数あるスーパー・スポーツカーのなかでも、マクラーレンはフロントエンジン車や4ドア、それにSUVに目もくれず、ミッドシップレイアウトの高性能モデルしか造らない、稀有なブランド。その魅力を理解できるのは、ひたすら走ることを楽しむ者だけだろう。モータリングライターの金子浩久氏が、最高出力600馬力の「600LT」を通じて、ストイックなクルマ造りの哲学を解き明かす。

ミッドシップのスポーツカーしか造らない!

テストドライブの舞台となったハンガロリンク・サーキットは共産圏初(1986年のオープン当時)の国際規格コース。
テストドライブの舞台となったハンガロリンク・サーキットは共産圏初(1986年のオープン当時)の国際規格コース。
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600LTを駆る金子氏。テクニカルなコースを心ゆくまで楽しんだ。
600LTを駆る金子氏。テクニカルなコースを心ゆくまで楽しんだ。

 F1の常勝チームをバックボーンに持つ、イギリスの超高級スポーツカーメーカー「マクラーレン」は孤高の存在だと言えるだろう。

「カーボンファイバー製シャシーのミッドにパワートレインを搭載した2座席スポーツカーしか造らない」と公言している。

 なんとも潔いというか、頑なな姿勢だ。マクラーレン・オートモーティブ最高経営責任者マイク・フルーイットの言葉はいつも変わらない。

「圧倒的な性能によって、ドライバーを徹底的に楽しませる軽量のスーパースポーツカーを生産することが我々の使命です」

 流行りのSUVや4ドアモデルなどを造ることもまったく考えていないというし、スポーツカーであってもフロントエンジンのものすら造らないと断言している。

 マセラティが「レヴァンテ」を、ランボルギーニが「ウルス」を造り始めたのに驚かされたのも束の間、2018年はロールスロイスすらも彼らのSUV「カリナン」をデビューさせた。もはやSUVは高級車メーカー最後のフロンティアとなっている。

 しかし、マクラーレンはそんな風潮に敢然と背を向けて、禁欲的なまでにひとり泰然としているのだ。

 そのマクラーレンの「600LT」にハンガリーのハンガロリンク・サーキットで乗った。

ブレーキをぎりぎりまで我慢したはずが……

上方排気システムを搭載。
上方排気システムを搭載。
シートは優れたホールド性を確保しながら、極限なまでに薄い!
シートは優れたホールド性を確保しながら、極限なまでに薄い!

 600LTは「アルティメット」、「スーパー」、「スポーツ」と三段階に分かれているマクラーレンの現行シリーズの中のベーシックな「スポーツシリーズ」を発展させた特別限定モデルだ。

 600はエンジン馬力で、LTはLong Tailの頭文字。LTは、1990年代の「F1 GTR Long Tail」から命名された。

 その後、2016年にスーパーシリーズをベースに675LTと675LTスパイダーが誕生し、600LTは4番目のLTとなる。

「エアロダイナミクスの最適化、パワーアップ、軽量化、サーキット指向のダイナミクスなどを施すことで、より一層のドライバーとクルマとの一体感を向上させることがLTシリーズのDNAです」(コマーシャル・オペレーションディレクターのアレックス・ロング氏)

 生産台数は未定だが、生産期間が1年間と定められている。

 600LTは、「スポーツシリーズ」の基軸モデルである「570S クーペ」よりも約100kg軽量化され、3.8リッターV8エンジンは車名となっている通り最高出力600馬力と最大トルク620Nmを発生する。

 軽い車体に強力なエンジンを搭載するわけだから、その分、速くなる。なんと、停止状態から100km/hまで達する加速タイムがたったの2.9秒。この値が3.0秒を切るクルマというのはまれで、ひとつ上級のLTモデルである「675LT」(つまり、最高出力675馬力!)に匹敵する。

 さらに、200km/hに達するのにも8.2秒しか要さず、最高速度は328km/hにものぼる。

 軽量化は、あらゆるところで実施されている。アルミニウム製の新しいシャシー、コクピット全体にわたる軽量素材の装備の採用などによって、乾燥重量で1247kgにまで削減された。パワー・ウエイト・レシオは2.08kg/馬力という驚異的なもの。

 パワーアップと軽量化だけでなく、空力特性向上のために拡張されたフロントスプリッターやリアディフューザー、固定式のリアウイング、カーボンファイバー製のフラットボトム等々もまた600LT専用パーツが奢られている。

 比較のために570Sクーペでまずコースを3周した。アップダウンがあり、大小さまざまなコースが組み合わされたハンガロリンクのコースで、570Sクーペは文句ない速さを示した。

 速いだけでなく、乗り心地が良く、快適なこともマクラーレン各車に共通した美点だ。ストレートエンドで、200km/hからの急減速を試みても、車体は安定し、ブレーキにはフェードの兆候すら伺えない。

 コースに慣熟してくるにつれて少しずつペースを上げて、コーナリングスピードを高めながら周回を重ねていく。これ以上なにを望むのかといった速さであり、完成度の高さだ。

 そして、600LTに乗り換えると、まずエンジン排気音からしてまったく違う。テールパイプが上方に向けられているため、頭のすぐ後ろで響いている。身体が震わされるようだ。

 さきほどの570Sクーペも、他のスポーツカーに較べれば引き締まった乗り心地だったが、600LTはそれをさらにシェイプアップさせている。ステアリングの斬れ味も鋭く、570Sクーペとは明らかに異なっている。

 コースを一周し、ホームストレートで速度を上げていくと、200km/hを越えた辺りで第1コーナーが見えてくる。ブレーキペダルを強く踏み込んだ途端に、最初の驚きが訪れた。一気にスピードが殺され、タイヤが路面に押し付けられていくのがわかるくらい踏ん張っていく。

 自分ではギリギリまでブレーキを我慢したつもりだったが、まだまだ余裕があった。600LTは姿勢を乱すこともなく、安全な速度で第1コーナーをクリアしていった。ブレーキは、恐ろしいまでに強力でありながら、それを受け止めるシャシーも強固で少しも姿勢が乱されることがない。

 600LTのブレーキは、軽量のアルミニウム製キャリパーと剛性に優れたカーボンセラミック製ディスクが組み合わされている。実際に、ワンランク上級の「スーパーシリーズ」のシステムが流用されている。

 まったく新しいブレーキブースターとの組み合わせによって、ブレーキング中のペダルの感触と反応を大幅に向上させ、200km/hから停止状態までの制動距離も117メートルと、限定生産されたハイパーカー「P1」よりも1メートル長いだけ。

「なんちゃって限定モデル」とはレベルが違う

最高出力600馬力のV8エンジンをキャビン後方にレイアウト。
最高出力600馬力のV8エンジンをキャビン後方にレイアウト。
有機的なラインで構成された600LTは、どの角度から眺めても美しい。
有機的なラインで構成された600LTは、どの角度から眺めても美しい。
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 次に驚かされたのは、優れた空力特性だった。ストレートやゆるやかな高速コーナーを走っている時に、高速で流れる空気の力でボディを路面に押し付け、安定させていることがわかる。

 コーナーを限界を超えるスピードで回ろうとするとコースアウトするかスピンするものだが、その兆候すら感じさせられることがない。

 自分で運転している時と同じように、マクラーレンのテストドライバーが運転する助手席に乗った時でもそれは明瞭に感じ取ることができた。

 テストドライバーは僕にはとうてい真似できないほどの高いスピードと激しいブレーキングによって、600LTをねじ伏せるようにして走ってみせてくれた。600LTもそれに応えるようにして、駆動力を余すところなく路面に伝え、反対にブレーキングでもまたタイヤが路面を掴んで離さない。

 600LTは、サーキット走行でさえも容易にはその限界を探ることが困難なほどの超高性能を持っている。

 オプションパーツを装着すれば、さらなる性能向上も可能だというから感嘆するしかない。公道走行が可能でありながら、ハイレベルなレーシングカーに限りなく近い性能を持っている。

「600LTは日常生活でも使うことができるように造ってあるけれども、日常生活のために造っているわけではない。純粋にドライビングの楽しみのためのクルマだ。どんなに高性能であっても、いま流行りのSUVは日常生活のためのクルマです」(ロング氏)

 600LTは純粋に運転の喜びだけを追求した理想主義的なスーパーカーである。それも飛び切り高性能で、精密かつ上質な運転によってもたらされる喜びだ。

 装備を少し変えただけでも「限定」を謳うクルマが少なくない中で、600LTは本質からして異なっている。基礎となった570Sクーペのパフォーマンスをより尖らせて特化させたものだが、乗り較べると2台は別のクルマだ。それらを造り出したマクラーレンのクルマ造りの思想もまた、ストイックなまでに理想主義的なのである。そんな自動車メーカーは他に見当たらない。

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この記事の執筆者
1961年東京生まれ。新車の試乗のみならず、一台のクルマに乗り続けることで得られる心の豊かさ、旅を共にすることの素晴らしさを情感溢れる文章で伝える。ファッションへの造詣も深い。主な著書に「ユーラシア横断1万5000km 練馬ナンバーで目指した西の果て」、「10年10万kmストーリー」などがある。