鈴木保奈美さんの連載「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」|保奈美さん自ら「ライカ」で撮影したフォトも大公開!

雑誌『Precious』で連載中の俳優・鈴木保奈美さんによる「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」では、保奈美さんの趣味のひとつである旅をテーマに、これまで経験してきた旅路を振り返ります。

『Precious』3月号に掲載の第五回では、イタリア第3の都市、ナポリでの出来事が綴られています。今回も保奈美さん自ら「ライカ」で撮影したフォトも大公開です!

鈴木保奈美さん
俳優・文筆業
(すずき・ほなみ)俳優・文筆業。エスプリの効いた感性豊かな文章には定評があり、本誌でも多くのエッセイを執筆。1月から始まった連続ドラマ『プライベートバンカー』(テレビ朝日)では、主人公をサポートする助手役が好評。また、『あの本、読みました?』(BSテレ東)ではMCを、『365日の献立日記』(NHK-Eテレ)ではナレーションをと幅広く活躍している。公式インスタグラム(@honamisuzukiofficial)も人気。

第五回「混沌のナポリ(1)」 文・鈴木保奈美

鈴木保奈美さんが撮影したナポリの風景
ナポリは、南イタリアを代表する、イタリア第3の都市。太陽の恵みを受けたレモンの陶器のように、街じゅうに鮮やかな色が溢れ出す。

ナポリ、カポディキーノ空港から外に出たわたしたちは、「ローマよりあったかいね」とか言いながらタクシー乗り場へ歩き始めた。スーツケースはローマのホテルに置いてきたから、身軽な一行。アラウンド還暦の女ふたり、男ひとりの三人連れだ。地元っぽい人の流れに混ざっていくと、「タクシーか? こっちだ」と威勢のいいおじさんが人並みをさばいている。

「シティか?」
「そう、シティのセンターあたりのホテルへ行きたいの」
「ならこっちだ」

「グラツィエ」、とついていくと、三列シートのワンボックスカーが停まっている。いやいや、わたしたち三人だけど荷物小さいからさ、しかも車内を見たら、すでに人が乗っているし。後ろに三人、真ん中に二人。

そこへ登場したのは痩せて小さいけれどさらに威勢のいいおじさん。
「シティセンターだろ?さあ乗れ。一人五ユーロだ」
「えーと、あの」
「二人、二列目ね。あとの一人は助手席。三人で十五ユーロ、今ね」

じいさん、有無を言わせない。さらにもう一人、大学生くらいの女性客が送り込まれて、「はい助手席詰めて、お嬢ちゃんそこに乗んな」

この車、どう見ても八人乗りだと思うが、お構いなしだ。こ、これは世に言う白タクではないか? 我々は相当旅慣れた日本人のつもりだが、気がついたら車は走り出していた。じいさん、ギュインギュイン飛ばす。車内は無言。他の乗客は納得しているのかいないのか? そしてあっという間に停車した。
「ほうら、チェントラーレだ。お疲れさん」

無言のまま淡々と降りていく客たち。そう、白タクの行き先はナポリ中央駅、シティのセンターの駅のことだったのだ。

空港スタイルの鈴木保奈美さん
 

「さっそくナポリの洗礼を受けたねえ」「駅だからタクシー乗り場あるし、まあいいか」とヘラヘラ笑いつつ、ドキドキがおさまらないわたしたちである。改めてタクシーに乗り直し、ホテルへ向かった。運転手、ギュインギュイン飛ばす。いや、彼だけではない。ナポリ中の車両が、車線なんかお構いなしで、隙あらばと割り込んでくる。斜めに頭を突っ込んで、無理矢理にこじ開ける。そのさらにわずかな隙間にバイクがねじ込んでくる。石畳の道路はところどころ陥没して、シートが右に左に傾く。クラクションがひっきりなしに鳴り響く。ナポリは、カオスだ。

鈴木保奈美さんが撮影したナポリの風景
 

到着したホテルの住所は大通りに面しているのだが、頑丈な扉には看板もない。ホテル名がボールペンで書かれたインターホンを押してみると、「中に入って二階へ上がれ」、と言われる。重い扉の内側は、中庭、と思わせて、まるで自動車整備工場のような殺風景な雰囲気だ。

二階って…え、これ?唯一そこに認められた昇降機的なもの(その呼び方しか思いつかない)は鉄パイプで囲まれた半畳ほどのスチールの箱。小柄な日本人三人、ぎゅうぎゅう詰めで運ばれる。“犯人がアジトにしている港の倉庫に連れてこられた人質” を想像してみよう。今、わたしたちは、まさにそれ。イタリアへ数十回も仕事で来ている人質の一人が、涙目で呟く。「俺、ここ、ダメかも…」

ジイーッ、ガタン、と箱が止まり、どうやら人質自ら戸を開けることになっているようだ。待ち受けているのは秘密クラブの女王かマフィアの親分か、絶体絶命のオレたちどうなる!? 

と、そこは、ごく普通のホテルのレセプションであり、ふっくらと大柄な中年女性が真面目そうな微笑みをたたえて座っていた。歴史的な建物のワンフロアを改装して、十部屋ほどの小さなブティックホテルとして営業しているというわけだ。真新しい白い壁に青や赤のポイントを入れたモダンなインテリア、シャワーの水圧も申し分ない。こじんまりとしたラウンジではビュッフェの朝食が出る。

イタリア旅行中の鈴木保奈美さん
 

翌朝コーヒーをもらいに行ったら、例の大柄女性が、
「この焼き菓子、ナポリの朝の定番なんですよ。ミッレフィオーリのエッセンスが入っているの。ぜひ召し上がって」(多分このくらいの丁寧な口調)と取り分けてくれた。なあんだ、居心地いいじゃん。しかしナポリに到着してからのこの感情のアップダウンに、ひ弱な日本人たち、ぐらんぐらん、メンタル崩壊状態である。

ホテルを出て五分も歩くとそこは、悪名高き、おっと失礼、随一の観光名所、スパッカナポリだ。街をスパッと二つに割るからスパッカーレ、が語源だなんて、日本語とイタリア語の起源は近いのではないかと思わされる。オノマトペ由来の典型的な動詞の一つであるな。

鈴木保奈美さんが撮影したナポリの風景
陶器が並ぶ、アマルフィの土産物店。

旧市街のこの地区、まあ、アメ横? 香港のネイザン・ロード? それを粘土でつくってギュギュッと細長くしてトマトソースとチーズをかけて焼いたみたいな…要するに、カオスだ。過剰なモノ。過剰な人。生活の場であると同時に観光地でもあるのに、整理整頓しようという気はまったく無いのか。過剰なゴミ。古い石造の建物の過剰な彫刻。それを覆う過剰な落書き。バッグはお腹に抱えて歩きましょう。キョロキョロしていると、狙われますよ。でも、キョロキョロしちゃう。見たいものと、見なきゃいけないものだらけなんだもの。だけどうっかり立ち止まったら、後ろから荷物を引ったくられるのかもしれない…。清潔で時間厳守のおもてなしの国からやってきた、甘やかされた日本人には目から星が出るほどの強烈パンチだ。日頃、東京の街をどれだけ油断して歩いていることだろう。ここでGoogle Mapなんかボーッと見ていたら、携帯電話は風に吹かれる木の葉の如く消え失せるであろうから、両手でしっかり握って壁を背にして迷宮からの出口を探す。曲がり角の向こうで、三千枚のガラスを叩き割ったようなガラガラガッシャーン! という音が響き渡り、すわ抗争か、テロか!?と身構えれば、姿を現したのはガラス瓶の回収車だ。あ、資源ゴミの日でしたか。

鈴木保奈美さんが撮影したナポリの風景
陽気な南イタリアの人たちと同じように、ナポリの猫も人懐っこい。

路上の吸い殻、スナック菓子の袋、溶けたジェラート、潰れたペットボトル、ひしゃげたビール缶、歯形のついたリンゴの芯、犬の糞、鳩の糞、夥しいゴミをつま先立ちでなんとか避けながら、息も絶え絶えにホテルに帰り着けば、待っているのは人質運搬昇降機。ああ、なんて刺激的。ここで二泊、生き延びることができるのか? 「ナポリを見て死ね」とは、こういうことだったのであろうか…。(次号に続く)

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PHOTO :
鈴木保奈美(本人画像はスタッフが撮影)
EDIT :
喜多容子(Precious)
撮影協力 :
ライカカメラ ジャパン