【目次】
長谷戸ってどこにあるの?「読み方」「場所」「最寄り駅」
長谷戸の「読み方」は?
「長谷戸」という地名、なんと読むかわかりますか?「はせど」? それとも「ながいと」でしょうか。いいえ、どちらも違います。正解は「ながやと」です。
「場所」、渋谷までの距離は?
「長谷戸」は、東京都渋谷区の南部、恵比寿駅と代官山駅の間に挟まれたとても魅力的な場所にあります。現在、その地名はありませんが、昭和7(1932)年の渋谷区成立時に恵比寿西1丁目~2丁目の一部エリアが「長谷戸町」と呼ばれいて、特別な場所として、今もその呼び名が残っているのです。
この辺りは、「恵比寿西」の西側にある「代官山町」、「猿楽町」、「鉢山町」、「鶯谷町」、「桜丘町」など昔からの町名が残り、そして丁目のない単独町名の多いエリアです。ですが、「長谷戸町」の名前は、昭和45(1970)年の住居表示施行と共になくなり、恵比寿西や代官山町の一部となりました。
高台にある恵比寿西は、代官山町や猿楽町などと共に、坂道の多いエリアです。坂道を北西側に下ると渋谷方面、南西側に坂道を下れば「中目黒駅」方面です。
長谷戸の「最寄り駅」
長谷戸エリアは、交通の便が抜群によい場所にあって、どこへ行くにも便利です。最寄り駅は、東急東横線の各駅停車が止まる「代官山駅」と、JR山手線・湘南新宿ライン・埼京線・相鉄線直通、東京メトロ日比谷線の乗り入れている「恵比寿駅」。それぞれ、渋谷駅まで1駅です。そして、渋谷駅も歩いて15分程度と徒歩圏内。渋谷駅はJR山手線・湘南新宿ライン・埼京線などのほか、東急田園都市線・東横線、京王井の頭線、東京メトロ銀座線・半蔵門線・副都心線と、とてもたくさんの路線が利用できます。
長谷戸の「地図」
長谷戸の「歴史」と「由来」
長谷戸の「歴史」
長谷戸を含む代官山界隈の台地は、西に目黒川、東に渋谷川と、豊富な水資源に恵まれた自然豊かな場所だったので暮らしやすかったのでしょう。古代にはいくつもの集落が形成されていたようです。長谷戸のお隣、猿楽町には渋谷エリアで初めて発見されたという「猿楽古代住居跡公園」があります。この辺りからは、弥生時代後期の住居跡が発見されたそう。
もうひとつ、長谷戸エリアの歴史エピソードで押さえておいてほしいのが「区立長谷戸小学校」です。有名な童謡「夕やけこやけ」の作曲者、草川信氏は、大正6年から昭和2年までこの小学校て音楽教師として教鞭をとっていました。そのため、この小学校は「夕やけこやけの小学校」とも呼ばれているのだそう。
長谷戸はなぜ高級住宅街になった?
巨大ターミナル「渋谷駅」の歴史は、明治18(1885)年に日本鉄道会社品川線(現在の山手線)の開通により渋谷停車場が開業したことから始まります。当時は周辺に住宅も少なく、初年度の乗降者数は1日平均で30人程度だったそう。まさにこの辺りは「郊外」だったのです。
明治39年ごろ、旅客用の恵比寿駅ができ、明治40年に玉川電気鉄道の渋谷〜玉川間が開通。現在はありませんが、東京市電(のちの都電)も明治44年に渋谷を通るようになります。その後、大正12(1923)年に関東大震災が起こると、硬い地盤のある渋谷周辺の高台へと移住する人が急増します。それに伴って渋谷駅と近隣の住宅地を結ぶバスが続々と運行を開始しました。そのほか、昭和初期には東京横浜電気鉄道(現在の東急東横線)や帝都電気鉄道(現在の京王井の頭線)、東京高速鉄道(現在の東京メトロ銀座線)も開通し、渋谷駅の利用者は急増します。そして、沿線周辺の住宅地化が進みました。
昭和39(1964)年の東京オリンピック開催後、さらに渋谷近辺の高台エリアは進化します。昭和43(1968)年から平成10(1998)年までの長い年月をかけて猿楽町エリアに建てられたのが、住居と店舗の入った複合施設「代官山ヒルサイドテラス」です。その後、昭和58年ごろからは代官山町にあった「同潤会代官山アパート」の再開発も始まりました。この時代から、日本の最先端をいく高級アパートや高級マンションが代官山界隈に展開されていくようになります。
1965年、恵比寿西2丁目に7階建てのマンション「代官山パーフェクトルーム」が建てられました。当時は「恵比寿パーフェクトルーム」という名称で、新進気鋭のカメラマンやスタイリストなどが住むマンションとして有名だったそう。代官山界隈にはこういったヴィンテージマンションが多く、現在でも坪単価は高額です。
長谷戸の「由来」
「谷戸」は、関東地方の丘陵地帯を中心に多く見られる地名です。「谷戸」とは、湧水などにより複雑に丘陵部に刻み込まれた浅い谷を指し、低地部分は湧水が育てた湿地です。「長谷戸」は、代官山から深い谷底にある渋谷へと下る谷の入り口だからそう呼ばれていたともいわれています。渋谷区成立以前は「豊多摩郡渋谷町大字中渋谷字長谷戸」の一部で、昭和7年に渋谷区長谷戸町になりました。
ちなみに、「恵比寿」という地名は明治22年に現在の目黒区三田にビール工場が誕生し、2年後にできた製品は「ゑびすビール」と名付けられたことによります。日本鉄道品川線のビールの積み出し貨物駅ができ、のちに「恵比寿駅」と呼ばれました。駅周辺が発展するに伴い、このエリアが「恵比寿」と呼ばれるようになったそうです。
住みやすさは?長谷戸の「魅力」
■1:恵比寿や代官山に近く、日常の買い物も便利です
コロナ渦以降、「代官山に空き店舗が増えてきた」という声も聞こえるようになってきました。確かに、2015年に東横線跡地にできた商業施設「ログロード代官山」近辺にあった店舗などは少し減って寂しくなってきたように見えます。ですが、恵比寿西を含む代官山駅周辺は交通の便がよく、暮らすには抜群に便利な場所ということに変わりはありません。買い物環境も充実し、さらに暮らしやすい環境になっています。
例えば、代官山駅近くにある「代官山アドレス・ディセ」には、スーパーマーケットの「ピーコック」や薬局の「ウエルシア代官山ディセ店」などが入っています。また、「代官山アドレス」のお隣には最近オープンしたばかりの「フォレストゲート代官山」があり、こちらにもスーパーマーケット「ザ・ガーデン自由が丘」やカフェ「ブルーボトルコーヒー」などが入っています。また、恵比寿駅前には「アトレ恵比寿」があり、カフェやレストラン、アパレルショップも豊富です。長谷戸エリアから徒歩で15分ほどの場所には「恵比寿ガーデンプレイス」があります。ここには「新しいスーパーマーケット」をコンセプトにした「セントラルスクエア」があります。
■2:渋谷駅から程よく離れていて静かです
2000年代から始まった渋谷の再開発では、東急東横線の地上ホームが地下に移動し、東京メトロ銀座線のホームも表参道寄りに移設されました。さらに2019年に超高層ビル「渋谷スクランブルスクエア」がオープンして渋谷の新しいランドマークとなりました。現在でも工事が続けられている今後の渋谷の姿は楽しみでもあります。1日の利用者数が300万人近いといわれる渋谷駅に近い位置にありながら、高台にある長谷戸エリアはこの渋谷の喧騒とは無縁。とても静かな生活ができることも魅力です。
低地にある渋谷駅に近い渋谷区桜丘町も大規模再開発中です。2024年に開業すると言いわれる「渋谷桜ステージ」では、高級ホテルチェーン・ハイアットが展開する中長期滞在型施設「ハイアットハウス 東京 渋谷」が入る予定だそう。そのほか、分譲マンションや商業施設、オフィス、インターナショナルスクールなどが入ります。
■3:不動産価格が下がりにくいです
東京都財務局の「令和5年地価公示 標準地価格高順一覧表(住宅地)」では、東京都23区内において港区と千代田区が上位を独占するなかで、9番目に地価が高いのが渋谷区恵比寿西でした。1平方メートルあたりの土地価格が300万円程度で、この地価は毎年上がっています。恵比寿西では、築年数の経過したマンションなどでも高額に取り引きされていることが多いようです。
■4:近所には名門校が豊富です
長谷戸は、「慶應義塾幼稚舎」(恵比寿2丁目)や「東京女学館」(広尾3丁目)、「青山学院」(渋谷4丁目)などの名門校が近い場所にあるのでファミリー層にも人気が高いエリアです。また、この近辺にはインターナショナルスクールもあります。教育環境がとてもよいこともこのエリアが人気の理由です。
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恵比寿にも渋谷にも中目黒にも出やすいこの住宅街は立地が抜群にいいのが魅力です。また、この辺りには珍しく大きな一戸建て住宅も点在し、古くから住んでいる人の多い場所なのだと感じました。それだけ暮らしやすい街なのでしょう。一度住んだら、離れられなくなりそうな場所ですね。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- AC,柳堀栄子
- WRITING :
- 柳堀栄子