【目次】

島津山ってどこにあるの?「場所」

島津山にある坂道を登っていくと品川区東五反田3丁目にある「清泉女子大学」に出ます。高台にあるこの周辺は地形に合わせて階段付きの玄関がある戸建てがたくさん並んでいます。とても閑静な住宅街です。
五反田駅から清泉女子大学に向かう上り坂。付近は高台の地形に合わせ、階段付きの玄関がある戸建て住宅が並ぶ、閑静な住宅街に。

都内の高級住宅街として知られている「城南五山」のひとつ、「島津山」があるのは東京都品川区東五反田1~3丁目。桜田通りを挟んで東五反田4〜5丁目付近にある高級住宅街「池田山」の隣です。

「城南五山」とは、東京の城南、目黒と五反田駅、品川駅を結んだ辺りの山手線の内側に位置する5つの高台の総称。江戸時代には大名屋敷、明治になると財閥や実業家の邸宅地になり、その後、高級住宅街へと変化を遂げたエリアです。「島津山」「池田山」のほかに「  花房山(品川区上大崎3丁目)」、 「 八ツ山(港区高輪3・4丁目)」、「御殿山(品川区北品川3~6丁目)」があります。

島津山の「最寄り駅」

五反田駅から桜田通りを上って行くと、島津山にある雉子神社にでます。さらに上っていくと高台にある高輪台駅に到着します。桜田通りを挟んで反対側に池田山があります。
桜田通り。画像右手に上って行くと、「雉子(きじ)神社」、さらに進むと高輪台駅に。

「島津山」の最寄り駅は、徒歩8分程度のJR山手線の五反田駅。JR山手線のほか、三田駅や日本橋駅を通る都営浅草線、そして五反田駅と蒲田駅を結ぶ東急池上線の3つの路線が通っています。また、大崎駅までは徒歩約12分、品川駅までは徒歩15分程度と、JR山手線の3駅が利用できるのは「島津山」エリアの魅力と言えるでしょう。さらに港区白金台にある都営浅草線の高輪台駅も島津山からは徒歩で8分程度。泉岳寺駅から羽田空港へ向かう京急線、押上駅からは京成押上線を経由して成田空港へ向かう京成各線を利用でき、飛行機での移動もスムーズ。

島津山の「地図」

島津山の「歴史」と「由来」

大崎屋敷の北側に寿昌寺(じゅしょうじ)がありました。現在の東五反田3丁目です。江戸時代、寿昌寺には時刻を知らせる「時の鐘」があったそう。伊達政宗夫人の寿昌尼が禅寺に帰依して正保2(1645)年に開基となり、深川新田島から現在地に移転してきたそうです。
「寿昌寺(じゅしょうじ)」。伊達政宗の正室、寿昌尼が禅寺に帰依して、正保2(1645)年に深川新田島から移転された。

元文2(1737)年、仙台藩5代藩主の伊達吉村が、自らの隠居生活を送る別邸として、現在の東五反田3丁目にある清泉女子大学付近の約1万6,000坪におよぶ大崎屋敷を鯖江藩間部家から取得、130年間に渡って下屋敷として使用していました。高台にあるこの屋敷は眺めがよく、富士山を仰ぐことができたそうです。寛保3(1743)年には、2万2,000坪を超える広さとなっていたそう。そして、明治になってからは、旧薩摩藩主島津公爵の邸宅となりました。

島津山の「由来」とは?

清泉女子大学内にある旧島津家本邸は、地下1階、地上2階建ての280坪におよぶ大邸宅だそう。階段の手すりや暖炉の彫刻、ステンドグラスなどは当時のままの姿で残されています。
清泉女子大学入口からの坂道。

この周辺が島津山と呼ばれている理由は、明治時代に旧鹿児島藩主の島津公爵邸があったから。島津家は明治6(1873)年ごろにこの地を所有し、本邸がこの場所に移転されました。明治12年には和館が建設されましたが、老朽化により大正6(1917)年に建て直されました。ちなみに建築を担当したのは鹿鳴館や旧岩崎邸などで知られるイギリス人建築家のジョサイア・コンドルです。

昭和初期の金融恐慌のあおりで島津家も財政的な打撃を受けました。昭和4年(1929)年に約3万坪あった敷地は8,000坪を残して売却。邸宅も日本銀行の所有となりました。その後、昭和36(1961)年に、現在の清泉女子大学が土地と建物を買い取りました。地下1階、地上2階建ての280坪に及ぶイタリア・ルネッサンス様式の洋館は、階段の手すりや暖炉の彫刻、ステンドグラスなどは当時のまま、現在も清泉女子大学構内にあり。学生たちが集うホールなどとして利用されつつ、国の重要文化財に指定されています。

島津山の3つの「魅力」

■1:寺社が多く落ち着きのある街並みです

「雉子神社」と名付けたのは三代将軍の徳川家光です。鷹狩りの折に一羽の白雉子がこの社の森に逃げ込んだことから命名されたと言われています。大きなビル1階にあり、都会的な雰囲気があります。
「雉子神社」。名付けたのは3代将軍の徳川家光で鷹狩りの折に一羽の白キジがこの社の森に逃げ込んだことから命名されたといわれています。現在の社殿は大きなビルの1階にあり、都会的な雰囲気がある。

江戸時代、五反田駅周辺は下大崎村と呼ばれていました。この下大崎村の名所だったのが室町時代に創建されたと言われる「雉子神社」です。この辺りには江戸幕府によって東海道が整備される前から相模国(現・神奈川県)と江戸方面を結ぶ「中原街道」が通っていて、品川区内では、中原街道は東五反田の桜田通りから西五反田、旗の台を通って大田区に入って洗足池方向に向かっていました。この中原街道沿いにあったのが「雉子神社」です。今はとてもなだらかな桜田通りとなっていますが、当時は険しい急坂だったとか。そのほか、 この辺りには「寿昌寺」や「本立寺」、「宝塔寺」、「袖ヶ崎神社」など寺社の連なっていて、都心にありながらも、街全体はとても静かで落ち着いた雰囲気が保たれています。

■2:利用できる駅が多いのでどこに行くにも便利です

品川駅西口の前にある「品川プリンスホテル」の横を西に向かって登る坂道を「柘榴坂」と言います。坂上には、「グランドプリンスホテル新高輪」があります。
「柘榴坂」。品川駅西口の前にある「品川プリンスホテル」の横を西に向かって上る坂道で、坂上には、「グランドプリンスホテル新高輪」があり、ここから島津山エリアまでも徒歩圏。

五反田駅、大崎駅、品川駅の3駅が利用できるのはとても便利です。これらの駅はJR山手線のほかにも複数の路線が使えるので、行き先に合わせて利用する駅を選ぶことができます。例えば、品川駅からはJR山手線のほかにJR東海道本線やJR京浜東北・根岸線、JR横須賀線、京浜急行本線、JR東海道・山陽新幹線が利用できます。品川駅から羽田空港まで約20分、成田国際空港まで約1時間半と、それぞれアクセスしやすい環境なのも魅力的。

■3:品川区は子育て支援が手厚いので安心です

品川区島津山の街並み
品川区にある島津山周辺は全国初の施設一体型小中一貫校「品川区立日野学園」学区。義務教育9年間の一貫した教育活動を行っています。

品川区は、東京23区内のなかでも子育て支援が手厚いと評判が高い区です。例えば、認可保育園などに 在園している0~2歳児クラスの第2子以降の保育料を所得制限を設けずに無償とする制度は令和5年4月より実施されています。そのほか、区立学校に通う全児童・生徒の給食費、高校生までの医療費も無償です。こちらも所得制限は設けていません。また、保育所などの空きを利用して保育所を利用していない未就学児の新たな預かり事業モデルも検討しているそう。子供たちを支援する環境が整っています。

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五反田駅や品川駅、大崎駅など、オフィスや飲食店が並ぶ賑やかな駅から徒歩圏内に立地している島津山ですが、高台にあってとても静かな住環境が整っている場所です。また、寺社が多くて風格のある街並みも魅力的。古くからあるこの高級住宅街に住んでみたいと思いました。

参考:品川区ホームページ
   清泉女子大学ホームページ
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WRITING :
柳堀栄子