今回取り上げる作品については、もうちょっと早くに書くつもりだった。西城秀樹の急逝を受けて書いた前回の原稿を優先し、その後何かと慌ただしくしているうちに、つい延び延びになってしまっていた。そのうち本作のリリースを記念したコンサートツアーも終了してしまい、そちらも忙しさにかまけて見逃してしまった。もっともこのcero(セロ)の場合、ライヴならそのうちどこかで見られるだろうと、思わせるところがある。

声のグルーヴが導くポップネス

ceroの4作目のアルバム『POLY LIFE MULTI SOUL』(カクバリズム)。ジャケットなどに使われている写真は小浪次郎撮影のもの。

 ceroは自分にとってこれまで、どちらかというとライヴで聴くバンドだった。いくつか日常生活で愛聴する曲はあったものの、アルバムの世界観を味わってからというよりは、いきなりライヴで向き合うことが多かった。最初に彼らの音楽に触れたのもライヴ、その時はステージの上になんだか大勢いて、高城晶平のヒップホップマナーなヴォーカルを軸にジャム感あるグルーヴを生み出していた。そういえば今回のアルバム収録曲を初聴きしたのもライヴだっけ。のちにアルバムで聴いたときに比べ、もうちょっとシンプルなサウンドに感じた記憶がある。

 ceroは家でなく外で、大勢と味わうバンド、なぜか自分の中に生じたそうした位置づけは、cero自身が主宰する音楽イベント「Traffic」があったりすることも影響している。どこかパブリックに「開けている」イメージ。さらに、ライヴの現場、ステージを重ねるごと有機的に変化していく音楽、そんな風にも思っていた。

 新作『POLY LIFE MULTI SOUL』のリリースに先立ちYoutubeなどで発表された曲「魚の骨 鳥の羽根」、そのポリリズム、複雑で厚みあるサウンドに、思わず連想したのは菊地成孔率いるdCprG(デートコースペンタゴンロイヤルガーデン)だった。両者には小田朋美という共通項もある。しかしdCprGとは異なり、このceroには「声」がある。サウンドエフェクトがかけられた声に慣れた現況で、ロウな声のスキャットやコーラスが紡ぐ重層感あるグルーヴ、そこに新鮮さ、そして彼ららしさを感じた。感覚的なリリックを歌う高城のヴォーカルも、スキャットのループと交わるなかで言葉だけが一人歩きすることなくしっかりサウンドとして響いてくる。この印象はアルバムを通じて感じられるもので、彼らの以前の作品にもまして、その傾向は強い。

 ceroの結成は2004年。もともとは4名のバンドだったが、ドラムのメンバーが脱退して、現在はヴォーカルの高城晶平、キーボード&サンプラーの荒内佑、ギターの橋本翼の3名をコアメンバーに、何人かのサポートメンバーが随時加わる形で活動している。サポートメンバーには先に名前を挙げた小田朋美や、以前本欄で紹介した古川麦など、他バンドや自身でも活動するミュージシャンが名を連ねている。この「人材の流動性」感が、ceroのサウンドの面白さ、懐の深さに貢献しているようにも思われる。さらにいえば、今回のアルバムのサウンドには、小田らサポートメンバーの影響を強く感じてしまう、邪推かもしれないが。

 いくつかの曲にみられる、'70年代のロイ・エアーズあたりを連想させる、キーボード(ヴィブラフォンではない)のフローやパッセージが生み出すグルーヴ。ceroは以前からブラックミュージックを軸に幅広い音楽性を備えていたが、今回はジャズやクラシック、ブラジル音楽など広範な音楽的素養から導かれた、より巧妙(技巧的)でクールなジャジーさが感じられる。それはある年代以上の音楽好きにとっては、どこか懐かしい感触でもある。レア・グルーヴ的であり、フュージョン的でもあるそのサウンドは、ポスト・コンピュータライズドな巧妙なリズムと交わることで今日的な響きになる。

 あと、「このテンポ」と歌われたら、壮年リスナーがまず思い浮かべるのは小坂忠だが、それが「リズム&ブルーズ」とつながるのではなく、ceroの場合は「このテンポ」という言葉自体がループしてグルーヴを生みだしている。まあ牽強付会だが、この違いが本作における彼らのやり方、音楽の形を象徴しているような気が個人的にしたのだった。決して新奇さを追求するわけではなく、時にアーカイヴ由来の要素が感じられたりするものの、独自な解釈やアイデアによって新鮮な音楽をもたらしているのだ。

 これまでのceroを代表する曲、例えば「Yellow Magus」や「Summer Soul」、「街の報せ」などと比べると、今回のアルバムに収録されている曲はいずれもナラティブな感じが後退しているといえるかもしれない。その分、旋律に乗った感覚的な言葉がグルーヴとともに聴き手の耳を、感性そして身体を捉える。長年のceroファンからは、もしかしたら音楽的冒険に傾斜しすぎと見られるかもしれない。その点で本作は彼らにとってチャレンジでもあるだろう。しかし、過去に音楽を偏愛した経験を持つ人ならば、本作が持つ、声とサウンドの巧妙なブレンドが生み出すポップネスを看取するのではないだろうか。さらに、それは今の東京が導く、ポップスの最新形でもあるように思えるのだ。

 

この記事の執筆者
『エスクァイア日本版』に約15年在籍し、現在は『男の靴雑誌LAST』編集の傍ら、『MEN'S Precious』他で編集者として活動。『エスクァイア日本版』では音楽担当を長年務め、現在もポップスからクラシック音楽まで幅広く渉猟する日々を送っている。