27時間かけて、いざ地球の裏側へ

「Once in a Lifetime」というフレーズを何度も耳にしたペルーでの滞在。マチュピチュに向かう列車の中のアナウンス、ホテルの部屋に案内してくれたサービスマンの挨拶、世界No.1レストランでの食事の際……これほど多くの人に色んなタイミングで「一生に一度の経験ですから」と連呼されることはもうないかもしれません。
それほど充実し、また日本から遠いため、すぐに再訪できるとは断言できない、つまり一生に一度かもしれない経験を重ねたペルーへの旅でした。この“一生に一度”というフレーズ、久々に聞いた気がしますが、幼いころはけっこう多用していたかも。たとえば欲しいものを母にねだる際、「一生のお願い」だなんて、軽々しく口にしていたっけ。

あのころはまだ自分の一生がどこまで続くか想像もついていなかったけれど、50代も半ばとなった今、自分の健康寿命があと25年ほどかと考えれば、「一生に一度」が俄然リアリティをもって胸に迫ってきます。25年を今の年齢から引くとちょうど私は30歳。
30歳からの25年間と、55歳からの25年間では、同じ月日であっても、体力・気力的にやれることの質量がかなり変化するはず。それだけにこれから初めて体験することは、あらゆることが「一生に一度」となる可能性があるわけです。
そこで今回のペルーへの旅から、これはまさに「一生に一度」にふさわしいと私が感じた絶景や美味についてまとめます。ペルーまでは米国経由でトランジット含め、27時間ほどかかりましたが、それだけの時間と労をかけて行く甲斐のあるデスティネーション。ぜひこの「一生に一度」を先送りにせず、体力と気力のあるうちに味わっていただきたいと思います。
不思議なパワーに満ちた空中都市、マチュピチュ
まずは、ペルーといえばまず名の挙がる観光スポット、マチュピチュ。アンデス山中に築かれたインカ帝国の空中都市です。1911年にアメリカの探検家ハイラム・ビンガムが発見したとされていますが、実はハイラム・ビンガムはペルー最後の都といわれるヴィルカバンバを探す途中で偶然、このマチュピチュに出くわしたのだそう。
地元の農民たちはここに忘れ去られた都市があるのはすでに知っており、畑としても活用していたそうですから、ハイラム・ビンガムはマチュピチュを発見したというより、世界に知らしめた功績者、という表現のほうが正しそうですね。

この都市が築かれたのは1400年代中ごろと言われていますが、標高2,400メートルの山中で、急な傾斜を活かしつつ石を切り出し、正確に組み上げていく当時の技術には驚くばかり。太陽の神殿、宮殿、住宅などおよそ200戸が残っており、かつての住民の姿を想像しながら歩くのはとても神秘的な経験でした。
●マチュピチュの事前予約
ペルー文化省 https://www.machupicchu.gob.pe

それにしてもこのマチュピチュ、ちょっとアクセスが複雑です。まず首都リマからクスコへ飛び、クスコまたはオリャンタイタンボ駅からマチュピチュのふもとであるアグアス・カリエンテス村へ列車で数時間かけて移動。で、アグアス・カリエンテス村からバスで30分ほど……と、かなり時間がかかりますので、ご覚悟を。

ただこの移動中の列車もそれぞれ個性があり、楽しかった。まず往路に乗ったインカレイルの列車はもっとも手軽なタイプでしたが、大きな窓から景観が楽しめるほか、チップスやキヌアバーなどのスナックやドリンクのサービスがついています。
一転、復路に乗ったペルーレイルによる豪華列車の「Hiram Bingham(ハイラム・ビンガム号)」はシャンパンのサービス(しかもフリーフロー)、フルコースディナー、さらにバーでのライブミュージックあり、と至れりつくせり。
このバー車両ではアメリカ、イギリス、フランスなどいろんな国から来た人と一緒にお酒を楽しみましたが、「どこから来たの?」と聞かれ「日本から来ました」と答えたところ、気を利かせたバンドが演奏してくれたのは……(なんだと思います?)なんと、「千の風になって」。ペルー人のバンドが私のために「ワタシノ~オハカノマーエデ~」と熱唱してくれるシュールさにおかしいやら、うれしいやら、地球の裏側までやって来たんだなぁと実感して、なんだか涙が止まりませんでした。
●Inca Rail
https://incarail.com/en
●Hiram Bingham(Peru Rail)
https://www.perurail.com/
ナスカの地上絵を眺める遊覧飛行
さて、マチュピチュと並び、ペルー観光のハイライトと言えば、ナスカの地上絵。これを初めて(テレビで)見たときは「こんなの人間に出来るわけない。きっと宇宙人の仕業だ!」と思いましたが、実際に空中から見てみますと、やはり古代人の偉大な作品なのだろうと納得しました。
なぜそう思うか? まずナスカの地上絵とはペルー南部の乾燥地帯、ナスカ平原に広がる巨大な地上絵なのですが、俯瞰すると真っ平なところに描かれているわけではなく、ある程度の起伏があるようで、平地を歩いている人からも見えるということ。

またごく最近、山形大学とIBMの共同研究でAIを活用した現地調査が行われ、新たに248点が発見されたのですが、それらの多くが神官、斬首、人、動物、家畜などのモチーフで、一定の小道に沿って配列されているということがわかってきました。
この配置のパターンから、地上絵は共同体の信仰・記憶を伝える“メッセージ性を持つランドスケープ・アート”として機能していた可能性が浮上してきたのだそうです。ナスカの地上絵を日本の山形大学が研究しているというのも、なんだか意外ですが、面白いですね。
世界ベストレストラン1位の「Maido」へ!
食いしん坊を自認する私ですから、ペルーでもおいしいものを探して食べ歩きました。幸い、ペルーは美食の国として知られていることもあり、どこで何を食べてもおいしい。あまりハズレがありません。それでも“一生に一度”としてふさわしいものは、と聞かれたらやはりこちらでしょう。

「Maido」は日系二世のシェフ、ミチャこと津村光晴(ミツハル・ツムラ)さんがリマの高級住宅地であるミラ・フローレス地区に2009年にオープン。「世界のベストレストラン50」では2024年に世界第5位、そして今年は世界第1位となった、今、世界の美食家たちが最も注目しているレストランです。

その料理は、アマゾンやアンデスの食材を日本の繊細な手技と感性で仕上げた、唯一無二のNIKKEI(日系)料理。もともと19世紀末以降にペルーへ渡った日本人移民が、日本の調理技術と現地で手に入る食材を融合させ、独自に発展させてきた食文化=NIKKEI料理がいま各地で話題となっていますが、その最高峰がこちらだと言えるでしょう。私たちはペルー産を含むワインペアリングでいただきましたが、そのチョイスも素晴らしいものでした。
●Maido
https://www.maido.pe/
ペルーの旅を安全・安心に楽しむために
最後に、ペルーの旅を安心して楽しむためのTIPSを。今回の旅で、ペルーの治安について心配するようなシーンはまったくありませんでした(リマのナイトクラブに出かけたりはしていないのでホントのところはわかりませんが)。ただひとつ、ちょっと心配だったのが高度障害(高山病)です。

リマは海に近い港町なので海抜は低いですが、マチュピチュは2,400m、その前に訪れたクスコは3,400mの標高で、富士山で言うところの八合目ほどの高さがあります。この高地へ急に訪れると頭痛やめまいに襲われる人も多いとか。私はマチュピチュへ訪れる前日にペルー第2の都市であるアレキパ(標高2,400m)に宿泊し、時間をかけたつもりではありましたが、それでも時々アタマがずーんと重くなるように感じました。
そんなときには現地で分けてもらった高山病用の薬を飲むか、ペルーの人々が常用しているコカ茶をがぶ飲み。走らずゆっくり歩き、お酒を飲み過ぎないようにしたことも功を奏したようで、最後まで無事に楽しく旅を終えることができました。

こうしてペルーへの旅を振り返ってみますと、1週間という短い期間でありながらなんと濃い日々であったでしょうか。もちろんそれは今回の旅をアレンジしてくれたペルー貿易観光庁のみなさまのおかげであり、現地ガイドさんにもお世話になっているわけですが、この濃密な時間の過ごし方を忘れず、一期一会の気持ちで日々過ごしていきたいと感じるようになりました。
“日々是決戦”とは、高校生のときに見かけた代々木ゼミナールの標語でして、もちろん日々是好日をもじったのでしょうけれど、私のこれからの25年間もまさに日々決戦の覚悟で、1日1日を生き抜いていきたい。それは決してペルーのような遠い土地で、日本ではお目にかかれないような食事を楽しんだようなハレの日だけではなく、一日自宅で仕事をしながら冷蔵庫の中を漁り、適当な食事を摂ったケの日も。
夜、ベッドのなかで今日の自分は決戦に勝ったと満足してから眠りにつきたいと考えるようになりました。なんか、攻撃的に聞こえちゃうかしら。この場合の戦いの相手はあくまで自分。1日1日を大切に生き抜いたか、というもうひとりの自分との対話です。そんな自分との向き合い方を教えてくれた、ペルーへの旅でした。
取材協力
ペルー貿易観光投資庁

- TEXT :
- 秋山 都さん 文筆家・エディター
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- 秋山 都
- 取材協力 :
- ペルー貿易観光投資庁