西洋の文化をそのまま引用するのではなく、自分たちのスタイルに巧みに合わせる…。これこそが、古くから日本人の得意としてきた技だ。スーツの着こなしも然り。昭和の時代に銀幕を飾った男たちは、スタイリッシュに見せる工夫を凝らしていたのだ。小津安二郎の映画を通じて、服飾評論家の遠山周平氏が、彼らの用いた絶妙なテクニックを解説する。

小津安二郎に学ぶ背広の流儀

昭和を描いた監督のモダンな背広姿

左/笠智衆が着た日本的なスリーピース。右/池部良が身を包むモダンなスーツ。

 以前『背広のプライド』という本を著した際に、日本人らしい背広として、『秋刀魚の味』等の小津安二郎監督作に登場する笠智衆に言及しました。紬の着物のようにシンプルで美しいダークスーツ、それは昭和30年代の私の父親世代の背広と同種のものでした。

 小津監督は第二次大戦中の任地シンガポールで、連合軍が残していった『風と共に去りぬ』や『市民ケーン』などの映画を毎日のように観ていたそうです。戦後日本に戻った彼は、これから自分がつくるのは、外国人には撮れない映画、日本人じゃないとできない映画にしようと思ったそうです。そうして生まれたのが、『晩春』以降の一連の作品群でした。『秋刀魚の味』における笠智衆のダークスーツの着こなしには、西洋絵画の対比美に対する日本絵画の調和美が感じられます。それはたとえば、西洋の絵画が額縁の中で完結するのに対し、水墨画の掛け軸が床の間の土壁とまったく同じトーンで調和しているような違いです。そうした異なる美学で育ってきている以上、自ずとVゾーンの色合わせなど、日本人と外国人とは違ってくるのではないでしょうか。

 当時どんな背広をつくっていたのか調べてみようと、磯島定二氏が書いた『紳士服裁断の基本』という昭和30年代の裁断書に沿って、実際に製図してみたことがあります。小津作品での笠智衆の背広はわりと肩幅が広い印象がありますが、当時の仕立てでは肩幅は現代とそう変わりません。ただドロップ(ウエストとバストの差。数値が多いほど差が大きい)は少ない。現代の背広にはドロップ6ないしは8が多いですが、この時代はドロップ4が基本形で重心が低いのです。あと意外にアームホールが小さく、幅広のそでをそこにいせ込んで細く見せています。前肩はあまり意識されていなくて、肩に服をのせてそこからストンと落としたような感じ。和服に近い感覚といえるかもしれません。胸板が薄く、肩が張った日本人の体型をバランスよく見せようという美意識が感じられます。

 さらに、採寸はあくまでもテーラーにとって目安で、そこから日本人の体型にとって美しい形になるように割り出していくのです。サイズが違ってもほぼ同じような形の中に入れ込んでいくようにして、体のシルエットを強調して見せるよりは、それを包み隠そうとしています。その点もヨーロッパや英国とは異なる美学です。

 小津映画では、笠智衆だけでなく、山村聰や佐田啓二といった人たちの背広もスタイリッシュでした。あと、同じ時代でいうと、松竹ヌーヴェルバーグの作品に出演していた池部良も格好よかった。当時はほとんどの俳優の衣装が自前で、テーラーが撮影所に行って注文を取り、仕立てるという形でした。

 また小津監督自身の装いも、作品を彷彿とさせるものでした。年2回テーラーで仕立てていたのですが、夏はモヘアかサマーウーステッド、冬はミドルウーステッドのバーズアイなどの生地で、ミディアムグレー以外は着なかったそうです。その姿には、日本人としての自恃が感じられます。(談)

遠山周平
服飾評論家
金洋服店の服部晋氏よりテーラーリングを学び、クラシックスタイルからモードに至るまで、幅広く評論・著述活動を行っている。著書に『背広のプライド』(亀鑑書房)、『洒脱自在─おとなとしてシックに服とつきあう本』(中央公論新社)がある。
この記事の執筆者
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MEN'S Precious編集部 
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MEN'S Precious2017年春号 背広 姿が語る、 ダンディたちのストイックなスタイルより
名品の魅力を伝える「モノ語りマガジン」を手がける編集者集団です。メンズ・ラグジュアリーのモノ・コト・知識情報、服装のHow toや選ぶべきクルマ、味わうべき美食などの情報を提供します。
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クレジット :
撮影/小池紀行(パイルドライバー) イラスト/ソリマチアキラ 構成・文/菅原幸裕 素材協力/リッドテーラー