ものの構造とかたちに興味があるのは、芸術系の大学で博士課程時代を過ごした経験と無関係ではない。自己のクリエイティビティを実体化するところであるから、そのアプローチも一筋縄ではいかない。電気ドリルで彫刻をしたり、キャンバスのかわりに型枠に流し込んだコンクリートに絵を描くものもいた。
芸術性が繊細であるほど、表現手法は手荒な場合が多いことは珍しくないものなのだ。パネライの時計には、そのことをよく想う。荒々しいほど身体的であり、直接的な魅力を持つことは言うまでもない。一方で、本当は理性的なブランドであるというアンビバレンツが、パネライの最大の魅力ではないのだろうか。「ロ シェンツィアート」=科学者という名前を持つ腕時計の新バージョンが登場して、ますますその意を強くした。
最新テクノロジーにより進化した「オフィチーネ パネライ」のスケルトン仕様の機械式時計
「ロ シェンツィアート ルミノール 1950 トゥールビヨン GMT チタニオ」
「ロ シェンツィアート ルミノール 1950 トゥールビヨン GMT チタニオ」。パネライがいつもそうであるように、正式名称は端的に的確だ。しかしながら幻視的であるのはケース径が47ミリという堂々たる、つまりはパネライらしい威容の時計は、決して重くないことである。
チタニオ=チタンを素材に選んだだけでなく、その微粉末を3Dプリンターで噴出してつくる積層をレーザーで焼結し、ケースをつくった。つまり継ぎ目のないケースは、驚くべき中空の構造になっている。そこに搭載した手巻きムーブメントも、主要パーツをチタン製に換え、スケルトンに仕上げた。重力誤差を補正するトゥールビヨン機構は、コイントスのように垂直方向に30秒で1回転する、パネライならではの技を見せる。
従来よりも軽く、より堅牢になった
現代の機械式腕時計には、機能・性能一辺倒のモダニズムを覆した象徴的なアイコンが幾つかある。例えばそれは「200年前の超絶技巧」であるトゥールビヨンの復活であった。そして「大きく、厚いパネライ」が、ポスト・モダニズム的な機械式腕時計の復興の中で、シンボリックな役割を果たしたことも間違いない。
さらにパネライが背負ったのは、質量的な価値の位相転換なのだ。銀行とは無縁の遊牧民の女達がありったけの金の装飾品を付けて砂漠を移動したように、貴金属製の腕時計は、重いほど価値が単純に高くなる。いっぽうパネライは、大きくて厚いステンレスの時計の真価を問うことで、貴金属の目方に依存しない高級時計のあり方を純化したのである。その真意が「ロ シェンツィアート」を通じて、はっきりと見えてくる。「チタニウムで外装され内部に空間を持つ、優れたもの」。それはビルバオのグッゲンハイム美術館と、この「ロ シェンツィアート ルミノール 1950 トゥールビヨン G M T チタニオ」の、世界にふたつである。
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- TEXT :
- 並木浩一 時計ジャーナリスト