ピアジェについて長らく気になっていたことがある。それは「ジャン・ピアジェと時計のピアジェは関係があるのか?」だ。ジャン・ピアジェは20世紀を代表する心理学の大家だ。専門違いの小生でも知らない名前ではない。ピアジェ中興の祖イヴ・ピアジェが来日した時、私的な興味からこの疑問を直接ぶつけてみた。すると彼の答えは「ジャン・ピアジェは祖父のいとこです」。さらには、ジャンの頭文字JとイヴのYは、カリグラフィ風に手書きすると似ているので、しばしば郵便が誤配され、お互いに届けあったのだという。
このエピソードは大学の世界、特に教育学系統の研究者には非常に面白がられるので、しばしば使わせてもらっている。大学教授で時計ジャーナリストの小生に、一生使える貴重な話をしてくれたイヴ・ピアジェは、創業家の4代目で、いまもピアジェ・インターナショナルの会長を務めている。ピアジェのアーティスティックな側面を確立した精神的支柱であり、世界中で多くの芸術家や有名人との交流がある。アンディ・ウォーホルも良き友人だった。「ウォーホルはピアジェに執着していたのですよ」と、彼は言う。ウォーホルは、ニューヨークでピアジェの販売代理人を務めた人物と友人関係があったそうだ。身近で本物のピアジェを見る機会が豊富にあり、芸術家の直感で惚れ込んだのだろうことは想像がつく。
アンディ・ウォーホル自身が生前に愛用していた、オリジナルの「アンディ・ウォッチ」
アーティストは時間など気にしないものなのだろうが、だからといって腕時計が嫌いなわけではないのだろう。アンディ・ウォーホルは腕時計が大好きで、しかも時間は気にしないため、しばしば止まったままでも気にせずに着けていたという。そのウォーホルが最も気に入っていたのが、ピアジェなのである。10本以上は所有していたピアジェ・ウォッチの中で、とくに愛用していたモデルはいつしか「アンディ・ウォッチ」と呼ばれるようになった。
アンディ・ウォッチは当時のTVスクリーンと躯体のような丸みを帯びたスクエアな文字盤を相似形のケースに収めたデザインを採っている。ヒップなデザインを真逆のゴージャス感で引き立てる金のケース。しかも文字盤にはラピスラズリかマラカイトを奢り、選ばせる。70's的に刺激的なカラー文字盤を得て、アンディ・ウォッチはまた寿命を永遠にした。実はアンディ・ウォッチの原デザインは、50年代ごろからすでにピアジェに存在していた。ウォーホルは1973年にそれを「発見」して、自分の腕時計に選んだのである。彼が得意のシルクスクリーン技法で、毛沢東のポートレート作成に熱中していた頃のことだ。
「エクストリームリー・ピアジェ・アーティー」PGモデル
「エクストリームリー・ピアジェ・アーティー」WGモデル
「エクストリームリー・ピアジェ・アーティー」には、ピアジェ自社製の自動巻きムーブメントが積まれている。ウォーホルが着けていても止まることはないだろうという戯言はともかくとして、現代においてはそのことにもまた意味がある。マニュファクチュールであると同時に世界的ジュエラーでもあるピアジェが、奇跡的なフォルムに極上の機械式ムーブメントを積み、瑠璃色の輝き移ろわせるラピスラズリと、孔雀の羽根のような紋様を重ねるマラカイトの緑に染め分けたのである。不世出のアーティストを魅了した腕時計はその芸術家の名前でひとたび呼ばれ、時を超えて、その人を想わせる装いで戻ってきたのである。
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- TEXT :
- 並木浩一 時計ジャーナリスト