【目次】

【前回のあらすじ】

第31回「我が名は天」は、前回のラストシーン同様、大雨にずぶぬれになりながら全身で不吉さを表していた一橋治済(はるさだ/生田斗真さん)の異様な姿で始まりました。

治済は徳川御三卿のひとつ、一橋家の2代当主。贅沢で優雅な生活を謳歌する“でくのぼう風”を装っていますが、ドラマでも第1回から超絶怪しい不穏さをたたえている男です。10代将軍徳川家治(眞島秀和さん)の嫡男家基が18歳で急死したのち、自身の長男豊千代が徳川家の養子になった(第11第家済となる)ことで幕府の内外で大きな影響力をもち、要所要所で怪しさをチラつかせてきましたね。「江戸の怪物」と呼ばれた治済、生田斗真さんの怪演っぷりが際立った冒頭シーンでした。

そして…今回は悲しい死がふたつ。ひとつは家治の怪死です。史実では、水腫で療養していたところ田沼意次(ドラマでは渡辺謙さん)が連れてきた医者の調合薬を飲んで急死したとか(諸説あります)。『べらぼう』では、側室・知保の方(高梨臨さん)が手づくりした「醍醐」という滋養の高い菓子を食べたあとに容態が悪化。毒を盛られたかも…と疑いながら、毒おろしを得意とする口の堅い医者を手配するよう意次に頼みます。しかしその手当ての甲斐なく死去。怪しいと思いながらも知保を気遣う家治と、その思いに応える意次。家基が急死して以来様子がおかしい知保と、怪しさMAXな側近・大崎(映美くららさん)。

大崎は11代将軍となる家斉の乳母ですから、治済の息がかかっているのは誰の目にも明らかです。家治の症状悪化は意次が医者を変えたせいだという文が大奥から老中に届き、意次がその医者を使って毒を盛ったという噂まで立てられる始末。策略、陰謀、人を蹴落とすことなんて、思いのほか簡単なのだと背筋が凍る思いがしました。

もうひとつは、江戸を離れて農業をしていた小田新之助(井之脇海さん)とふく(元うつせみ花魁、小野花梨さん)を襲った悲劇です。

(C)NHK 蔦重(横浜流星さん)が差し入れた米を盗みに入った男の手によって、ふく(小野花梨さん)とその男の赤ん坊が殺されてしまう…。胸をえぐられるような地獄だとSNSでも話題に。

浅間山の噴火によって流民となり、蔦重を頼って江戸へ戻ったこの夫婦。平賀源内を慕い行動を共にしていた浪人の新之助(森下佳子さんによる『べらぼう』オリジナルキャラ)と、吉原の女郎屋「松葉屋」の花魁うつせみ(こちらは実在キャラ!)の駆け落ちからの江戸へUターンでした。夫は蔦重から筆耕の仕事を請け負うなどして生計を立て、子どもも授かって貧しいながらも幸せに…と思わせた矢先のことです。

天明6(1786)年、利根川決壊により江戸市中にも大洪水の被害が出ました。また、天明3(1783)年には浅間山大噴火が起こり、江戸にも灰を降らせましたね。そしてそれを発端とする大飢饉、異常乾燥や洪水など、天明6年にかけて起きたさまざまな天変地異で庶民の生活は大逼迫。多少豊かである蔦重のような町衆は何かできないかと策を練りますが、なかなかいい案は浮かびません。

個人的にできることとして、蔦重は新之助夫婦に「子どものためだ」と衣服や米を届けました。乳飲み子を抱えるふくは、その米によってなんとか母乳を赤ん坊に与えることができたのでしょう。自分の子どもだけでなく、栄養不足でお乳の出ない母親に代わって他人の子にも母乳を分け与えます。お隣さんから調味料を借りることさえ考えられない…という人も多いかもしれませんが、(今放送中の朝ドラ『あんぱん』ではそんなそんなシーンがありましたね!)、実は現代でも「他人の子に母乳を飲ませる」という行為は各国で行われています。その行為は医学的、モラル的など、賛否両論あるようですが、ふくの場合は切迫した状況と、困ったときはお互いさまという親切心、そして「私は人に身を差し出すのには慣れているから、とも」(新之助談)という思いからの行為でした。けれど、その親切心が彼女の死を招いてしまったのです。こんな最期が訪れるなんて…森下さん、悲しすぎますよ~。

さて、この第31回「我が名は天」の「我」とは誰なのでしょう。一橋治済? それとも、絶命直前に「我が天より見ているぞ」と治済に迫った家治? 『べらぼう』後半の2大柱は、田沼から松平への政権交代と、蔦重プロデュースによる浮世絵師・喜多川歌麿(染谷将太さん)の成功だと筆者は予測していますが、今回は政(まつりごと)を巡る大河ドラマらしい内容でした。


【将軍を死に追いやった(かもしれない)「醍醐」とは?】

体調の優れない家治のため、側室・知保の方は何か滋養のあるものを見舞いにしたいと大崎に相談。ここで大崎は「キターーー!」という思いをぐっとこらえ、今思いついたという風情で「醍醐(だいご)、などはいかがでしょうか」と持ちかけました。知保の手ずからによるこの「醍醐」が家治の死に直結したかは不明ですが、「醍醐」とはどんなものなのか気になりますよね。

■「醍醐」とは?

劇中に登場したこの「醍醐」なるもの、硬いのか柔らかいのか食感は不明ですが、見た目はチーズのようでもあり、餅や飴のようでもあり…。

『日本国語大辞典』によると、【牛乳を精製して作った純粋最上の味のもの。非常に濃厚な甘味で薬用などに用いる】などとあります。牛乳を精製するにあたって5つの発酵段階(乳、酪、生酥、熟酥、醍醐)を経るのですが、この5つの味を「五味」といい、あとのものほど美味で「醍醐」がその最高の味とされることから「醍醐味」という言葉が生まれました。甘いチーズのようなもの? あるいは“ママの味ミルキー”のようなものでしょうか。

ここで気になったので不二家のミルクソフトキャンディ「ミルキー」を調べてみました。戦後いち早く沼津工場を再建した不二家。間もなく水飴と練乳を手に入れた創業者の林右衛門は、このふたつの製菓材料で新しい商品開発に着手します。

そして丸2年を要した昭和26(1951)年、母親の愛情を表すような柔らかい食感と味で、母乳の懐かしさを感じさせるようなお菓子、ソフトキャンディーのミルキーが誕生。2025年はキャラクターのペコちゃん誕生75周年、ミルキーは2006年に75周年を迎えるロングセラー商品です。商品ラインナップには、「ブラックミルキー(コーラ味)」(ミルクなのっ!? コーラなのっ!?)や、「カッチコチミルキー」(おいしさが長続きするハードキャンディ系)、「生ミルキー」(あっという間に溶ける新食感!)などの変化球商品もありました。

■母乳にはお米が必須!

生まれたてから離乳食が食べられるようになるまで、赤ちゃんの栄養摂取は主にミルクで、特に昔は母乳に頼るしかありませんでした。しかし、栄養状態によっては十分な母乳が出ない母親も多かったわけです。母乳の生成にはバランスの取れた食事が重要。なかでもお米は母乳の成分となる炭水化物を供給するうえで重要な食物でした。

蔦重が「おふくさんのために」と持ってきたのもお米。ふくは、その米をお粥などにして、少しずつ大切に食べたことでしょう。ふくを死なせてしまった男が捕まり新之助が駆けつけたシーンの、「おぎゃーおぎゃー」と赤ん坊の泣き声が響き渡る演出は、胸に迫るものがありました。


喜多川歌麿への道(二の前に…)】

また、第31回放送では、鳥山石燕(片岡鶴太郎さん)のもとで絵の修行をしている歌麿が、蔦重に絵の道具(筆や絵皿など)を借りにやってきます。石燕の庵は平屋だから物を逃がすことができなかった――ほどの利根川決壊の被害にあったというわけです。残念ながらこの回は出版関係のエピソードはこれくらい。史実では歌麿の幼少期しか石燕先生との交流は確認できませんが、美人大首絵(上半身を描いた女性像)でブレイクする以前の『潮干のつと』や『画本虫撰』などの狂歌絵本で、歌麿はその画力を遺憾なく発揮しています。妖怪絵師と呼ばれた石燕先生の元での修行は、その辺りにつながるのでしょうか。これからの放送で歌麿の作品に触れるのが楽しみです。


【次回 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第32回 「新之助の義」のあらすじ】

(C)NHK
(C)NHK

御三家は新たな老中に定信(井上祐貴さん)を推挙する意見書を出すが、田沼派の水野忠友(小松和重さん)や松平康福(相島一之さん)は謹慎を続ける意次(渡辺謙さん)の復帰に奔走し、意次は再び登城を許される…。
そんななか、蔦重(横浜流星さん)は、新之助(井之脇海さん)を訪ねると、救い米が出たことを知る。蔦重
は意次の対策が功を奏したからだと言うが、長屋の住民たちから田沼時代に利を得た自分への怒りや反発の声を浴びせられてしまう。

※『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第31回 「我が名は天」のNHKプラス配信期間は2025年8月24日(日)午後8:44までです。

この記事の執筆者
美しいものこそ贅沢。新しい時代のラグジュアリー・ファッションマガジン『Precious』の編集部アカウントです。雑誌制作の過程で見つけた美しいもの、楽しいことをご紹介します。
WRITING :
小竹智子
参考資料:『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~ 後編』(NHK出版)/『日本国語大辞典』(小学館)/『別冊太陽 蔦屋重三郎の仕事』(平凡社)/『デジタル大辞泉』(小学館) :