3月28日は「シルクロードの日」です。1900年3月28日に、スウェーデンの歴史家で探検家でもあったスヴェン・ヘディンが、シルクロードの古代オアシス都市を発見したことに由来しています。今回は「シルクロードの日」への理解を深めるとともに、シルクロードに関する雑学を解説します!

【目次】

古代オアシス都市の発見が、その由来です。
古代オアシス都市の発見が、その由来です。

【「シルクロードの日」とは?「概要」をざっくり解説】

■「シルクロードの日」って「いつ」?

「シルクロードの日」は3月28日。「シルクロード(絹の道)」とは、紀元前2世紀から15世紀半ばまで、古代の中国と西洋を結んだ歴史的な交易路のことです。

■「日にち」の由来は?

「シルクロードの日」は、1900(明治33)年3月28日、スウェーデンの地理学者で中央アジア探検家であるスヴェン・ヘディンが、廃墟となっていたシルクロードの古代国家・楼蘭(ろうらん)を発見したことに由来しています。楼蘭(現在の中国・新疆ウイグル自治区)とは、かつて中央アジア・タリム盆地のタクラマカン砂漠北東部に存在した塩湖で、「さまよえる湖」として知られるロプ・ノール湖の西岸に位置したオアシス都市です。楼蘭はシルクロードの要衝として栄えましたが、4世紀ごろにロプ・ノール湖が干上がるのとほぼ時を同じくして国力も衰え、やがて砂漠に呑み込まれてしまいました。ヘディンの発見により、「1500年前に消えた」と言われていた古代オアシス都市の存在が明らかになったことを記念し、「シルクロードの日」が制定されました。


【「シルクロードの日」にまつわる「雑学」】

「シルクロードの日」が記念日になった歴史や背景を紹介しましょう。

■そもそも「シルクロード」って?

「シルクロード」とは、上でもさらりと紹介しましたが、紀元前2世紀から15世紀半ばまで、中国と西洋を結んだ歴史的な交易路です。当時、中国の絹製品は非常に貴重で、ローマ帝国では絹が同じ重さの金と交換されていたといわれています。そのため、中国にとって最も重要な交易品で、その絹がこの道を通って西洋に伝わったことから、「シルクロード」と呼ばれるようになりました。シルクロード貿易は中国国内はもとより、韓国、インド、イラン、さらにヨーロッパ、アフリカの一部、アラビア、そして海を渡って日本までと広大で、政治的・経済的関係を開くうえで重要な役割を果たしました。しかし、15世紀にオスマン帝国が最盛期を迎えるころ、海路に役割を奪われて衰退しました。そしてこれを機に、ヨーロッパは東方の富を得るためのルートを求め、大航海時代、ヨーロッパの植民地主義が加速していくのです。

■誰が「シルクロード」と呼び始めたの?

シルクロードという名称は、19世紀にドイツの地理学者、フエルディナント・フォン・リヒトホーフェンがつくった言葉です。その後、スウェーデンのスヴェン・ヘディンが、自らの中央アジア旅行記の書名のひとつとしてこの名称を用い、1938(年に『The Silk Road』の題名で英訳されたことで、広く知られるようになりました。シルクロードは、2014年、ユーラシア大陸の東西交流史において重要な役割を果たしたことを評価され、「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」としてユネスコの世界遺産に登録されました。

■どういうルートを通っていたの?

実は「この道がシルクロードだ!」というある特定の道をさすわけではありません。狭義には中国を漢王朝が支配していた時代に、中国の西北からタリム盆地縁辺のオアシス都市を経由し、パミール高原を越えて、西方とを結んでいた道(オアシスの道)を指しますが、東西交通路という意味で拡大解釈し、中国の長安(現在の西安)からローマにまで至る道や、ステップ経由の道(草原の道=ステップ・ロード)、海上交通路(海の道)をも、このなかに含める傾向にあります。また、現在の日本では、この語の本来の用法をさらに拡大して、中国・日本と西方の諸地域とを結ぶ陸上・海上のあらゆる交通路と、それらの交通路沿いに存在するあらゆる地域を指して用いる場合が多いようです。

■「絹」のほかには何を運んだの?

シルクロードは当初、中国の絹製品を主な交易品としていましたが、やがてシルクの生糸や染色などの技術の取引に発展し、世界各地の絹産業の発展を促しました。また、キリスト教や仏教などの宗教のほか、金や宝石などの貴金属、製鉄、絨毯などの毛織物、香辛料や野菜や果物、陶器や絵画の技法など、幅広い文物がシルクロードを通じて東西で往来をし、利益をもたらしました。特に紙や火薬の普及は、さまざまな地域の歴史を大きく変えたと言われています。

■疫病も広げたってホント?

シルクロードを行き来する商人や動物たちにより、はしかや天然痘など、疫病も世界中に拡散されました。14世紀、中国大陸で発生したペスト(黒死病)のパンデミックは、中東、ヨーロッパ、北アフリカにまで広がったといわれています。ヨーロッパでの流行は17世紀ごろまで断続的に続き、その死者数はヨーロッパの全人口のおよそ3分の1にのぼったといわれています。

■シルクロードを通って日本にもたらされたものは?

上で紹介した通り、シルクロードの定義は西方と中国をつなぐ交易路ですが、「シルクロードの終着点は日本」とする説もあります。奈良時代、日本は唐の都・長安に遣唐使を派遣し、古代中国の文化のみならず、ペルシャ製のガラス製品など、国際色豊かな品物を持ち帰っていました。また、朝鮮半島からもシルクロード経由の文化や交易品が入ってきていました。奈良の正倉院の宝物のなかには、ササン朝(イラン)た古代中国の工芸品を見ることができますよ。

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3月28日は「シルクロードの日」。古代中国では、シルクロードを通じて西域から伝わったものに「胡」の字をつけていたそうです。例えば、西域に住むソグド人は「胡人」、西域の人の座り方は「胡座(あぐら)」。食べ物では、胡椒や胡麻、胡桃(くるみ)、胡瓜(きゅうり)などが、シルクロードを経て中国にもたらされました。『西遊記』でお馴染みの三蔵法師が中国・長安から仏典を求めて天竺(てんじく/インド)まで旅をしたのも、シルクロードなのです。西洋ではなく、中国でもない…シルクロード特有の異国情緒は、島国に住む日本人にとって憧れを刺激してやみませんね。

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