【目次】

本駒込ってどこにあるの?「場所」

駒込天祖神社付近には、稲荷坂という坂があります。この坂名は、坂上にあった高木家屋敷にあった宗十郎稲荷に由来しているそう。この周辺の名主(なぬし)役を務めていました。名主とは、江戸町年寄の指揮を受けて、支配地内の町人の取締りの責任を負う役職です。この名主屋敷も近くに現存しています。この辺りは、歴史が古く趣のあるエリアなんです。
本駒込3丁目にある天祖神社付近には、稲荷坂という坂があります。この坂名は、坂上にあった高木家屋敷にあった宗十郎稲荷に由来しているそう。高木家は、この周辺の名主(なぬし)役を務めていました。名主とは、江戸町年寄の指揮を受けて、支配地内の町人の取り締りの責任を負う役職です。この名主屋敷も近くに現存しています。

東京都文京区にある本駒込はとても広く、本駒込1丁目から6丁目まであります。本駒込5丁目にある「富士神社」、本駒込3丁目にある「天祖神社」や「吉祥寺」など、由緒ある寺社が点在していて風情があり、歩いていて気持ちの良い場所です。このエリアのシンボルとなっているのが、「六義園(りくぎえん)」。本駒込6丁目にあり、 春にはしだれ桜の花見客が、秋になると紅葉の見物客が大勢訪れる観光スポットにもなっています。

本駒込の「最寄り駅」

駒込村(現在の文京区と豊島区)はソメイヨシノの発祥の地としても有名です。駒込や巣鴨付近には、駒込の大字で「染井」と呼ばれたエリアがありました。ここで売っていた桜の名前です。そのことから、JR山手線の駒込駅発車メロディは、「さくらさくら」になっています。
江戸時代の駒込村(現在の文京区と豊島区)はソメイヨシノの発祥の地としても有名です。当時、駒込や巣鴨付近に「染井」と呼ばれたエリアがあり、この辺りの植木屋が栽増して売り出した桜がソメイヨシノ。そのことから、JR山手線の駒込駅発車メロディは唱歌「さくらさくら」が選ばれました。

JR山手線や東京メトロ南北線の通る駒込駅が最寄り駅です。高級住宅街として知られている本駒込6丁目などは、JR山手線や都営三田線が通る巣鴨駅も利用することができます。巣鴨駅周辺はレトロな雰囲気が人気な「巣鴨地蔵通り商店街」があり、買い物などに困ることはありません。そのほか、東京メトロ南北線の通る本駒込駅、東京メトロ三田線の通る白山駅も利用できます。これらの駅周辺にはスーパーマーケットもあるので安心です。

本駒込の「地図」

本駒込の「歴史」と「由来」

稲荷坂付近にある駒込名主(なぬし)屋敷は東京都指定史跡として現存しています。こちらの式台(しきだい)つきの玄関は、一般の町屋では許されない、とても格式の高いものなのだとか。町人からの訴えや争いの仲裁をこの玄関で行ったので、名主様玄関の裁きとも言われたそう。
稲荷坂付近にある「駒込名主屋敷」は東京都指定史跡として現存しています。この屋敷の玄関は式台付きで、一般の町屋では許されない、とても格式の高いものなのだとか。当時、この玄関で町人からの訴えや争いの仲裁が行われ「名主様玄関の裁き」と言われたそう。

本駒込周辺は歴史的な建物が残されていて、寺社も多くあります。上の写真は、大坂夏の陣(1615年)後に豊臣方の残党としてここに亡命し、当時伝通院領だった駒込周辺の開拓を許され、そのまま土着した高木家のお屋敷。「駒込名主屋敷」と呼ばれています。現在でも見ることができる建物は、享保2(1717)年に再建されたもの(現在も居住中のため見学は外観のみ)。

本駒込天祖神社は、本駒込3丁目にあります。伊勢神宮の天照大神をお祀りしていて、駒込の氏神様です。江戸時代、この近くには鷹匠屋敷がありました。現在の3丁目には、神社のまわりに戸建て住宅がたくさん並んでいます。
天祖神社は、本駒込3丁目にあります。伊勢神宮の天照大神をお祀りしていて、駒込の氏神さまです。江戸時代、この近くには鷹匠屋敷がありました。現在の3丁目には、神社を囲むように戸建て住宅がたくさん並んでいます。

駒込名主屋敷のお隣には、駒込の総鎮守として地元の人たちに親しまれている「天祖神社」があります。この神社は、文治5(1189)年に 源頼朝が奥州藤原泰衡(やすひら)追討の途中にこの地に立ち寄り、夢のお告げがあって神明(天照大神) を祀ったのが起源とされています。そのほかにも江戸時代の富士信仰の拠点のひとつとなった「富士神社」や、「吉祥寺」などがあります。「吉祥寺」は、文禄元(1592)年に曹洞宗の学寮「旃檀林(せんだんりん)」が置かれて場所で、多くの学僧がここで学んだそうです。駒澤大学の前身で、大学校歌にも歌われています。

六義園は本駒込6丁目にあります。造園当時から同じく文京区にある小石川後楽園と並んで「江戸の二大庭園」と言われていました。四季折々の花々が楽しめる庭園で、連日たくさんの観光客が訪れます。
本駒込6丁目にある「六義園」。造園当時から、同じく文京区にある「小石川後楽園」と並んで「江戸の二大庭園」と言われています。

「六義園」は、もともと徳川5代将軍・徳川綱吉が大老の柳沢吉保に与えた土地で、和歌に造詣が深かった柳沢が7年かけてつくったもの。。六義園という名前は、中国古代詩の「六義(むくさ)」から名付けられたものだそう。『古今和歌集』の序文にも、この6つの分類が和歌にもあると述べられています。

明治になると、三菱財閥の創設者である岩崎弥太郎が購入し、別邸としました。その後、昭和13年に東京都に寄贈され、昭和28年に国の特別名勝に指定されて一般公開されています。

本駒込の「由来」とは?

本駒込は文京区にある地名です。豊島区には駒込という地名があります。本駒込2丁目には、文京グリーンコートという、集合住宅やオフィスビル、スーパーマーケットや飲食店、フィットネス施設などが入った複合施設があり、この周辺の住人の生活を支えています。
本駒込は文京区にある地名です。豊島区には駒込という地名があります。本駒込2丁目には、「文京グリーンコート」という、複合施設があり、この周辺の住人の生活を支えています。

「駒込」という地名は、古事記や日本書紀に登場する日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が命名したという説があります。日本武尊の「駒込みたり」という言葉が由来だという説です。これは高い場所から味方の軍勢を見て言った言葉で、駒とは馬のことで「馬がたくさんいる」という意味なのだそう。永禄2(1559)年に戦国大名の北条氏康が作成した『小田原衆所領役帳』の文書にも、駒込の地名が既に記載されています。この地名は江戸時代より前から使われていたんですね。

本駒込の4つの「魅力」

■1: 江戸時代のパワースポットでした

景山致恭、ほか。江戸切絵図「駒込絵図」(国立国会図書館デジタルコレクション)
景山致恭、ほか。『江戸切絵図 駒込絵図』嘉永2~文久2(1849~1862)年刊行(国立国会図書館デジタルコレクション)

お正月、初夢で見ると縁起が良いとされているのが「一富士二鷹三茄子」。このことわざ、縁起の良いものが並んでいるとされていて、既に江戸時代初期にはありました。そして、江戸時代の川柳のなかに「駒込は一富士二鷹三茄子」と詠まれたものがあります。駒込には富士山信仰の「富士神社」があり、近くには鷹匠のお屋敷がありました。古地図「駒込絵図」の上部にも「御鷹匠屋敷」という文字があります。また、この辺りは農村地帯で、名産品がナスでした。特に優れたものができ「駒込ナス」として江戸庶民に好まれていたのだそうです。

駒込富士神社
「富士神社」は本駒込5丁目にあります。もともとは本郷の加賀藩邸内にあったものといわれています。

「富士神社」の拝殿は富士山に見立てた山の上にあります。江戸時代、富士山を信仰する人々が集まる場所になり、当時は6月1日の富士山山開きに合わせて祭礼が行われており、現在でも6から7月に「山開祭」が開催されています。

■2:公園がたくさんあって緑の多いエリアです

文京区立富士前公園があるのは、富士山信仰で栄えた駒込富士神社近くにある公園で江戸時代には「駒込富士前町」と名付けられたエリアでした。
「文京区立富士前公園」があるのは、富士山信仰で栄えた「富士神社」近くにある公園で、江戸時代には「富士前町」と名付けられたエリアでした。

文京区本駒込には、上の写真の「富士前公園」や、駕籠町という旧町名にある「駕籠町公園」、都電の置いてある「神明都電車庫跡公園」、「六義園」の横にある「六義公園」など、整備されたきれいな公園が点在しています。水遊びができるじゃぶじゃぶ池があったり、障がいの有無にかかわらずみんなで仲良く遊べるインクルーシブ遊具があったり、どれも子どもたちが使いやすい公園です。

■3:美術館も近くにあります

東洋文庫ミュージアムは、本駒込2丁目にあります。不忍どおりを挟んで近くには六義園もあり、セットで観光する人が多いです。
「東洋文庫」は、本駒込2丁目にあります。不忍通りを挟んで近くには「六義園」もあり、合わせて観光する人が多いです。

「東洋文庫」は、1924年に旧三菱財閥3代総帥である岩崎久彌が設立した東洋学の専門図書館・研究所。世界五大東洋学研究図書館として知られていて、館内にある、びっしりと並んだ書籍が圧巻の美しさを誇る「モリソン書庫」も有名です。2011年に「東洋文庫ミュージアム」が開館。その庭先ある「オリエント・カフェ」という小岩井農場が運営する隠れ家的カフェも人気です。

■4:大和郷は第一種低層住居専用地域です

大和郷
大和郷は本駒込6丁目にあります。大和郷は、一般社団法人大和郷会という団体が町会活動を担っていることでも有名です。

岩崎弥太郎は、「六義園」と併せて周辺の土地も購入していました。そして後に旧三菱財閥3代総帥となった岩崎久彌が、六義園周辺の土地を「大和郷(やまとむら)」として中流階級向けに分譲します。これにより、大和郷のある本駒込6丁目周辺は高級住宅街として知られるようになりました。この辺りには、旧三菱財閥の要人や、政治家や実業家などが住んだといいます。現在、本駒込6丁目の多くは第一種低層住居専用地域で、大きな家や背の低いマンションが建ち並んでいて、高い建物がありません。とても広々としたエリアです。

大和郷は、現在の住所表記には残っていませんが、大和郷幼稚園など施設の名前などに残されています。都内屈指の高級住宅街エリアとして有名です。
大和郷は都内屈指の高級住宅街エリアとして有名です。現在の住所表記にはありませんが「大和郷幼稚園」など、施設名に残されています。

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文京区本駒込は、見どころ満載の名所や社寺が点在していてとても散策が楽しい場所です。広々とした公園もあり、スーパーマーケットや病院も近くにあるので暮らしやすいエリアでもあります。このエリアが高級住宅街としてとても人気がある理由が、歩いてみてわかりました。

参考:文京区ホームページ
     六義園ホームページ
       文京観光ガイド
   東洋文庫ミュージアム
     絵でみて歩く文京のまち(文京ふるさと歴史館)
     『ぶんきょう道中史跡探訪』(文京ふるさと歴史館)
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PHOTO :
AC,柳堀栄子
WRITING :
柳堀栄子