鈴木保奈美さんの連載「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」|保奈美さん自ら「ライカ」で撮影したフォトも大公開!
雑誌『Precious』で連載中の俳優・鈴木保奈美さんによる「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」では、保奈美さんの趣味のひとつである旅をテーマに、これまで経験してきた旅路を振り返ります。
旅先では必ず、美術館を訪れるようにしているという保奈美さん。『Precious』2月号に掲載の第四回では、ボストン、ニューヨークで訪れた美術館での出来事が綴られています。今回も保奈美さん自ら「ライカ」で撮影したフォトも大公開!
第四回「小説と美術館」 文・鈴木保奈美
その日のボストン美術館は、思いのほか空いていた。一年前はチケット売り場に、郷土玩具の “竹蛇” みたいな、あのカクカクとした “巳” の字みたいな行列が長く伸びていたのに、この日はガランとしていた。なあんだ、せっかくオンラインで先にチケット買っておいたのにな。昨今、美術館や博物館の入場にはオンラインチケットがほぼ必須である。売り場に長時間並ぶことを考えたら、メールアドレスとか、住所とかクレジットカード番号とか、老眼鏡越しにコツコツ打ち込んでいく面倒も仕方がないか、と諦めてやっている。その後、次の展示のお知らせ、とか、年間会員のお誘い、とか、やたらとメールが届くようになって、うわ、紐付けられたな〜と閉口することになるのだけど。館によっては現地で入場券を買えないことさえある。
これもボストンにある、大好きなイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館へぷらりと行った時のこと。日時指定の入場券が、その日も、次の日の分も、オンライン上で全て売り切れているからまた出直してね、と貼り紙がしてあった。ひええ、数年前は思いつきでヒョイと入ることができたのに。人気が出たのは嬉しいが、以前から贔屓にしているアタシを入れてくれないなんて、あんまりじゃございませんこと。人数に制限のある小さい美術館は要注意である。
話が逸れた。人のいない美術館は最高だ。エル・グレコもベラスケスも好きなだけ眺めていられる。行き過ぎてから、あ、もう一回観たい、と戻ってもいい。小さなグループが、専属のガイドからジョン・シンガー・サージェントの解説を聞いているところに行き当たって、しばらく一緒になって耳をそば立てる。好きな画家の豆知識を仕入れることができて、ちょっと得した気分。
そしてゴーギャンだ。『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』。この作品が15年前に竹橋の美術館に来た時、わたしは観に行っているはずだ。ぎゅうぎゅうづめの展示室で、前の人の頭や肩越しに、そして後ろの人の視界を遮らないよう、背伸びしながら縮こまって観た記憶がある。しか〜し。今日はこの画をひ! と! り! じ! め! 近寄ったり離れたり、隅々まで堪能する。周囲に監視員すら見当たらなくて、なんならさわれちゃうくらいだ(もちろん絶対にやらないけど)。自由だ。自由に観ると自由な画に感じる。以前は暗くて窮屈な画だと思っていたのに。
興奮したわたしは作家の原田マハさんにLINEを送った。なぜ原田さん? だってゴーギャンと言えば、『リボルバー』でしょう。『リボルバー』と言えば、マハさんでしょう。まあ、小説と美術を結びつけるのが好きなわたしにとっては、ゴッホもルソーも、マハさん、なのだけれど。
保:マハさんこんにちは。今、ボストンです。MFA(ボストン美術館)ガラガラで、ゴーギャンさわれるほどです(わたしもしつこいな。さわらないってば)
マ:すてき! いまから棟方志功さんのお墓参りで青森です。ゴーギャンによろしく
保:このあとN.Y.なので絶対にMOMAでルソーを観るでしょう
マ:行く前にぜひ『モダン』を読んでみて。MOMAの全てが愛おしくなるはずです
おっと。『モダン』ですって? その小説はまだ読んでいない。だけど、わかる。マハさんの小説を読んで、画家が、美術作品が、ぐんと近づいてくるあの感じ。読みたい。間違いなく、読むべきだ。しかし、ここはボストン。TSUTAYAも丸善も紀伊國屋も無い。さあ、どうする、アタシ? マハさんからのLINEにはリンクが貼ってあり、それを開いたわたしの目からウロコがはらりと、落ちたね。おおお。電子書籍という手があるではないか。休みの日には書店へ入り浸るのが至福の、紙の本をこよなく愛するわたしには思いもよらなかった解決策、電子書籍。ここでデビューしなくていつするというのだ。紙の本たちよ許してほしい。決して心変わりしたわけではないのだ。旅先でどうしても読みたい本を手に入れる、今はこれが唯一の手段なのだよ。言い訳しながらスマホにアプリを入れ、『モダン』を購入する。開く。うっわあ、ここで小説が読めるなんて。なんという文明の利器。
翌朝。ボストン、サウス・ステーションの向かいの “Tatte Bakery” でコーヒーとハム・チーズ・クロワッサン(いちばんのお勧めです)を買ってアムトラックに乗り込んだわたしは、ニューヨーク、ペン・ステーションへの三時間半を、幸せな読書に費やした。
MOMA、ニューヨーク近代美術館には今まで何度か行ったことがある、が、今回の訪問は全く別なものになった。初代館長がどんな思いを込めて収蔵品を集めていったのか、キュレーターから監視員まで、どれだけ多くの人々が運営に関わっているのか、彼らの生活とアートの接点がどこにあるのか…。これまでとは違う視点で、深さで、思いを馳せることができる。そして、ああ、アンドリュー・ワイエスの『クリスティーナの世界』だ。ワイエスってなんだか寂しげな色遣いだなあ、というくらいの印象しか持っていなかったのに、小説を読んだ今ではクリスティーナが愛おしくてならない。なのに! どういうわけかこの作品は、エスカレーターホールと展示室を繋ぐ小さな部屋にそおっと置かれている。どうみても、廊下。なので、その先にあるマチスやピカソやミロやダリを目指す人々は、振り向きもせずにぐんぐん通り過ぎて行く。みんな、お願いだからここにいるクリスティーナを観ていって、とわたしは泣きそうな気持ちになる。人波が途切れた隙にようやく向き合って、わたしはあなたの存在を知ってるからね、がんばるのよクリスティーナ、と声を掛けてみたりする。わたしだけが知っている、という、ちょっと特権のような気分も味わいながら。
一冊の小説のおかげで、MOMAに大切な友人ができた。こんな出会いが、わたしを次の旅に向かわせる。
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- EDIT :
- 喜多容子(Precious)
- 撮影 :
- 鈴木保奈美(本人画像はスタッフが撮影)
- 撮影協力 :
- ライカカメラ ジャパン