目次
小石川の場所は?「最寄り駅」と「地図」
小石川の「場所」
文京区役所「文京シビックセンター」を左手にして、春日通りを高台に向かって上っていく右手側にあるのが、小石川地区です。春日通り沿いにある富坂警察署の先を右に曲がると、伝通院があります。ここには、幕末に編成された新撰組の礎を築いたとされる清河八郎の墓が。彼は新撰組の前身となる浪士組の結成を提唱した人物です。春日通り沿いにはオフィスが立ち並んでいますが、道を1本入った伝通院の周辺などは都心とは思えないほど静かで穏やかな空気が流れています。
小石川の「最寄り駅」
都営三田線・大江戸線の通る春日駅や、東京メトロ丸の内線・南北線の通る後楽園駅などが利用できます。後楽園駅から池袋駅までは電車で7分、永田町までも電車で10分程度です。
小石川の「場所」
小石川の「歴史」
嘉永7(1854)年に発行された「東都小石川絵図」によると、現在春日通りの一部になっている富坂(西富坂)があったのは、右下にある水戸藩邸北側の火除け地とされている辺り。現在は緩やかな坂ですが、当時はとても急な坂だったよう。右下に「水戸殿」という文字が見えますが、この辺りが現在の小石川後楽園や東京ドームシティなどがある場所です。江戸時代は、水戸藩徳川家の上屋敷でした。水戸藩主は江戸に定住していたので、ここで多くの時間を過ごしたことでしょう。
右上に見える木々に囲まれた場所が、現在小石川3丁目にある「伝通院」です。伝通院は、応永22(1415)年に開山されたお寺。200年後の慶長7(1602)年に徳川家康公の生母於大の方が75才にして伏見城で逝去。その法名を「傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」と号し、この寿経寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるようになったとか。
小石川の「由来」
文京区は起伏に富んだ地形が特徴的です。小石川地区には小石川台地があり、東京ドームシティなどがある春日一帯には、小石川大沼と呼ばれた湿地がありました。そして、谷筋に沿って川が流れていたといいます。諸説ありますが、その川が古くから小石川と呼ばれていたことが地名の由来ともいわれています。
小石川の「魅力」
■1: 文句なしの教育環境
文京区には、東京大学、お茶の水女子大学、東京医科歯科大学、筑波大学といった国立大学があります。 さらに 区内には3つの国立小学校(筑波大学附属小学校、お茶の水女子大学附属小学校、東京学芸大学附属竹早小学校)が。小学校はどれも徒歩圏内です。また、悠仁さまの進学で有名になった筑波大学附属高等学校、お茶の水女子大学附属高等学校、桜蔭学園、都立小石川中等教育学校なども有名。子どもの教育にとっては、最高の場所となるでしょう。
■2: 歴史のある古い街並み
善光寺や沢蔵司稲荷と伝通院本坊の間にある坂道には、大きなムクの木が立っています。江戸時代にも存在していたようで、江戸名所図会「無量山境内大絵図」にも登場しています。この辺りは伝通院の境内でした。伝通院周辺にはお茶屋があり、憩いの場になっていた模様。この坂は現在、「善光寺坂」と呼ばれています。坂の由来となっている善光寺は明治時代に改称されたお寺の名。その前までは「縁受院」と呼ばれていて、徳川将軍家の菩薩寺伝通院の塔頭でした。そして、この辺りには、小説家の幸田露伴や徳田秋声、歌人・島木赤彦などの文人や歌人が住んでいたそう。文豪・永井荷風の故郷もこの辺り。随筆『伝通院』では、生まれ育った小石川にある伝通院の美しさをパリのノートルダム寺院に重ねた一節が有名です。
■3: 娯楽施設が集結。ショッピングも便利
後楽園駅を降りるとすぐに目に入るのが、東京ドームシティの観覧車やジェットコースター。スパ ラクーアには、天然温泉施設もあります。後楽園駅周辺にはディスカウントストア ドン・キホーテも。徒歩で15分程度の茗荷谷駅のほうに歩いていくと、スーパーマーケット三徳や、野菜がお手ごろ価格に手に入るスターフルーツ茗荷谷店などがあり、生活しやすい環境が整っています。
歴史のある小石川を紐解いていくと、江戸時代からの歴史が今でも大切に守られていることがわかります。だからこそ静かで落ち着いた雰囲気の街並みが続いているのでしょう。教育機関も充実していて、日々の買い物にも困らない、さらに大型の娯楽施設もあるこの場所は、特に子育て世代にはイチ押しの高級住宅街でした。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- AC,柳堀栄子
- WRITING :
- 柳堀栄子