Column : 持たない時代に「持つ」ということ

ものを「持たない」「買わない」ことに目が向けられている今、名品とどのように付き合い、何を求めるのか? プレシャス世代の3人の女性がそれぞれの視点で語ります。経年変化にこそ、ものの価値を見出す。

今回は俳優・鈴木保奈美さんに、ご自身の経験を踏まえて独自の視点で語っていただきました。

鈴木保奈美さん
俳優
1966年生まれ。俳優、ときどき物書き。’86年女優デビュー以来、数多くのドラマ、映画に出演。著書にエッセイ『獅子座、A型、丙午。』(中央公論新社)。NHK総合 土曜ドラマ『ひきこもり先生 シーズン2』が 前編/12月17日・後編/24日 22時〜23時13分 放送予定。

経年変化にこそ、ものの価値を見出す。それは自分を育て、愛すること|俳優・鈴木保奈美さん

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『Precious』2021年10月号より 撮影/長山一樹(S-14)

目が合ってしまったのだ。その、スウェードのブルゾンと。いやいやいかん、これは贅沢すぎる。そう自らに言い聞かせて背を向けて、それからどんなにたくさんの、ラックに並んだ美しい色の洪水、指先をくすぐる夢のような手触り、キラキラやふわふわやつるつるのアトラクションに呼び込まれても、もうわたしの髪は後ろにしか引かれない。気がつけばいつの間にか、あのブルゾンの前に戻ってきているのだ。

サーブル/砂色、あるいはサンドル/アッシュグレイと形容するのがふさわしいだろうか。カフェオレ色よりも少し緑がかった、なめして起毛しただけのそっけない色味。重量を感じさせない薄さ。乾いているのにしっとりまとわりつくような感触。このスウェードに、わたしは滅法弱い。わかりやすく、眼にハートが浮かぶ。胸がときめく。口元がほころぶ。そこに等間隔で穴の開いたパンチング加工がしてあったなら、もうノックアウトだ。

好きに、理由なんかない。とにかくずっと前から、無条件に、生成りのパンチングのスウェード、というものに惹かれてしまう。でもきちんとしたスウェードはとても高価だから、ほんのたまに、偶然と勇気が重なった時にしか手に入れることができない。まあ、ちょっとした文房具なんかには、ちょこちょこ手を出してしまいますけれどね。

そうして皮革は手に入れた瞬間から、一直線にエイジングの道を辿る。パリッと洗って新品同様の姿に戻ることはない。だからこそ惜しい。素材の不可逆性。いわば家具と同じ…。ああ、ちょっと待って。人間と一緒じゃないの。経年変化にこそ価値がある。そう気がつけば、「ものを持つ」ことの意味は劇的に変わってくる。

美しいスウェードが、ブルゾンというゴージャスな姿で目の前にある。わたしは抵抗するのをやめた。様々な、理由をつけて。たくさんの言い訳を並べて。あとはその言い訳を、自分にとっての真理にしていくまでだ。ええい、清水の舞台から飛び立ってやる。このブルゾンを連れて、もっと高みへ昇ればいい。

大事に胸に抱えて連れ帰った(もはや擬人化している)ブルゾンの顛末を語れば、家族も友人たちも、ああ、あなた好きよね、昔から、と予想していたかのような笑みを返してくる。そう、わたしはパンチングスウェードの、小さなバッグを愛用していた。夏用のジレは毎年海辺で着ているから、この二十年、いつの写真にも写っている。この素材とわたしとの愛の物語を周りの人々が認知してくれていた、という事実がなんとも嬉しく、なぜだか誇らしい。

ものは増やしたくない。けれどものへの愛は育てたい。このブルゾンをどんなふうに着こなしていくか、想像を巡らすことは楽しみでしかない。できることならカーディガンのように、スウェットシャツのように身につけたい。経年変化を恐れず、そこにこそ価値を見出したい。それは自分をも育てるということ。自分を愛すということ。

 

EDIT&WRITING :
藤田由美、池永裕子(Precious)