かねがねおもしろいなあと思っていた日本と西洋の違いのひとつに「拭く」文化と「磨く」文化の違いがある。日本は掃除など掃いて拭けばそれで一巻の終わりだが、西洋は、最後に磨いて輝かせるのが古くからの習わしだ。
靴磨き紳士に学ぶ、精神的・体面的な充足感
デュッセルドルフに長く住んでいた友人が帰朝した際、「ドイツじゃ家の外も磨かないと近所から白い目で見られる」と熱燗をうまそうに干しながらボヤいていたが、これは誇張でもなんでもないのである。
伝統的に着るもの、はくもの、家屋、家財道具のほとんどすべてが糸、紙、土、藁と木でできていた日本の暮らしに比べ、西洋では石、金属、革が大きな顔をしている。そして、それらはみな磨かなければその良さがでない。『メンズプレシャス』がよく取り上げる昔日のダンディ、ウインザー公やチャーチルら英国上流階級の男たちも、その日常生活のいたるところで磨きがついてまわる。彼らのダンディズムは磨きあってのものなのである。
例えば、貴族出身であるチャーチルの一日のメインイベントは、正装をしての夕食であるが、そこで使用されるシルバーウエア、つまりナイフやフォーク、スプーン、大皿やソースの容器、燭台はすべて磨き抜かれていなければならない。
ご存じの通り銀製品は放っておくとすぐに錆びる。貴族本人に代わり、使用人たちが毎日膨大な磨き作業をするわけである。
英国の人気ドラマ『ダウントン・アビー』でもしばしば描かれているが、夕食に客を招くのも上流階級の好むところである。ということはですよ、客が目にする石材の廊下とホール、ドアノブや階段の手摺、キャビネットの窓ガラスや取っ手、食事前後の時間に集う客間の暖炉のマントルピースなども、ピカピカに輝いていなければならないということになる。
革製品もむろん徹底して磨く。野山を散策する際のカントリーブーツ、乗馬や狐狩りの際の馬具やトップブーツ、ジョッキーブーツも顔が映るぐらい光らせる。
なかでも使用人が気をつかうのは、主がタウン用としてもっともよくはくブラッチャーともダービーとも呼ばれる編み上げのショートブーツで、これを新品同様に保つために、靴墨も市販品ではなく、自分でつくってしまうほどの一大事なのだ(そのレシピが19世紀末の家政の指南書に頻出する)。
汚れを拭き取り、全体をざっと磨き、仕上げは、指一本を布でくるみ、靴墨に唾を混ぜたもので磨く。鹿の脛骨で全体をこすり、最後にもう一度布で拭く。このルーティンが毎日休みなく続く。まったく途方もない話である。
むろん今の英国では、そこまで徹底して磨きに人と金を使う上流階級は少ない。以前ほど、家の中も汚れないし、銀製品を使わなくなったということもあるだろう。しかし、イザというときは違う。ロイヤルファミリーを迎えたり、家の周年行事のときなど、ホストも家も見違えるような磨かれた姿に変身するのをぼくは何度も見ている。
気高い精神も深い教養もそう簡単には相手に伝わらない。大胆に総括すれば「磨き抜かれた体面」こそが上流の証ともとれる英国紳士たちのプラグマティズムに学べば、われわれの日々の靴磨きも徒疎かにはできないはずなのである。
- TEXT :
- 林 信朗 服飾評論家
- BY :
- MEN'S Precious2016年春号 知るべし! 靴磨きの超絶技巧
- クレジット :
- 撮影/戸田嘉昭・唐澤光也(パイルドライバー) 構成・文/矢部克已(UFFIZI MEDIA)