20世紀のスーツダンディを語るうえで避けて通れないのが、19世紀半ばからメンズスタイルの中心として君臨したロンドンのファッションストリート、サヴィル・ロウの存在である。当時の欧米であがめられたのは、まさしくこの地で生まれた「イングリッシュスーツ」だった。

伝説となったスーツ姿の伊達男たち!

ナポリの伝説的喜劇役者トト

「イタリアのチャップリン」と呼ばれた、ナポリの伝説的喜劇役者トト(1898~1967年)。写真:Getty Images
「イタリアのチャップリン」と呼ばれた、ナポリの伝説的喜劇役者トト(1898~1967年)。写真:Getty Images

そんなサヴィル・ロウには、欧米全土から当代一流のセレブリティたちが集まった。そのなかでも、前述したフレッド・アステアやノエル・カワードに加え、ゲーリー・クーパー、デューク・エリントンなど、数えきれないほどの洒落者たちの名を顧客台帳に記してきたテーラーこそ、1906年に開店した「アンダーソン&シェパード」だ。

映画監督、ヴィットリオ・デ・シーカ

戦後イタリアを代表する映画監督、ヴィットリオ・デ・シーカ(1901~1974)は、ナポリスタイルを象徴するスーツスタイルでその名を知られた。(c)Getty Images
戦後イタリアを代表する映画監督、ヴィットリオ・デ・シーカ(1901~1974)は、ナポリスタイルを象徴するスーツスタイルでその名を知られた。(c)Getty Images

一般的に英国スーツというと軍服的で厳しいイメージがあるが、このテーラーが提案したシルエットは、前身頃のやわらかくエレガントなフォルムを特徴とする、通称「ドレープスーツ」。シェイクスピア俳優として名高い、ローレンス・オリヴィエの優雅なダブルブレスト。ファッション写真の草分けとして知られ、アカデミー衣装デザイン賞まで獲得したほどの洒落者、セシル・ビートンの貴族趣味。作家サマセット・モームの威厳あるスリーピース……。

そう、’30〜’50年代のスーツダンディに共通する余裕とエレガンスあふれる姿に、このテーラーが果たした役割は実に大きい。余談だがつい最近まで、長年にわたりチャールズ皇太子のダンディズムを支えてきたのも、この「アンダーソン&シェパード」だった。

俳優、イヴ・モンタン

フランスの国民的歌手にして俳優、イヴ・モンタン(1921~1991年)。ストイックながらも、洗練されたダークスーツを好んだ伊達男。写真:Getty Images
フランスの国民的歌手にして俳優、イヴ・モンタン(1921~1991年)。ストイックながらも、洗練されたダークスーツを好んだ伊達男。写真:Getty Images

小説家兼劇作家、サマセット・モーム

「アンダーソン&シェパード」のダブルブレストスーツを好んだ、イギリスの小説家兼劇作家、サマセット・モーム(1874~1965年)。写真:Getty Images
「アンダーソン&シェパード」のダブルブレストスーツを好んだ、イギリスの小説家兼劇作家、サマセット・モーム(1874~1965年)。写真:Getty Images

さて、そんなサヴィル・ロウの影響を受けながらも独自の進化をとげたのが、イタリアのスーツ・ダンディズムだ。ヨーロッパの伊達男たちが避寒に訪れるリゾート地だったナポリでは、20世紀前半に華麗なるスーツ文化が花開いた。そんなナポリの伊達男を代表する存在が、伝説的喜劇役者トトと、『自転車泥棒』などで知られる映画監督のヴィットリオ・デ・シーカだ。

名優、マルチェロ・マストロヤンニ

20世紀を代表する名優、マルチェロ・マストロヤンニ(1924~1996年)。ローマの名門サルト「アンジェロ リトリコ」などをひいきにした着道楽だった。写真:Getty Images
20世紀を代表する名優、マルチェロ・マストロヤンニ(1924~1996年)。ローマの名門サルト「アンジェロ リトリコ」などをひいきにした着道楽だった。写真:Getty Images

フレッド・アステアらと同世代である彼らのスーツスタイルの特徴は、前述した「ドレープスーツ」の流れを進化させた、やわらかでリラックスしたエレガンス。温暖な気候のナポリだからこそ生まれたこのテイストは、その後イタリア全土に広まり、「クラシコイタリア」のルーツとなった。

伝説的二枚目俳優、ローレンス・オリヴィエ

『ハムレット』('48年)でアカデミー主演男優賞を獲得したイギリスの伝説的二枚目俳優、ローレンス・オリヴィエ(1907~1989年)。写真:Getty Images
『ハムレット』('48年)でアカデミー主演男優賞を獲得したイギリスの伝説的二枚目俳優、ローレンス・オリヴィエ(1907~1989年)。写真:Getty Images

イタリア伊達男といえば、忘れてはならないのが〝ラテン・ラヴァー〞の異名をもつ色男、マルチェロ・マストロヤンニ。1924年生まれでイタリア中部出身の彼は、トトやデ・シーカに比べるとモダンなスーツスタイルを好んだ。

作家、ジャック・プレヴェール

シャンソンの名曲『枯葉』を作詞したフランスの詩人にして作家、ジャック・プレヴェール(1900~1977年)。大きな襟のスーツに煙草、帽子姿をトレードマークにした飄ひょう々ひょうとしたたたずまいで知られる。写真:Getty Images
シャンソンの名曲『枯葉』を作詞したフランスの詩人にして作家、ジャック・プレヴェール(1900~1977年)。大きな襟のスーツに煙草、帽子姿をトレードマークにした飄ひょう々ひょうとしたたたずまいで知られる。写真:Getty Images

ローマのテーラーで仕立てたモノトーンのチェックスーツに白シャツ、黒のソリッドタイ……。その特徴は、同じクラシコイタリア的スタイルでも、色数を絞ったモダンな着こなしだ。’50年代に発生したヨーロッパモードの影響が、彼のスーツ姿に漂う、強烈な色気の源泉なのかもしれない。

ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツ

ビスポークスーツやジャズを愛するローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツ(1941年~)。写真:Getty Images
ビスポークスーツやジャズを愛するローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツ(1941年~)。写真:Getty Images

デザイナー、クリスチャン・ディオール

パリのオートクチュール界に君臨したデザイナー、クリスチャン・ディオール(1905~1957年)。自身の着こなしは徹底したクラシック嗜好。写真:Getty Images
パリのオートクチュール界に君臨したデザイナー、クリスチャン・ディオール(1905~1957年)。自身の着こなしは徹底したクラシック嗜好。写真:Getty Images

写真家、セシル・ビートン

ファッション写真という概念を確立した貴族出身の写真家、セシル・ビートン(1904~1980年)。写真:Getty Images
ファッション写真という概念を確立した貴族出身の写真家、セシル・ビートン(1904~1980年)。写真:Getty Images

わが日本におけるスーツダンディといえば、吉田茂をおいてほかにはない。あのチャーチル首相も愛したサヴィル・ロウのテーラー「ヘンリー・プール」の顧客台帳に名を残す、数少ない日本人である。

スリーピーススーツをまとい、葉巻やスコッチを愛する。その英国仕込みの一流趣味は、外交の場でも決して欧米人たちに見劣りすることはなかった。ダークスーツに細身のネクタイ、黒縁眼鏡をトレードマークにした作家、山口瞳の質実剛健な着こなしも、日本的な矜持を感じさせる、見事なダンディズムといえよう。

服装のカジュアル化が進んだ21世紀にも、誇るべきスーツダンディは存在する。2001年にノーベル平和賞を受賞した、元国際連合事務総長コフィ・アナンはその代表格だ。「ブリオーニ」を愛用し、ミスター・クラシコイタリアと謳われた彼のスーツ姿。その完璧なサイズ感と趣味のよいVゾーンには、リーダーにふさわしい品格が充満している。

第7代国連事務総長を務めたコフィ・アナン

ガーナ共和国出身で、第7代国連事務総長を務めたコフィ・アナン(1938~2018年)。写真:Getty Images
ガーナ共和国出身で、第7代国連事務総長を務めたコフィ・アナン(1938~2018年)。写真:Getty Images

実は彼のスタイルにはひとつの謎があり、それはあるときを境に、決してポケットチーフを挿していないことだ。ある評論家は、これを1999年に行われた、NATO軍のユーゴスラビア爆撃に対する抗議の意思だととらえ、話題になった。もちろん彼は立場上、公で服装のことを決して語らないので、その真相はわからない。しかしこの特集で述べてきたスーツ伊達男たちの強烈な美学を鑑みれば、それはあながち邪推とはいえないだろう。

そう、スーツが生まれて以来、男たちは常にその姿に、自身のプライドと信念を賭けてきた。そしてその毅然たる姿は、時代を超えた「伝説」として語り続けられる……。そんな洋服は今までも、そしてこれからも、決して現れることはないのだ。

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