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八雲ってどこにあるの?「場所」

八雲があるのは東京都目黒区の西側。ここは世田谷区と接している高級住宅街です。1丁目から5丁目まであり、近所には緑豊かな「駒沢オリンピック公園」が。また、駒沢通りを挟んで北側すぐに高度・急性期病院として定評のある「東京医療センター」があり、安心感があります。

八雲の「最寄り駅」

都立大学駅は、何度も駅名が変わったことでも知られている駅。1927年(昭和2年)に開設され、当時は「柿の木坂駅」という名前で呼ばれていました。「旧制府立高等学校」の移転とともに駅名が変更され、学校の名前が変わる度に何度か駅名を改称。1952年(昭和27年)に現在の「都立大学駅」となりました。
都立大学駅は、何度も駅名が変わったことでも知られている駅。1927年(昭和2年)に開設され、当時は「柿の木坂駅」という名前で呼ばれていました。「旧制府立高等学校」の移転とともに駅名が変更され、学校の名前が変わるたびに何度か駅名を改称。1952年(昭和27年)に現在の「都立大学駅」となりました。

八雲から近いのは東急東横線の「都立大学駅」。渋谷方面や横浜方面への移動がしやすく、渋谷へは10分ほどでアクセスできます。路線は1本ですが、東急東横線は東京メトロ副都心線やみなとみらい線と直通運転をしているので、池袋駅や横浜駅までは20分程度で到着できるのも魅力です。特急は停車しませんが、各駅停車も本数が多いので不便は感じません。

東京都立大学のあった跡地には、平成14年9月『めぐろ区民キャンパス』がつくられました。建物の脇には「府立高等学校と東京都立大学の門跡」がありました。
東京都立大学の跡地には、平成14年9月「めぐろ区民キャンパス」がつくられました。建物の脇には「府立高等学校と東京都立大学の門跡」が建っています。

都立大学駅は、以前ここに東京都立大学があったことからつけられた名前です。現在、大学は八王子市に移転。そのため、駅名変更も検討されましたが、住民アンケートにより親しんだ名前が使われ続けているのだそうです。ちなみに、都立大学は2005年に東京都立科学技術大学、東京都立保健科学大学、東京都立短期大学と統合、首都大学東京として再編されたのち、2020年に再び東京都立大学と名称変更しています。

八雲の「地図」

八雲の「歴史」

八雲周辺は開発されず、昭和10年代までは呑川の流域に田畑や野原が長閑に広がる農村地域でした
八雲周辺は開発されず、昭和10年代までは呑川の流域に田畑や野原がのどかに広がる農村地域でした。

八雲の辺りの土地は呑川(のみがわ)の本流・支流に挟まれていてとても起伏に富んだエリアでした。畑がたくさんあって、大根や芋、たけのこが採れたそうです。江戸時代、目黒は6つの村(上目黒村、中目黒村、下目黒村、三田村、碑文谷村、衾村)に分かれていました。現在、八雲1丁目・2丁目・4丁目・6丁目にまたがる環七通りの南側全域は「衾(ふすま)村」と呼ばれていました。明治22年に碑文谷村との合併により「衾村」の名が消えて「碑衾(ひぶすま)村」に。昭和2年からは碑衾町に継承され、昭和7年ごろ、東京市に編入。目黒町と碑衾町が合併して目黒区が誕生すると「衾町」として名前が残るのみとなります。そして昭和39年には、ついにその名前は姿を消しました。

「衾」という文字が残されている「区立衾村公園」。交通公園が併設されていて、交通ルールを学ぶことができる珍しい公園です。
「衾」という文字が残されている「区立衾村公園」。昭和37年(1962年)に開園したそう。信号や横断歩道のあるコースで交通ルールを学ぶことができる珍しい公園です。

「衾」の領主であったのは、世田谷吉良(きら)氏。吉良氏が建立した東光寺をはじめ、常円寺、金蔵院、衾村の鎮守である氷川神社など、古社寺が連なる旧衾村の中心地だったのが八雲でした。八雲にある金蔵院(こんぞういん)は明治4年(1871年)に目黒区で初めての小学校(のちの八雲小学校)が開設された寺という歴史をもっています。

八雲の「由来」とは?

かつて「衾町」地域の鎮守、氷川神社があるのは、都立大学駅から7分くらいの距離。とても静かで心地の良い場所。9月のお祭りでは大蛇退治の伝説を表す「剣の舞」が奉納される。
かつての「衾村」地域の鎮守、氷川神社があるのは、都立大学駅から徒歩で7分くらいの距離。とても静かで居心地の良い場所です。お祭りでは大蛇退治の伝説を表す「剣の舞」が奉納されているそう。

八雲という地名が生まれた理由には、明治7年に最初にできた区立小学校、八雲小学校(開校当時は八雲学校)と八雲2丁目にある氷川神社が大きく関与しています

氷川神社には、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祀られています。太陽神の天照大神(あまてらすおおかみ)の弟で、八岐大蛇(やまたのおろち)という頭が8つある大蛇を酒に酔わせて三種の神器である草薙(くさなぎ)の剣で退治したという神話の主人公でもあります。そのときに助けた櫛名田姫(くしなだひめ)と後に出雲で結婚をし、歌ったのが

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」

という句。これは和歌の起源とされています。

意味は「盛んにわき起こる雲が、八重の垣をめぐらしてくれる。新妻をこもらせるために、八重垣をめぐらすことよ。あのすばらしい八重垣よ」。小学校の名前は、この和歌に出てくる「八雲」から付けられました。そして、「八雲小学校」があるその地の名称が「八雲」となったのです。八雲は小学校の名前が地名になった、日本でも珍しい地域なのです。

八雲の3つの「魅力」

■1: 街づくりガイドラインがあり住環境が守られている

道路幅も広く、静かなエリア。低層住宅が並んでいる。これだけの大きな敷地が手に入り、住環境が守られている場所は都心部ではなかなか珍しい。著名人たちが好んで住むのも納得。
道路幅も広く、静かなエリア。ひとつ一つの敷地が大きく、豪華な低層住宅が並んでいます。これだけの大きな敷地が手に入り、住環境が守られている場所は都心部ではなかなか珍しい。著名人たちが好んで住むのも納得です。

このエリアのほとんどが、第一種低層住居専用地域。低層住宅のための地域です。なかでも八雲4丁目付近を歩くと、一軒一軒の敷地の面積がとても広く、立派な低層の邸宅が並んでいるのが気になります。調べてみると、「街づくりガイドライン」というものがあり、そのルールのひとつにあるのが、敷地の最低規模は150平方メートル、建物の高さは10メートル以下という制限。建物の色などのデザインやフェンスなどにも言及しているので、町全体に美しい統一感があります。これだけの土地を確保できているのは都心部ではなかなか珍しく、「広くて大きな家に住みたい!」という皆さんにはおすすめの貴重なエリアです。

■2: めぐろ区民キャンパス、東京医療センターなどが近くにあるのも安心

その土地に暮らすとなると気になるのが公共施設や病院の位置。八雲地域には、街のシンボルとなる区内有数の複合施設「めぐろ区民キャンパス」があります。

広い芝生が魅力的なめぐろ区民キャンパス公園も。どんぐり林や小川も流れていて、子どもたちにとっては嬉しい遊び場だ。
広い芝生が魅力的なめぐろ区民キャンパス公園も。小川が流れて涼しげなビオトープや子どもたちのアイデアでつくられたどんぐり林があり、子育て世代にとってはうれしい遊び場。

文化ホールのある「めぐろパーシモンホール」、バスケットボールコートやバレーボールコートなどがある「八雲体育館」、そして区内全8館の中央館で約40万冊を所蔵している「八雲中央図書館」、区民のための葬儀専用式場や心身障がい者に対する相談やデイサービスを行う施設もあります。

駒沢通り沿いには国立の東京医療センターがあり、その先には42万㎡の広大な駒沢オリンピック公園がある。
駒沢通り沿いには国立の東京医療センターがあり、その先には42万平方メートルの広大な駒沢オリンピック公園があります。

駒沢通りを越えるとすぐのところに「東京医療センター」があるのも安心。駒沢通り沿いには、カフェやパン屋、スーパーマーケットの「成城石井」などが並んでいます。駅まで行かなくても生活しやすい環境が整っているのもうれしいポイント。

■3:緑に囲まれていて都会の喧騒を忘れられる

駒沢オリンピック公園
駒沢オリンピック公園は、昭和39年(1964年)にアジアで初めて開催された東京オリンピックの第2会場として造られました。女子バレーボールやレスリング、ホッケーやサッカーなどが開催されたそう。

八雲のすぐ隣にあるのが上でも少し触れた「駒沢オリンピック公園」。大きな木々に囲まれたこの公園内には約2kmのジョギング・サイクリングコースや、「うま」「ぶた」「りす」と名付けられた子どもの遊び場などがあります。夏季限定で泳げるジャブジャブ池やドッグランなどもあります。

大きな敷地が売却される際、分割されて使い勝手の良い小さめな家が立ち並ぶエリアに様変わりすることが多い昨今ですが、この八雲地域は別。大きくて立派な戸建てが建ち並んでいることが印象的でした。「駒沢オリンピック公園」からも近く、頼りになる病院もあるこのエリアが、高級住宅街として人気の高い理由がわかりました。


参考:みどりの散歩道(目黒区)
   めぐろの歴史と文化(目黒区めぐろ歴史資料館)
          目黒区ホームページ
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PHOTO :
AC,柳堀栄子
WRITING :
柳堀栄子