かつて毎年の年末年始に、パリ・オペラ座に毎日通いつめていた時期がある。この季節には間違いなく海外公演から戻ってくる、オペラ座バレエ団の公演を観られるからだ。インターネット予約などない時代に、劇場の右横にあったチケット売り場で、キャンセルの出た当日や翌日の券の有無を尋ねるのが日課だった。シャンゼリゼ近くが定宿だったので、ラ・ペー通りは近道になる。その中間にあるヴァンドーム広場が、ラ・ペー通りをストラップに見立てた腕時計の形にみえることに気づいたのはその時のことだ。シャネルの腕時計「ボーイフレンド」はまさに、その形をしている。

シャネル「ボーイフレンド スケルトン」

シャネル独自のベージュゴールドに思わず見惚れる1本

アーティスティックなスケルトンは、円を縦に重ねた造形が斬新。ブラックの地板の面取りに施されたベージュゴールドの色が、シャネルのジャケットのパイピングのようにもみえる。●手巻き●18Kベージュゴールド●ケース径37×28.6mm●ブラック アリゲーターストラップ●¥5,143,500(税込価格、今夏発売予定)

 「ボーイフレンド」が世に出たのは2015年のことだ。8角形のフォルムはヴァンドーム広場でもあり、香水「シャネル N°5」のボトルストッパーでもある。その時計はボーイフレンドの時計をかりたようなマニッシュさが女性の心をつかみ、男たちのガールフレンドたちを色めき立たせた。それが最新作のラインアップでは、スモールモデルの縦27.9ミリに対し、ラージでは横幅がそれを凌ぐ28.6ミリで、縦は37ミリある。フェイスの大きさも、男性向けで申し分ない。もともと細い手首の男が多いわが国では、ラウンド型で35ミリ径前後の時計を慣例的に<ボーイズ>サイズと呼ぶことがある。

 ラージのサイズを採る「ボーイフレンド スケルトン」は、仕立てからして男の目を射抜く。シャネル独自の素材であるベージュゴールドの風合いは、メインプレートの斜めの面取りにもほどこされ、ADLC加工の黒と対照的な陰陽で立体感を描いている。シャネルはこの時計のために専用の新ムーブメント「キャリバー 3.」を誂えた。表側から見せる、本来は部品を支えるメインプレートの形状、時分針を中心にひとつ、スモールセコンド針にひとつ、円形にかたどる離れ業を披露した。

ボーイフレンドの為に作られたビスポークムーブメント

ケースバック側のムーブメントも、円形を組み合わせた独創的な構成。シャネルのアイコンであり、自社ムーブメントの証でもあるライオンも姿をみせる。

 さらには全体構造を支える最外縁の円弧を中断し、8角形の縦軸に合わせて垂直線で繋ぐ。つまりは「ボーイフレンド スケルトン」だけに合わせた、贅沢極まりないビスポークのムーブメントなのである。裏を返してみると、歯車を支えるブリッジまでが半円弧を描き、ライオンのアイコンを掲げる。どこまでも美学的な、このシャネルらしい漆黒のムーブメントは、しかも55時間ものパワーリザーブ性能も持つ。

 シャネルには「エゴイスト」という、男性用のフレグランスがある。本来は人を批難する言葉すら美的に昇華させてしまうシャネルの魔力は、「ボーイフレンド」という言葉に新しい意味を与えた。フランス語には何通りもの男友達が存在する。アマン、アムルー、プティタミ、アミ。恋する国の言語には恋愛感情の有無から関係の深さ、既婚者で訳ありの場合も含めて、ひとことで当てはまる言葉がある。

 その国で居心地の悪かった外来語は、シャネルというこれ以上ない場所を得た。「ボーイフレンド スケルトン」は、女たちの語る目的語「「ボーイフレンド」の格を主語に変えて、男たちを魅了することができる腕時計なのである。

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この記事の執筆者
桐蔭横浜大学教授、博士(学術)、京都造形芸術大学大学院博士課程修了。著書『腕時計一生もの』(光文社)、『腕時計のこだわり』(ソフトバンク新書)がある。早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校・学習院さくらアカデミーでは、一般受講可能な時計の文化論講座を開講。