愛したはずの夫はまったくの別人だった。人間の根源に迫る感動の書

作家デビューして20年。つねに「人のアイデンティティとは何か」を問い続けてきたと話す平野さん。

「幸であれ、不幸であれ、なぜ自分の人生はこうなのか、人の人生はなぜああなのかと」

例えば自分では選べぬ、生まれや成育歴。ことによっては「人はいつまでも、傷を負ったつらい人生を背負い込むことになるのではないか。僕がそういう立場なら、どうしただろうか」。この疼くような思いが、新作を書かせた。

平野啓一郎さん

ある日、在日三世の弁護士のもとへ『夫の死後、夫がまったく別人だったと判明した』と女性の相談者が訪ねてくる。結婚していた男はいったいだれだったのか。真相を追うごとに現代が内包する、さまざまな問題が炙り出されていく。

「謎に迫りつつ、弁護士自身も出自や悩みを見つめることになり慰められ、人生に対する考えが深まっていくんです」

物語はやがて過去を交換する男たちへ辿り着く。描かれる背景の心情は、平野さんの創作の原点でもあるのだろう。

「僕自身、周囲との違和を感じる、考え方がマイノリティな子供でした。社会にはいろいろな境遇を生き、難しい問題を抱えながら、一生懸命に生きている人たちがいる。そういう人たちの痛みや寂しさに寄り添うのが文学です。すべてをひとつのカテゴリーに回収しようという社会の動きに対しては、物申したい」

相談者とその夫は、わずか3年9か月余りを幸せに過ごした。終章間近にある「その過去を、ひたむきに自らの過去として生きた……」という一行が、せつなく、胸ふるわせる。

平野啓一郎さん

ひらの・けいいちろう/ 1975年、愛知県生まれ。京都大学法学部在学中に『日蝕』で芥川賞受賞。代表作に『葬送』『決壊』ほか。恋愛長編『マチネの終わりに』は20万部を超えるロングセラーとなった。

『ある男』

『ある男』 著=平野啓一郎 文藝春秋 ¥1,600(税抜)

STORY

里枝は、2歳の子を脳腫瘍で亡くし離婚。宮崎に帰郷し大祐と出逢って再婚したが、彼は事故で他界。だが戸籍上は本人であるはずの大祐が別人だったという衝撃の事実を知ったことで、かつて世話にった弁護士、城戸を訪ねる。

※本記事は2018年11月7日時点での情報です。

PHOTO :
よねくらりょう
EDIT&WRITING :
水田静子