【目次】
【前回のあらすじ】
第29回「江戸生蔦屋仇討(えどうまれつたやのあだうち」は、そのタイトル通り、蔦屋重三郎(横浜流星さん)らしい粋な仇討ちを描いた回となりました!
浅間山の噴火で、世は米不足に大不況。これらすべては「田沼様の失政である」との民衆の不満が募り、意知(宮沢氷魚さん)を成敗した佐野政言(矢本悠馬さん)は、佐野大明神として崇め奉られていました。
一方、かをり(誰袖花魁の幼名/福原遥さん)は何かに取り憑かれたように、政言の親族への呪詛を続けています。なんとかしてかをりの笑顔を取り戻したい蔦重は、北尾政演(山東京伝/古川雄大さん)が手拭いに描いた「団子鼻の男」を主人公に、「腹がよじれるくらいおもしろい黄表紙」をつくることを思いつきます。
史実とは異なるのかもしれませんが、新作づくりを政演ひとりに丸投げするのではなく、チーム蔦重が知恵を持ち寄りつくり上げていく描写が秀逸でしたね。滅法おもしろいけど暴走しがちなクリエイターたちの手綱を握りつつ、「世間の良識の体現者」のようなてい(橋本愛さん)の視点や、リアルな世情を知る新之介(井之脇海さん)の意見も取り入れ、「素人も楽しめて『通』も唸るものにしなければ、大ヒットは生まれない」と仕切る蔦重。やはりこの人のプロデュース能力は並みではありません!
そして、ていこそが「俺のたったひとりの女房」と、彼女の本質を見抜いた彼の目利きも、やはり確かなものでした。

さらに「才に恵まれたチャラ男」かと思われていた政演が、実は恋川春町(岡山天音さん)側の人、すなわち、「創作のためなら些末なことにもこだわる努力の人」だったとわかったのも、今回の収獲。過去には政演の才能を妬んだ春町が、政演を無理矢理ハグする様子は胸熱でした。
鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)から、「団子鼻の男」が佐野政言に似ていると指摘された蔦重は、実際の政言が大真面目な苦労人だったことを聞かされます。「気の毒な人は笑えない…」と呟く蔦重ですが、その瞬間、「気の毒な人間じゃなきゃ、笑えるってことか?」と気付きます。このひらけきから、一気に「団子鼻の男」のキャラ設定がふくらみます。大金持ちのひとり息子で、苦労知らずの若(バカ)旦那。周りからおだてられ、色男として浮名を立てることに命を懸ける…この発想に春町や朋誠堂喜三二(尾美としのりさん)が盛り上がり、ついに政演の創作意欲に火を付けます。「…例えば大枚はたいて押しかけ女房を雇うとか!」…こうなったら、妄想は止まりません!
もともと女性にモテる政演の体験談に加え、蔦重も「色男」のネタをほうぼうからかき集め…やがて完成したのが『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』。出来立ての本を手に、蔦重はかをりを訪ねます。「待たせたな。これが俺の敵討ちだ」。そう言って、放心した様子のかをりに『江戸生艶気樺焼』を読み聞かせるのでした。

物語を読み進めるうちに、かをりの目には徐々に生気が宿り始め…筋書きのあまりの馬鹿馬鹿しさに、たまらず笑い出します。かをりは笑顔を取り戻したのです!
年が明けて天明5(1785)年、黄表紙『江戸生艶気樺焼』は売れに売れ、空前の大ヒットとなりました。世の噂の種は、佐野大明神から『江戸生艶気樺焼』の主人公・仇気屋艶二郎(あだきやえんじろう/つやじろう)に移ります。主人公の「仇気屋」はもちろん蔦重の命名です。本の力で、佐野大明神ブームを終わらせる。田沼意次(渡辺謙さん)が言う通り、エンタメ業界に生きる蔦重ならではの、なんとも粋な仇討ちです! しかもしっかり儲かるんですよ。黄表紙の主人公をこうして自作のストーリーにつなげてくるとは、森下桂子さんの脚本、改めて恐るべし!
そして、かをりはきっともう大丈夫。強く生きていってくれるに違いありません!
本のストーリーを紹介する劇中劇は、芸者姿のていさんをはじめ、出演者の皆さん、ノリノリでしたね。次郎兵衛兄さん(中村蒼さん)も久々の登場でした。「大河ドラマ『べらぼう』公式X」によれば、 古川雄大さんの特殊メイク担当者がいちばん苦労されたのは、古川さんご自身の高くシュッとした鼻になじむ、低い団子鼻を付けることだったそうです。 メイクもあえてクールな眉と目を下がり眉と垂れ目にして、美点をすべて消し去ったのが、艶二郎のビジュアルだったとか。 それでも、古川さんの歌や振り付けがカッコよすぎて演出担当は困惑…さすがはミュージカル界のプリンスです!
そしてドラマの中盤、たわむれに政演にしなだれかかる蔦重の妖艶な仕草と目線には、横浜流星さんのただならぬ色香が爆発していましたね! いかにも歌舞伎の女形を彷彿とさせる芝居は、自ら広告塔になり商品を宣伝することに長けた蔦重だけに、映画『国宝』のプロモーションも兼ねていたのでしょうか(笑)。
【大ベストセラーの『江戸生艶気樺焼』って?】
■「北尾政演」とは
宝暦11(1761)年生まれの北尾政演(まさのぶ)は、蔦重の11歳下です。本名は岩瀬醒(いわせさむる)。マルチな才能をもち、画工としては北尾政演を、戯作者としては山東京伝(さんとうきょうでん)を名乗り、狂歌名は身軽折輔。ストーリーと絵、両方を手掛ける、現代でいうところの漫画家のような創作スタイルも、恋川春町と共通していますね。
出世作は天明2(1782)年の『御存商売物』(ごぞんじのしょうばいもの)。出版元は鶴屋喜右衛門です。ドラマ中で鶴屋さんが「大当たりを出してくれるなら(本来はうちのお抱えである)京伝先生をお貸しします」と言っていたのは、政演が絵師としてだけでなく戯作者としても、蔦重に協力してもよい、という意味だったのです。
『江戸生艶気樺焼』が大ヒットしたのは、政演24歳のとき。現在でも黄表紙作家といえばいちばんに名前が挙がる程のヒットメーカーとなりました。寛政の改革(1787〜93年)以降も波乱の人生を送るのですが、ネタバレを含みますので、続きはお楽しみに。
■『江戸生艶気樺焼』とは
「べらぼう」第28回 「佐野世直し大明神」で登場した「手拭合(たなぐいあわせ)」は、政演らによる手拭いデザイン集です。この本で人気を博したのが、『江戸生艶気樺焼』の主人公・仇気屋艶二郎となって再登場する「団子鼻の男」でした。
『江戸生艶気樺焼』のタイトルは、「江戸前鰻樺焼」のもじり。江戸ではうなぎの蒲焼きがトレンドだったのですね。今でいうところのブサメンである艶二郎が、あれやこれやの策を弄して、なんとか色男としての浮名を立てようとする物語です。これだけならよくある話とも言えますが、艶二郎が普通と違うのは、彼が途方もない金持ちのボンボンだということ。そのため、普通なら妄想だけで終わってしまうような夢も、すべて大まじめに実行できてしまうのです。行き着くところは滑稽の極み。
ドラマの劇中劇は、艶二郎が吉原の花魁・浮名を身請けし、心中の真似事をしようと駆け落ちするところで終わっていますが、実際にはこの続きがあります。なんと艶二郎は盗賊ふたりに身ぐるみを剥がされてしまうのです。
仕方なく家に帰った艶二郎は、実はその盗賊が父親と番頭の芝居だったと知り、きつい説教の甲斐もあって、真人間になることを誓います。浮名と夫婦になったうえに妾も片付け、さらには自分のそれまでの行動を世の中の浮ついた人々への戒めにしたいと、作家の山東京伝に頼んで書かせたのが、この『江戸生艶気樺焼』だというオチ。艶二郎の家も末広がりに栄えたというのですから、なんともおめでたくナンセンスなお話です。
そして、特徴的な団子鼻は「京伝鼻」と呼ばれ、吉原では色男を気取るうぬぼれ客を「艶二郎」と揶揄するようになったとか。まさに2代目金々先生と言えましょう。とはいえ、ゆるキャラのようなかわいらしさが、なんとも憎めない男です。
【次回 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第30回「人まね歌麿」のあらすじ】
黄表紙の『江戸生艶気樺焼』が売れ、日本橋の耕書堂は開店以来の大盛況となった。蔦重(横浜流星さん)は狂歌師と絵師が協業した狂歌絵本を手掛けるため、“人まね歌麿”と噂になり始めた歌磨(染谷将太さん)を、今が売り時と判断し起用する。その後、蔦重は“歌麿ならではの絵”を描いてほしいと新たに依頼するも歌麿は描き方に苦しむ…。一方、松平定信(井上祐貴さん)は、治済(生田斗真さん)から、公儀の政に参画しないかと誘いを受ける…。

※『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第29回 「「江戸生蔦屋仇討(えどうまれつたやのあだうち)」」のNHKプラス配信期間は2025年8月10日(日)午後8:44までです。
- TEXT :
- Precious編集部
- WRITING :
- 河西真紀
- 参考資料:『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~ 後編』(NHK出版)/『あの快作を現代語訳 黄表紙のぞき』(大和堂) :