『サヴィル・ロウ』と『ビスポーク・スタイル』、2冊の英国の仕立てに関する本とフランスの仕立てに関する本を出版したが、依然として私の前には広大なサルトリア帝国が残されていた。
イタリアである。
イタリアはひとつの国であって、ひとつの国ではないと人は言う。
歴史的に異なる国々の寄せ集め、統合によって生まれた国が現在の国家としてのイタリアだから、文化もそれぞれ異なり、仕立ての方法も地域毎にバラエティに富んでいる。
自分の師匠の手法から学び、その後、各サルトは自分で工夫を重ねているため、その手法は各サルトリアによっても違うのだ。
このようにイタリアが誇る多彩なサルトリア文化を一冊の本に収めてみたい。南北27店を網羅した『サルトリア・イタリアーナ』の本の構想はこうして生まれた。
この本の取材から多くのマエストロと邂逅する幸運に恵まれたが、なかでも思い出深いのはマエストロ・パニコである。
アントニオ・パニコはナポリ仕立てのみならず、サルトリア・イタリアーナの歴史の中で真の巨匠といえるサルトだ。
サルトリア・イタリアーナを代表する巨匠
ヴィンチェンツォ・アットリーニの後継のカッターとなり、マリアーノ・ルビナッチと共に、伝説のロンドン・ハウス(現在のルビナッチ)の黄金時代を築いた。
アントニオに初めて会ったのはパークハイアット東京で、ヴィターレ・バルベリス・カノニコの350周年祝賀パーティーのために来日していた時のことだ。ライブラリーを思わせるホールウェイの向こうに、まるで映画から抜け出してきたように、肩からオーバーコートをかけ、アントニオはゆっくりとこっちに歩いてきた。
ゆっくりと手を差し出した握手する時の所作、そして、特徴的な、低い、有無を言わせぬ声の響き、あの瞬間を私は忘れることはないだろう。
ディナーのテーブルで自己紹介がわりに私の本『サヴィル・ロウ』を見せると急に様子が変わり、本を凝視し、ページをめくり始めた。それから一通り見終わると、私に「いつ、ナポリに来るんだ?」と訊いた。自分のサルトリアに来い、来たら全部見せてやるから、と彼は言ったのだ。
取材をするのが難しいことでも知られるアントニオ・パニコだが、その後、幸運にもナポリやフィレンツェで彼に会う機会があり、ディナーやランチを何度も共にしたことで彼の温かい人柄に触れ、色々なことを話してくれるようになった。
アントニオは時間があると、「煙草でも吸うか?」と訊いてくる。普段、煙草は吸わない私だが、彼にこう言われたら、もちろん断ることはない。彼がいつも持っている細いメンソール煙草を一緒に吸うのが決まりのようになった。
ナポリのカフェ・ガンブリヌスの外で煙草を吸っていた時のことだ。
この老舗のカフェは詩人ガブリエレ・ダヌンツィオが愛したことでも知られ、ナポリ王国の栄華を象徴するプレビシート広場に面して建っている。ここからはナポリ王宮やサンカルロ歌劇場も見える。ここに佇んでいると、なぜサルトリア文化がここナポリで栄えたのか、その理由の一端が豊かさにあったことを教えてくれる。
私の拙いイタリア語だが、なにがしか通じるものはあるもので、煙草を吸いながら、由無し事を話す。
現在、サルトリア・パニコは息子のルイージと娘パオラと共に経営されている。アントニオはひとり娘のパオラをことのほか可愛がっていて、その仲睦まじい様子はイタリアの家族経営のサルトリアの情景を思わせた。
「パオラと仲が良くて羨ましい」と私が言うと、
「両親は?」とアントニオが訊いた。
「私の両親は亡くなって、もういない」
「そうか」
そこへ、物売りがやってきた。イタリアでは路上での物売りをよく見かけるが、特にナポリには多い。花を売っているのをよく見かけるが、この時はコチネッラ(cocinella、イタリア語のてんとう虫)だった。
取材に訪れたのは幸運を運ぶ「てんとう虫」だった
アントニオは1ユーロでこれを買うと、「持っているといい。幸運を持ってくるお守りだから」と言って私にくれた。それは人が人を思いやる気持ちの象徴のようだった。
ス・ミズーラ(ビスポーク)はサルトの人生を表現したクラフトであり、そこには彼らの生き様が反映されている。人が手から物をつくりだす不完全な美しさと創造性がそこに宿っている。パニコのスーツを見る時、このことを思い出す。
それ以来、私はこのコチネッラを大事に持っている。
お問い合わせ
- 万来舎 TEL:03-5212-4455
- TEXT :
- 長谷川 喜美 ジャーナリスト
公式サイト:Gentlemen's Style
- PHOTO :
- Luke Carby
- WRITING :
- Yoshimi Hasegawa