【目次】
柿の木坂ってどこにあるの?「場所」
政治家や芸能人などが好んで住む高級住宅街「柿の木坂」があるのは、目黒区。柿の木坂は、1丁目から3丁目まであって、お菓子の「柿の種」のように細長い形をしています。最寄り駅は東急東横線「都立大学駅」。急行は止まりませんが、環七通りと目黒通り、そして柿の木坂通りの3つの道路に囲まれたこのエリアは、車移動の多い人たちには最適。エリアの中央には呑川が流れていますが、暗渠化されて地図上では遊歩道となっています。
柿の木坂の「最寄り駅」
東急東横線の「都立大学駅」が最寄り駅です。渋谷へは10分ほど。東急東横線は東京メトロ副都心線やみなとみらい線と直通運転をしているので、池袋駅や横浜駅までは20~30分程度で到着できるのも魅力です。都立大学駅の名前は、以前ここに東京都立大学があったことが由来です。1927年に開通した際は「柿の木坂駅」という駅名でした。
柿の木坂の「地図」
柿の木坂の「歴史」
もともとの柿の木坂は現在と場所が異なり、碑文谷警察から都立大学駅まで下る目黒通りの坂の名前でした。現在はなだらかですが、かつては大きく湾曲した急坂だったそうです。かつて神田や京橋などの市場に農作物を出荷していた農家の方々にとってもこの坂は大きな難所で、毎回数人でチームを組み、それぞれの大八車を一台ずつみんなで引き上げて乗り越えたといわれています。
昭和初期、「大きな区画にして大きな土地を買う能力のある人に購入してもらう」という都市計画のもと、地主たちによって耕地整備が行われました。以降、細かく分割、分譲されることも少なく、今でも広くて大きな邸宅が建ち並ぶエリアとなっています。
柿の木坂の「由来」とは?
なぜこの坂が「柿の木坂」と呼ばれるようになったのでしょうか。「大きな柿の木があったから」という説や、柿を運ぶ荷車から柿を盗む子どもたちが多かったことから「柿抜き(かきぬき)坂」と呼ばれ、それがいつしか「かきのき(柿の木)」となったなどの説があります。
「柿の木坂」という町名になったのは目黒区が誕生した昭和7年のこと。それまでは、現在の東が丘と八雲の一部が合わさって「荏原郡衾村字東根」と呼ばれてきました。呑川の侵食で複雑な谷をつくっていたこの辺りには、「根」とつく地名が多くあったそう。「根」というのは谷のひだとか、大地の縁(ふち)という意味。「根」のつく場所は、泉が湧いて、人が暮らしやすい場所だったようです。「東根」という名前は目黒区立の小学校「東根小学校」の名前として現在も残っています。
柿の木坂の3つの「魅力」
■1: 緑豊かな遊歩道がある
現在は暗渠化されている呑川の上は「柿の木坂支流緑道」になっています。ここは、写真のように木々が植えられている遊歩道でお散歩にぴったり。コナラやサルスベリ、ヒメリンゴなど武蔵野の雑木や花木70種類が植えられ、春には桜を楽しむことも。
■2: 碑文谷公園や駒沢オリンピック公園が近い
柿の木坂周辺にはふたつの大きな公園があります。
◆碑文谷公園
古くから灌漑用水として水田に使用されていた三谷池(弁天池)とその周辺は、昭和7年に東京都に寄付されて碑文谷公園となりました。現在は、ボート場があり、有料でボート遊びもできます。
◆駒沢オリンピック公園
アジアで初めて開催された昭和39年(1964年)の東京オリンピックの第2会場として造られた公園。41ヘクタールあり、サイクリングコースやランニングコースなどもあって、いつもたくさんの人が体を動かして運動を楽しんでいます。周辺にはおしゃれなカフェやレストランもあり、休日を優雅に過ごせます。
■3: 目黒通りにはおしゃれなお店がたくさん
世界各国の家具を取り扱う個性的なインテリアショップがずらりと並んでいることから「インテリアストリート」とも呼ばれている目黒通り。そのほかにも、おしゃれなカフェやケーキ店、ランチができるレストラン、絵画を扱うギャラリーも。
***
感性を磨けるおしゃれな通りあり、のんびりと過ごせる大きな公園あり、文化施設あり。このエリアに住んだら、充実した毎日が送れそうです。渋谷にも近いエリアですが、落ち着いた雰囲気があるのも魅力。高台にあって日当たり良好のこのエリアで暮らしてみたくなりました。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- AC,柳堀栄子
- WRITING :
- 柳堀栄子