地に1号店を出したいというブランドが多くあります。無印良品が第1号店を1983年に出したのも青山でした。最先端の情報が集まる青山というイメージが、進出するブランドにも付加価値になるのかもしれません。ファッションブランドなどが1号店を出す場所に南青山を選ぶことも多くあります。そんな街の雰囲気が、訪れる人にも刺激を与えてくれます。
青山でスタートさせた歴史のあるお店としては、明治43年(1910年)創業の紀ノ国屋や、日本のオーガニックブームの先駆けとして知られる昭和57年(1982年)設立のナチュラルハウスなどがあります。
■2: 名門市立大学の幼稚園など教育環境が整う
近くには、私立小学校御三家と呼ばれる 私立青山学院初等部や、 青山学院附属幼稚園、青山学院大学があります。公立小学校では、明治8年(1875年)開校の伝統校、港区立青山小学校や、明治39年(1906年)に創立された港区立青南小学校などがあります。
■3: 美術館などの文化施設も多い
根津美術館では、国宝7件を含む日本と東洋の古美術品を約7,400件収蔵しているそう。広大な敷地には、日本庭園があり、4つの茶室があります。
根津美術館前の通りを骨董通りの方向へ進んでいくと、彫刻家 岡本太郎記念館があります。岡本太郎が1954年(昭和29年)から暮らし、作品を作り続けたというアトリエが、当時のまま残されています。
そしてそのすぐ近くには、国内外の有名有名アーティストが公演する、ジャズの聖地「ブルーノート東京」があります。ブルーノート東京は、ニューヨークの「ブルーノート」の支店として1988年(昭和63年)に開業しました。元々、骨董通り沿いで開業しましたが、この場所に移転したそうです。
また、青山霊園の近くには、国内最大級の展示スペースを有する国立新美術館があります。ガラス張りの建物が周囲の緑に溶け込んでいて、とても心地の良い空間です。
この地を長く愛する住民の手によって凛とした佇まいが守られる一方で、世界と繋がるカルチャーが次々と生み出される南青山。常に刺激を放ち、その魅力に惹きつけられる人々たちがさらに集まってくるというスパイラルによって、「港区ブランド」をけん引するもっとも重要なエリアのひとつといえるでしょう。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- Getty Images,AC
- WRITING :
- 柳堀栄子