連載|キャスター・大江麻理子の「行ってみて、聞いてみて」
連載【キャスター・大江麻理子の「行ってみて、聞いてみて」】では、大江さんが気になる現場を訪れて直接お話をうかがい、“現場”でしか分からない温度をお伝えします。
今回は【〈第ニ回〉建築家・坂 茂さんと考える、能登の“今”(後編)】をお届け。二部に分けてお送りします。
古くて新しい。復活を遂げた珠洲焼/文・大江麻理子
まだ大きく傾いた家屋がそのまま残る雪原をしばらく歩いて辿り着いたのは、篠原敬(しのはらたかし)さんの珠洲焼(すずやき)の工房だ。一度窯に火を入れたら6日ほど焼き続けるため、窯元は人里離れたところにつくられることが多いそうだ。見せてくれたのは、先日焼き上げたという器の数々。黒く焼きしめられていて堅牢なのが珠洲焼の特徴だ。
「超高温のところに酸欠にするため大量に薪をくべるのですね」大江
「暑すぎて夏にはできません。窯焚きシーズンは冬だけです」篠原さん
1200度以上の火力で、窯の中に燃料の薪を過剰にくべて酸欠状態にすると、器の鉄分が還元されて灰黒色になるのだという。釉薬はかけないが、燃やした薪の灰が器に積もり、それが高温で溶けて自然釉の役割を果たす。偶然の産物として、個性的な景色が生まれるのだ。珠洲焼は平安時代末期から珠洲でつくられていたが、消滅してしまった。それを昭和50年代に復活させたのだそうだ。せっかく復活したものをまた失うわけにはいかない。篠原さんは以前の地震で窯が壊れても、築き直して珠洲焼をつくり続けてきた。
珠洲焼をもう二度と絶やさぬよう挑戦し続け、進化していく
2024年1月の地震で、築き直したばかりの窯はまた崩れ、工房内はぐちゃぐちゃになった。しかし篠原さんは動きを止めなかった。翌2月には割れずに残った器を集め、東京での陶芸展に参加。そこへ訪ねてきたのが坂さんだった。私はてっきり篠原さんが坂さんに頼んで仮設工房を作ったのかと思っていたが、逆で、坂さんが「支援できることはありませんか」と声をかけたという。壊れた窯などがある工房の隣に、6月、坂さんの仮設工房ができ上がった。まずは窯など工房内を再建するために集まってきた職人たちの休憩所として使われ、現在はでき上がった作品の保管や事務作業をするスペースになっている。窯焚きをするときはほぼ1週間つきっきりのため、ここで仮眠もするそうだ。きっと篠原さんにも、何度もふりかかる震災に心が折れそうになった瞬間があるだろう。そこから立ち直り、挑戦を続けようという気持ちになるには、きっと多くの人の寄り添いが欠かせなかったはずだ。自分の苦境をどうにかしようとやってきて動いてくれる人がいる。ひとりじゃないと思えるかどうかが、心の復旧・復興のためには欠かせないように思う。坂さんが、災害時に間髪をいれず動くのにはそうした理由もあるのではないだろうか。
大昔の珠洲焼は、底の部分が小さくてそこから上にいくほどふくらみ、最上部はきゅっとすぼんでいる特徴があるそうで、篠原さんの作品も底が小さめのものが多い。逆三角形に近いそのフォルムはとてもスタイリッシュで、個性が際立つ。まさに温故知新。歩みを止めず挑戦し続ける篠原さんが、どんな進化を遂げていくのか、楽しみだ。
【取材後記】
予定にはなかったものの、坂さんが「行ったほうがいい!」とすすめてくださって寄った場所が2か所あります。まずは「湯宿さか本」。本誌で前にも取り上げたことがあるそうです。能登の地元材を拭き漆で仕上げた木材がふんだんに使われ、文明の利器がほとんど見当たらないくらいシンプルな館内に足を踏み入れると、タイムスリップした気分に。すっきりした空間ではその美しさが際立ちます。
坂さんが理想とする古材の活用法はこれなのではないか。そう思っていたら、やはり、次に訪れたのはさか本を設計した高木信治さんの事務所でした。熱心に復興住宅での古材活用についてアドバイスを求める坂さんと、穏やかにそれに答える高木さん。プロフェッショナルたちの真剣かつ楽しそうなやり取りを間近で見られ、最後まで中身の濃い取材となりました。
──第一部はこちら
【DATA】
「珠洲焼游戯窯 篠原 敬」(工房)
住所:石川県珠洲市正院町平床
個展などの情報はsuzu-soenkai.comまたはインスタグラム@suzu_yakiで確認を。
※掲載商品の価格は、すべて税込みです。
- PHOTO :
- 川上輝明
- EDIT :
- 田中美保、濱谷梢子(Precious)

















