【目次】

【前回のあらすじ】

自分をかばって凶器に身を投げ出した新之助(井之脇海さん)の死による喪失から、抜け殻のようになった蔦重(横浜流星さん)。そこへ歌麿(染谷将太さん)が、植物や昆虫などを描いた下絵(板木に貼ってその上から彫るため残らないのでこう呼ばれました)を持ってやって来たのが前々回「打壊演太女功徳(うちこわしえんためのくどく)」の終盤シーンでした。

歌麿が描いた生命力に溢れた美しい自然の姿に、蔦重もまた命を吹き返したようでしたね。しばらくご無沙汰だった蔦重の本業も、ここから再稼働といったところでしょうか。

前回の「ありがた山とかたじけ茄子(なすび)」では、田沼意次(渡辺謙さん)が決定的に失脚。しかも蔦重はその意次をも出版のネタにしようというのです。もちろん意次本人に仁義は通し、意次本人も快諾。長らく厚い信頼関係があったふたりだからできることでした。

(C)NHK  
(C)NHK  

異例の大抜擢ともいえる老中首座に就いた松平定信(井上祐貴さん)は、意次をおとしめるような読売(よみうり/瓦版)を次々と発行。さくらを使って意次の評判を下げるなどの情報操作にも余念がありませんでした。汚い手を使うあたり、まさに蔦重が言うところの「ふんどし野郎」ですね! マスメディア(といえるのか?)は木版による読売や黄表紙などの出版物だけだった江戸時代ですから、その効果は絶大だったことでしょう。演じている井上祐貴さんには罪はありませんが…あの顔、忘れませんよ~!

そして、久しぶりに人気戯作者や狂歌人、絵師といった“蔦重ブレーン”が「耕書堂」に集合。歌麿の例の下絵に狂歌を合わせて飛び切り贅沢な狂歌絵本をつくりたい、ついては皆さんに狂歌をつくってもらいたい…というわけです。

(C)NHK

上役に目を付けられ怯えていた御家人の大田南畝(桐谷健太さん)は浮かない顔をしていましたが、やっぱりふざけたこと、おもしろいこと、贅沢なことをしない人生なんて…「屁だっ!」と思い直します。そうだそうだと皆が「屁!」「屁!」「屁!」「屁!」と練り歩くその輪に、超がつくほどの真っ当人間であるてい(橋本愛さん)が入る瞬間のかわいらしさといったら! 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の放送前半では、吉原の置屋「駿河屋」の2階座敷に“べらぼうな吉原の旦那衆”がしょっちゅう集まっていましたね。何かというと集まり、話し合い、知恵を出し合い、助け合うのが江戸時代の町人。なんだかほっとする光景…と感じたのは筆者だけではないはずです。


【歌麿劇場第一章『画本虫撰』とは?】

さて、歌麿のあの植物と昆虫の下絵ですが、「私は書をもってその流れにあらたいたく存じます」と意次にキッパリ言い放った蔦重は、定信の奢侈禁止令(贅沢禁止令)にあらがうひとつの策として、歌麿の下絵で飛び切り豪華な狂歌絵本『画本虫撰(えほんむしえらみ)』を出版してやろうじゃないか、と考えたのでした。いい紙、多色摺、金、銀、雲母(きら)といった高価な材料を使うだけでなく、当世一の人気彫工だった藤⼀宗(とういっそう)に依頼。名前は定かではありませんが、摺師も最高峰の職人を用意したはずです。

木版画である摺り物は、絵師が描く下絵、彫師がつくる板木、そして摺師の技術がものをいう分業制作物。彫師や摺師の腕の善しあしは出来を左右します。そのキャスティングも出版プロデューサーである蔦重の重要な仕事でした。

ちなみに…現代と同じように人気作は重版となるわけですが、摺れば摺るほど板木は摩耗していきます。シャープな線がぼんやりしてきたり欠けてしまったり。また重版を重ねていくうち摺師が代わるなんてことはよくあったようで、最初のころに摺られたものとあとのほうのものを比べると、色合いやぼかし方などに大きな違いがあることも珍しくありません。初版は版元や絵師が出来を厳しくチェックしますが、あとのほうになると曖昧になったりもするため、初版ものがより価値があるとされています。

■『画本虫撰』の序文で石燕先生が語った歌麿評

蔦重と歌麿はこの『画本虫撰』下巻の序文を歌麿の師匠である鳥山石燕(とりやませきえん/片岡鶴太郎さん)に依頼しました。実際の『画本虫撰』の序文で石燕先生が記したのは、歌麿への期待と愛のこもった賛辞。その中で特にグッとくる一文を現代語訳でご紹介しましょう。

――門人歌麿が成し得たのは、まさにそれぞれの虫の中に備わる生命そのものを写すことであり、これこそ「心画」と呼ぶべき境地である。

蔦重も救われた、まさに生命そのものを写した下絵でした。

■尻焼猿人って…琳派のあの絵師!?

狂歌では四方赤良(よものあから)というペンネームを使っていた大田南畝は、毛虫の絵に合わせて「毛をふいてきずやもとめんさしつけて きみがあたりにはひかかりなば」と、定信を揶揄するような歌を詠みました。『画本虫撰』は歌麿の絵に描かれている昆虫をタイトルにした狂歌が掲載されているのですが、四方赤良と同じ見開きに「蜂」という歌を寄せたのが尻焼猿人(しりやけのさるんど)。琳派の絵師、酒井抱一(さかいほういつ)です。

江戸で老中首座を務めたのち、姫路藩主となった酒井忠恭(ただすみ)の孫として神田小川町に生まれた抱一。俳諧人としても絵師としても才能を発揮し、一世紀ほど前に京都で生まれた俵屋宗達と、尾形光琳の琳派に次ぐ、江戸琳派の創始者となりました。 日本美術史上屈指のキンキラな美しさとデザイン性に富んだ琳派。抱一の代表作のひとつである『夏秋草図屛風』は、光琳が描いた『風神雷神図屛風』の裏に描かれたもの。これ、『べらぼう』では生田斗真さんが演じている一橋治済(はるさだ)の依頼によって制作されたものなんですよ。


【次回 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第35回「間違凧文武二道(まちがいだこぶんぶのふたみち)」のあらすじ】

定信(井上祐貴さん)の政を茶化した『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくどおし)』。しかし、これを目にした定信は勘違いをし、逆に改革が勢いづく結果となり、蔦重(横浜流星さん)は複雑な気持ちになる。

そんななか、読売で、定信が将軍補佐になったことを知る…。

一方、歌麿(染谷将太さん)は、かつて廃寺で絵を拾い集めてくれたきよ(藤間爽子さん)と再会し、心に変化が生まれる。

(C)NHK
(C)NHK

そして、江戸城では、家斉(城桧吏さん)が大奥の女中との間に子をもうける…。

※『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第34回 「ありがた山とかたじけ茄子(なすび)」のNHKプラス配信期間は2025年9月14日(日)午後8:44までです。

この記事の執筆者
美しいものこそ贅沢。新しい時代のラグジュアリー・ファッションマガジン『Precious』の編集部アカウントです。雑誌制作の過程で見つけた美しいもの、楽しいことをご紹介します。
WRITING :
小竹智子
参考資料:『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~ 後編』(NHK出版)/『浮世絵の歴史 美人絵・役者絵の世界』(講談社学術文庫)/『歌麿「画本虫撰」「百千鳥狂歌合」「潮干のつと」』(講談社選書メチエ) :