【目次】

【第29回のあらすじ】

本能寺の変にて織田信長(小栗旬さん)とその嫡男・信忠(小関裕太さん)を討ち果たした明智光秀(要潤さん)。有力武将を味方につけることができぬまま、織田軍を迎え討つべく、山城国南部の山崎(現在の京都府大山崎町周辺)に陣を構えました。

(C)NHK
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そのころ、信長の三男の信孝(結木滉星さん)を総大将に掲げた織田家も山崎に近い摂津に集結しましたが、信長の後継を巡って信孝と次男・信雄が対立しているうえに、重臣それぞれが信長不在を受け止めきれず、戦略がかみ合いません。ドラマでは、これこそが光秀の狙いとして描かれていましたね。

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一方で、ほかの有力武将の反応はさまざまでした。三河・岡崎城の徳川家康(松下洸平さん)は秀吉が畿内へ引き返したことを知り、どうせ今から参戦しても間に合わないからと、甲斐と信濃の掌握に乗り出します。さすがはたぬき…と言いたいところですが、実は織田軍は天正10年(1582年)3月に武田勝頼を滅ぼしたばかり。まだまだ統治体制が確立されていないなかで信長を失ったため、両国は大混乱に陥っていたのです。

越前・北庄城の柴田勝家(山口馬木也さん)は、秀吉帰還の知らせに、先を越された悔しさをにじませていました。

天正10(1582)年6月13日。ついに山崎の地で明智と織田の軍勢が対峙します。小一郎(仲野太賀さん)は初陣の与一郎(大西利空さん)を残し、黒田官兵衛(倉悠貴さん)と共に別働隊を率い戦場へ向かいます。

戦いは序盤、明智方が優勢でしたが、秀吉が送り込んだ援軍と、小一郎の山側からの猛攻により、形勢は逆転。明智方の敗北が濃厚になります。戦況の好転に気をよくした信孝は、丹羽長秀(池田鉄洋さん)が止めるのも聞かずに、兵を鼓舞するために前線へ。結果、小一郎から信孝の身を守るよう命じられた与一郎が、刺客から信孝を守って負傷してしまいます。

信孝も頑張ってはいるのでしょうが、若さゆえの勇み足と漂う小者感が痛々しい。かといって、信雄もね…。兄弟ふたり、いずれも偉大な父の才覚もカリスマ性も受け継がず、秀吉が失望するのもむべなるかなといった様相でした。

戦況は、数で勝る織田軍が明智軍を圧倒。光秀は6月2日の本能寺の変からわずか11日あまりで敗残の将に。斎藤利三(内藤剛志さん)の進言を受け、数人の近臣と共に戦場を脱し、坂本城を目指しますが、その道中で待っていたのは、秀吉に頼まれ官兵衛が差配した石田三成(松本怜生さん)らでした。

捕らわれた光秀は秀吉の元へ。秀吉はかつて信長と約束していた茶席へと光秀を招きます。

筆者はこれまで何度かのレビューで、「本能寺の変の原因については諸説あるものの、決定打となる一次史料は見つかっていない」と書いてきました。これに対し、本ドラマでは「原因を本人に直接聞く」という斬新な設定を採用。確かに、それがいちばん確実ですね!

光秀への強い憎しみと、なおも消せない光秀への信頼感を滲ませながら、秀吉は光秀に問います。上様の天下一統を目前に、「なぜ?」。なぜ今、あえて上様を討ったのか。

「わしが見たかったのは、足利義昭さまの世じゃ。
 わしが真にお仕えしたかったのは、生涯ただひとり、公方さまだけじゃ。
 信長に奪われたものを、今一度取り戻したかった」

こう言って光秀は、どこか晴れ晴れとした微笑みを浮かべます。ここまできて、ようやく光秀は本心を口にできたのですね。義昭本人から直接「巻き込むな」と拒絶されても、公方様への忠義心は微塵も揺らぐことはなかった。なんと純粋で忠義に厚く、そして不器用な人なのでしょう。

大粒の涙を流す秀吉を前に「悔いてはおらん」という光秀の表情には、「おぬしにならば、わしの気持ちはわかるであろう」という秀吉への信頼感が浮かんでいました。

たとえ忠義を尽くす相手は違っても、両者は「ただひとりの主」に仕えたかった者同士。光秀の気持ちをこの世でいちばん理解できるのは秀吉であり、泣きながら無念を訴える秀吉の胸中を誰より察することができるのもまた、光秀だったのでしょう。

「こたびのことは、わしがひとりで決めたこと」という光秀の言葉も、自分が信澄を救ったせいで上様が討たれてしまったという自責の念にかられた秀吉に対する優しさだったのかもしれません。

史実としては、光秀は近江坂本城に向かう途中(京都市山城区・伏見区辺り)で落人狩りに遭い、殺害されたとされています。しかしドラマでは、光秀が命を落とすシーンはなく、秀吉の「明智殿の首は百姓の落ち武者狩りに遭い、われらに届けられたことにする」という台詞があるのみ。

秀吉が返り血を浴びた様子もないことから、切腹はさせても介錯はしなかったのでしょう。いいえ、そもそも、光秀は本当に命を落としたのでしょうか?

長浜に帰った秀吉は、姉のとも(宮澤エマさん)から与一郎の死について責められます。しかし、ともも驚いたように、秀吉はこれまでの彼とはまるで別人のように、声も表情も変わっていました。

「わしらは何のために武士になったんじゃ!」

山崎の戦いを制して明智光秀を滅ぼしたものの、愛息を亡くした小一郎は、やり場のない悲しみと怒りを秀吉にぶつけます。

「わしが変える。わしが上様の思いを継ぐ」

かつては信長と語り合った天下一統への夢。秀吉は光秀と対峙したことで、はっきりとわかったのです。自分が見たいのは、信雄の世でも、信孝の世でもないことが。「空のように境目がなく、争いのない世をつくる」はずだった信長亡き後、「新しき世をつくれるのはわししかいない」。秀吉は天下人になる決意を小一郎に打ち明けるのでした。

さぁいよいよ秀吉が覚醒しました。秀吉46歳。小一郎43歳。豊臣兄弟の「天下取り」が始まります。

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【意外と知らない!「山崎の戦い」のリアル】

■秀吉の「中国大返し」が優れていたのは、「速さ」ではなく「マネジメント」

備中高松城で信長の到着を待っていた秀吉に、本能寺の変、つまり信長の急死を知らせる一報が届いたのは、翌日の6月3日夜とされています。急ぎ毛利との和睦を結んだ秀吉は、6月5日には光秀を討つべく京への進撃を開始します。これが世に言う「中国大返し」です。本当に「驚異的なスピード」だったのでしょうか。

秀吉がいた備中高松城から決戦の地・山崎まで、全行程は200〜230km。約8日程で移動したとすると、1日の平均移動距離は25〜28kmです。実はこの数字、当時の行軍距離としてはごく標準的なものでした。江戸時代の一般的な旅人が1日約32〜40kmほどの距離を歩いたという記録と比べても、決して「速い」とは言えませんね。

ただし、初日の移動だけは、雨のなか高松城から姫路城までの約80〜100kmをわずか一昼夜で駆け抜けるという、当時の常識を超えた強行軍でした。実は、秀吉は少数の騎馬の供回りを率いて急行したと考えられており、出立の翌日6日には早くも姫路城に入っていました。その後、徒歩を中心とした約2万5000もの主力部隊を7日〜8日にかけて迎え入れ、兵に米や褒賞を与えて士気を高揚させたのです。

姫路城を出発してからの後半(6月9日〜12日)は、本能寺の変の直前、信長自身が中国地方へ出陣する予定だったため、山陽道沿いには信長軍を迎えるための滞在拠点や大量の米・物資が用意されていました。また、秀吉自身の領国、または味方が多い地域での行軍だったため、秀吉も馬のスピードを落とし、歩兵たちの進軍ペースに合わせた結果、大軍の戦力をほぼ維持したまま、200km以上の道のりを移動しきったのです。

つまり、秀吉の真価は「足の速さ」ではなく、約2万5000人もの大軍を脱落者をほとんど出さず、わずか8日間で決戦に間に合わせた、組織運営能力にあったのです。

■秀吉は「山崎の戦い」に遅参していた?

山崎の戦いは、秀吉が勝った合戦──そう思っている人は多いでしょう。しかし、最新の研究では、秀吉は開戦に間に合っていなかった可能性が指摘されています。秀吉の書状を分析した結果、彼は合戦当日の6月13日には戦場から約12km離れた摂津富田にいたという説が発表されたのです。秀吉不在の織田軍の指揮をとっていたのは池田恒興。ドラマでは堀井新太さんが演じています。

秀吉本隊2万が到着する前に、織田の連合軍2万5000は、明智軍1万6000に対して有利な戦いを展開。秀吉が到着したころには勝負がついていたのでは、ともいわれています。

こういった史実が明らかになるにつれ、本能寺の変からわずか4日後の「6月6日には羽柴軍が姫路城に入った」(※)という急展開が、光秀を孤立させ、織田軍を有利な状況へ導くのに効果的だった事実が浮かび上がってきます。

※ドラマでは5日後の6月7日に姫路入り

■天王山での攻防は織田軍勝利への「天王山」だった?

「ここが天王山だ」という慣用句の由来として知られる山崎の戦い。しかし、その「天王山」自体は、近年では勝敗を決めた重要拠点ではなかったと考えられています。天王山での攻防が明智軍の出ばなをくじき、全体の士気に打撃を与えた可能性はあるものの、決して「運命の分かれ目」の戦いだったとまでは言えず、「前哨戦」くらいの存在感だったのではといわれているのです。

ドラマでも「天王山」の固有名詞も出てきませんでした。ちなみに、天王山の山裾に陣を構え、織田軍勝利に貢献したのは、史実においてもドラマ同様、小一郎(秀長)の軍勢でした。

■山崎の戦いは「天下分け目の合戦」なのに、実は半日で決着した?

「天下分け目の戦い」と聞くと、何日にもわたる激戦を思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、実際に行われた山崎の戦いは、朝に始まり、昼すぎには勝敗がおおむね決したと考えられています。

兵力で勝る織田方は、明智軍を各方面から圧迫。光秀は態勢を立て直す間もなく敗走し、坂本城を目指す途中で命を落としたとされています。織田家の命運を左右した「天下分け目」の一戦は、実際には驚くほど短時間で決着した可能性が高いのです。


【次回 『豊臣兄弟!』第30回「清洲会議」あらすじ】

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天下人を目指す覚悟を固めた秀吉(池松壮亮さん)は、織田家の名代を決める評定に参加するため、小一郎(仲野太賀さん)を伴い清須城へ向かう。小一郎は重臣たちを訪ね、名代に誰を推すつもりか探りを入れる。一方、秀吉は憔悴する市(宮﨑あおいさん)に会い、内々にあることを頼む。それぞれの思惑が入り乱れる中、秀吉は評定の前夜に勝家(山口馬木也さん)ら重臣だけを呼び集め、織田家の人間抜きで話し合いをしたいと言い出す。

※『豊臣兄弟!』第29回「天下への道」のNHK ONE配信期間は2026年8月2日(日)午後8:44までです。

※宮崎あおいさんの【崎】は「たつさき」が正式表記です。

この記事の執筆者
美しいものこそ贅沢。新しい時代のラグジュアリー・ファッションマガジン『Precious』の編集部アカウントです。雑誌制作の過程で見つけた美しいもの、楽しいことをご紹介します。
WRITING :
河西真紀
参考資料: 『日本国語大辞典』(小学館) /『デジタル大辞泉』(小学館) /『デジタル大辞泉』(小学館) /『日本大百科全書 ニッポニカ』(小学館) /『世界大百科事典』(平凡社) /『秀吉と秀長』(NHK出版新書) /『NHK大河ドラマ・ガイド 豊臣兄弟! 後編』(NHK出版) /NHK公式X 大河ドラマ『豊臣兄弟!』 /北近江豊臣博覧会実行委員会「戦国を攻略せよ」 /福知山光秀ミュージアム :