鈴木保奈美さんの連載「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」|保奈美さん自ら「ライカ」で撮影したフォトも大公開!
雑誌『Precious』で連載中の俳優・鈴木保奈美さんによる「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」では、保奈美さんの趣味のひとつである旅をテーマに、これまで経験してきた旅路を振り返ります。
『Precious』4月号に掲載の第六回では、前回に引き続き、イタリア第3の都市・ナポリで到着早々、絶対絶命!?のピンチに遭遇した保奈美さんの、その後が綴られています。今回も、保奈美さん自ら「ライカ」で撮影したフォトも大公開です!
第六回「混沌のナポリ(2)」 文・鈴木保奈美

フランチェスコは喋り続けている。ナポリ中心部のホテルの前でわたしたち三人をピックアップしてくれてから、そろそろ二十分。今日の天気、先週の天気、これからの天気について。さっき通り過ぎたナポリ中央駅について(我々は知っている、そこが昨日白タクに降ろされた場所だと)。ナポリの成り立ちと経済状況について。
「戦争の後、北ばっかりが発展して南は置いていかれましたからね。今のナポリの失業率は、三十パーセントですよ」大変な数字を、さほど大変そうでもなく言ってのける彼は、四十代後半だろうか、大柄だがキビキビして、丸いゴマ塩頭に愛嬌がある。今日一日、ソレント半島を案内してくれる運転手なのだけれど、この調子でずっと喋り続けるのかしらん、とちょっと不安になって、わたしは窓外に目を向ける。

市街地からほんの少し外側、郊外への高速道路の入り口まで来ただけなのに、この辺りの建物は外壁が崩れていたり、窓が割れていたり、落書きだらけで埃っぽく、通りには人の気配がない。GDP世界八位で美食とファッションの国、その第三都市だというのにこの寂しさは、確かに三十パーセントの失業率を物語っている、と思う。
フランチェスコが黙った。おっ、疲れたのかな、と思ったら、車内に音楽が流れ出した。『帰れソレントへ』
「みなさん、今日はソレントへ行くでしょー。ソレントのトマトは最高。陽当たりが良くて、山の霧のおかげで湿度もある。イタリア中のトマトソース缶はソレント産だからね」
へええ、そうなんだ、と感心していると、続いての曲は『オー・ソレ・ミオ』だ。昭和の日本人たちも、大合唱する。
「さっきの曲もこれもね、イタリア語じゃないんですよ。ナポリの言葉。ナポリ語。世界中の人たち、イタリア語だと思って歌ってくれているけどね、世界一歌われているのはナポリ語なんだなあ」激アツ郷土愛が炸裂している。わたし、こんなふうに日本を自慢できるだろうか。ちょっと羨ましい。


「さあ近づいてきましたよ、ヴェスヴィオ火山。この前の噴火は1944年で、その後ナポリ政府は、麓に人に住んで欲しいから、税金を安くした。だから今、住宅地になっているけど、ヴェスヴィオは生きているからね。また噴火があったら逃げるしかないね。でも火山はナポリ人の魂だからなあ。ヴェスヴィオと、ナポリ湾を挟んで反対側の、カンピ・フレグレイって二つの火山に挟まれてましてね。だからナポリ人の気質はアツいわけよ」

なんと、ナポリ人の気質地中マグマ由来説。すると、わたしの隣で「そうか、火山なのね」と友人が急に色めき立つ。彼女はワインを造る仕事をしていて、土壌や地下水脈に詳しい。火山のある場所は、土にものすごいエネルギーがあるんだよ、と常日頃言っているから、ナポリ人への火山の影響にビビビと来たらしい。おっもしろいなあ。でもさ、日本も火山国なのに、我々のこのおとなしさってなんだろう。太陽が足りないのかな? あっトマト?
日本からイタリアへ飛ぶ機内で、内田洋子『イタリア発イタリア着』を読んだ。内田さんは、1980年代初頭にナポリの大学に留学して、何時間もバスを待たされたり滞在許可証がなかなか出なかったり、大変な目にたくさんあった。その度に周囲の友人に助けられた。と同時に、友人が難題に巻き込まれるのも幾度も目撃した。その混沌を「歩けば、不条理に当たる」と表現している。「ナポリは例外と間違いで成り立っている」とも。

たった二泊の旅行者の感想に過ぎないが、内田さんが綴る当時の街の様子と、四十年後の現在のナポリはびっくりするほど変わっていない。渋滞も騒音もゴミの山も解決していない。かろうじて進化したのは、人々が携帯電話を持っていることと、クレジットカードが使えることくらいではないだろうか。そうしてこれからも変わらないのだろう。観光都市なんだからもうちょっと綺麗に便利にしたら、不況も多少は改善するのでは、と思うけれど、そんなことには興味がなさそうだ。それが、ナポリ。
内田さんはこうも書いている。「不条理の向こう側には必ず果てのない自由が待っているのだ」「不条理は、生き抜くための武器なのだ」と。自由と、生きる力。時間通りに来る地下鉄に、人と目を合わせずに黙って乗っているわたしたちが思うそれとは、まったく質の違うもの。どちらが良いとか、悪いではない。だけど内田さんは、「毎瞬が車線変更のような波瀾万丈」を選んで、再びイタリアへ旅立った。その、エネルギー。ひとりできちんと立つこと。人ときちんと繋がること。突きつけられる。この二日間、わたしの感情は波のように揺さぶられ続けている。火山に湯あたりしたみたいに。
結局フランチェスコは、一日中喋り続けた。
「ねえ、フランチェスコはどうしてそんなに英語が上手なの? どこか外国で学んだの?」
「いやあ、とんでもない。外国のお客さんもずいぶん乗せるからね、アメリカ人も多いし、話せたほうがいいだろうと思って、独学ですよ」
独学でこれかー。やはり、語学の上達の秘訣はお喋りかどうか、だな。
プレイリストもばっちりだった。海岸線をドライブして夕暮れのアマルフィに到着するときにはサラ・ブライトマンとアンドレア・ボチェッリの『Time To Say Goodbye』 を大音響でかけてくれたし、帰宅ラッシュの渋滞を抜けて夜景のナポリを疾走するBGMはクイーン『ボヘミアン・ラプソディ』だった。ベタだな。でも、大好き。
さて翌日。列車でローマへ向かう我々は、因縁のナポリ中央駅にいた。電光掲示板で確認して、11時20分発ローマ行きの国鉄をホームで待つ。五分前。誰ともなしに胸騒ぎがして、チケットの番号をもう一度確かめる。
「うわっ国鉄じゃない私鉄だよ。Italoの11時20分発、ローマ経由フィレンツェ経由のヴェネツィア行きに乗るんだよ!」
なんで同時刻出発なのよ。全力疾走でホームを移動する。ナポリは、カオスなのだ。
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- PHOTO :
- 鈴木保奈美(本人画像はスタッフが撮影)
- EDIT :
- 喜多容子(Precious)
- 撮影協力 :
- ライカカメラジャパン