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プロフィール

 

名前:ポール・ニューマン(Paul Newman)
出生地:アメリカ合衆国オハイオ州
生年月日:1925年1月26日

第2次世界大戦終戦後、演劇の道へと進んだポール・ニューマン。1954年に映画『銀の盃』でスクリーンデビューを果たし、1958年に出演した映画『熱いトタン屋根の猫』でアカデミー賞主演男優賞に初ノミネートされ、スター俳優としての地位を確立しました。
『ハスラー』(1961年)『暴力脱獄』(1967年)と立て続けにヒット作に出演し、1969年にロバート・レッドフォードと共演した『明日に向かって撃て!』で人気を不動のものに。生涯でアカデミー賞に9度ノミネートされ、『ハスラー2』(1986年)で初受賞を果たしています。また、初監督作品『レーチェル レーチェル』(1968年)は作品賞にノミネートされました。
俳優としてだけでなく実業家としても成功をおさめており、1982年に設立した食品会社「ニューマンズ・オウン」は、すべての利益を子どもたちのために寄付したことでも知られています。
2007年、俳優業からの引退を表明。そして2008年9月、肺がんのため死去しています。

私生活では、1949年にジャッキー・ウィッテと結婚。3人の子どもを授かったものの1958年に離婚しています。同年、ジョアン・ウッドワードと再婚。ハリウッドきってのおしどり夫婦として知られ、仲睦まじい姿をたびたび披露していました。ジョアンとの間には、娘を3人授かっています。

「若いころ」「昔」の写真17選

まず、ポール・ニューマンの「若いころ」「昔」の写真をピックアップ。

1954年(29歳)映画『銀の盃』撮影中

 

1955年(30歳)

 

1955年(30歳)

 

1956年(31歳)映画『傷だらけの栄光』撮影中

 

1956年(31歳)映画『傷だらけの栄光』より

 

1958年(33歳)映画『長く熱い夜』撮影中

 

1958年(33歳)映画『熱いトタン屋根の猫』より

 

1959年(34歳)映画『都会のジャングル』より

 

1960年(35歳)

 

1960年(35歳)

 

1960年(35歳)映画『栄光への脱出』より

 

1960年(35歳)

 

1962年(37歳)ジョン・F・ケネディ国際空港で

 

1962年(37歳)映画『乾いた太陽』より

 

1965年(40歳)映画『レディ L』撮影中

 

1965年(40歳)映画『レディ L』より

 

1965年(40歳)

 

「映画」代表作6選


ここからは、チェックしておきたいポール・ニューマンの代表出演「映画」を6選、ご紹介します。

『明日に向かって撃て!』(1969年)

左は、ロバート・レッドフォード。
右は、ロバート・レッドフォード。

ジョージ・ロイ・ヒル監督。アメリカン・ニューシネマを代表する名作として高い評価を受けた作品。実在したアウトローを題材としている。共演は、ロバート・レッドフォードなど。

あらすじ:1890年代、アメリカ西部。強盗団を率いるお尋ね者ブッチ(ポール・ニューマン)と相棒のサンダンス(ロバート・レッドフォード)は、列車強盗を行ったことで鉄道会社の追跡チームから追われる身となってしまう。サンダンスの恋人エッタ(キャサリン・ロス)と共に南米へ逃亡したふたりは 、そこでも銀行強盗を繰り返すが…。

『スティング』(1973年)

左は、ロバート・レッドフォード。
左は、ロバート・レッドフォード。

ジョージ・ロイ・ヒル監督。共演は、ロバート・レッドフォード、ロバート・ショウなど。

あらすじ:1930年代、シカゴ。相棒をマフィアに殺された詐欺師のフッカー(ロバート・レッドフォード)は、伝説の賭場師ゴンドルフ(ポール・ニューマン)に復讐への協力を依頼。マフィアのボスであるドイル(ロバート・ショウ)を欺くため、壮大な詐欺計画を企だてる。ふたりは仲間を集め、架空のカジノを設立。計画は順調に進むかにみえたが、思わぬ邪魔が入ってしまい…。

『タワーリング・インフェルノ』(1974年)

 

ジョン・ギラーミン監督。リチャード・マーティン・スターンの小説『そびえたつ地獄』とトーマス・N・スコーティアとフランク・M・ロビンソンの小説『タワーリング・インフェルノ』の2作品をもとにした作品。共演は、スティーブ・マックイーン、フレッド・アステアなど。

あらすじ:138階建ての超高層ビル、グラス・タワーが落成式の日を迎えた。パーティーの準備が進むなか、設計者のダグ(ポール・ニューマン)は配線工事が設計通りにおこなわれていないことに気づく。責任者を問い詰めるも、悲劇はすでに始まっていた。配線の不備が原因で81階から火災が発生。招待客、住人が大パニックに陥るなか、ダグは消防隊長のオハラハン(スティーブ・マックイーン)と共に決死の救出活動を試みる。

『評決』(1982年)

 

シドニー・ルメット監督。原作はバリー・リードの小説『The Verdict』。共演は、シャーロット・ランプリング、ジャック・ウォーデンなど。この作品でポール・ニューマンはアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。

あらすじ:アルコール依存症で仕事もなく、鬱屈した日々を送っていた弁護士のフランク・ギャルビン(ポール・ニューマン)は、先輩弁護士のミッキー(ジャック・ウォーデン)の計らいで医療ミスの訴訟を担当することになる。示談を成立させるつもりで話を受けたポールだったが、被害者の姿を目の当たりにしたことで和解を拒否。被害者のため、そして自身の再起を懸け、困難な裁判に挑んでいく。

『ハスラー2』(1986年)

右は、トム・クルーズ。
右は、トム・クルーズ。

マーティン・スコセッシ監督。ウォルター・テヴィスの小説が原作。共演は、トム・クルーズなど。1961年にポール・ニューマン主演で製作された映画『ハスラー』の続編。この作品でポール・ニューマンがアカデミー賞主演男優を受賞した。

あらすじ:かつては凄腕ハスラーとして名を馳せたエディ(ポール・ニューマン)も50代となり、現役を引退しセールスマンとして生計を立てていた。あるとき、若きビリヤードプレイヤー、ヴィンセント(トム・クルーズ)に出会い、その才能を見出したエディ。自身がもつすべてのテクニックをヴィンセントに伝授し、アトランティックシティで行われる大会での勝利を目指す。

『ロード・トゥ・パーディション』(2002年)

右は、トム・ハンクス。
右は、トム・ハンクス。

サム・メンデス監督。マックス・アラン・コリンズの小説が原作。共演は、トム・ハンクス、ジュード・ロウ、ダニエル・クレイグなど。

あらすじ:マフィアの殺し屋マイケル・サリヴァン(トム・ハンクス)は、ボスであるジョン・ルーニー(ポール・ニューマン)から家族同然の深い愛情を向けられていた。ボスの息子コナー(ダニエル・クレイグ)はそれを逆恨みし、マイケルの妻子を殺害。生き残った長男と共に、マイケルはコナーへの復讐を決意する。一方のジョンは、マイケルと実の息子の間で板挟みに苦しむが…。

「妻」の写真6選


1958年に結婚したジョアン・ウッドワードとの仲睦まじい姿は、ハリウッドのゴールデンカップルともいわれ多くの人の憧れの的でした。ポール・ニューマンの初監督作品『レーチェル レーチェル』もジョアンが主演し、アカデミー賞にもノミネートされています。ここからは、「妻」の写真をピックアップ。

1958年に結婚したジョアン・ウッドワードと

1958年1月 結婚式。
1958年1月 結婚式。

1961年 ジョン・F・ケネディ国際空港

 

1965年 

 

1970年

 

1990年 映画『ミスター&ミセス・ブリッジ』より

『パリの旅愁』(1961年)以来、夫婦となってから2本目の共演作。

2004年1月 映画『森林人』スクリーニング

 

「男前遍歴」17選


次に、40代からの「男前遍歴」をお届けします。

1966年(41歳)映画『動く標的』より

 

1967年(42歳)映画『暴力脱獄』より

 

1967年(42歳)映画『暴力脱獄』より

 

1968年(43歳)

 

1969年(44歳)

 

1969年(44歳)映画『レーサー』撮影中

 

1970年(45歳)ニューヨークにて

 

1970年(45歳)ニューヨークにて

 

1972年(47歳)映画『ポケットマネー』より

 

1979年(54歳)ル・マン 24時間レース

 

1985年(60歳)ライム・ロック・パークにて

 

1987年7月(62歳)ゲイリー・ハート キャンペーン

 

1994年3月(69歳)第66回 アカデミー賞授賞式

 

2002年(77歳)舞台『わが町』より

 

2002年(77歳)Victory Junction Gang Camp

 

2002年(77歳)慈善イベント『The World of Nick Adams』リハーサル

 

2003年(78歳)Caring Hands, Caring Hearts Awards

 

「晩年」の写真4選


俳優、レーサー、実業家、慈善活動家…多くの顔をもつカリスマ的存在として、世界中の人々から愛されてきたポール・ニューマン。
自身が設立した食品会社「ニューマンズ・オウン」の利益2億ドル以上をすべて子どもたちのために寄付しただけでなく、アルコール問題への取り組みやドラッグ撲滅運動にも熱心だったといわれ、社会貢献の面でも多大な影響を与えてきました。
2008年、肺がんのため、自宅で死去。ハリウッド史に残る名俳優の功績は、今後も語り継がれていくに違いありません。

2006年(81歳)トヨタ・グランプリ

 

2006年(81歳)Hole in the Wall Camp 慈善イベント

 

2006年(81歳)

 

2007年8月(82歳)Generac Grand Prix

 

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