1838年、クリストフル・シャルベ氏が世界初のシャツ製造業の店舗を、パリのアーケード街リシュリー通りに開いたことから、「シャルベ」の歴史が始まる。「エグゼクティブのための良い趣味」をコンセプトに、オーダーメイドによる上質なシャツを製作。1889年のパリ万国博覧会で開催された、ヨーロッパのシャツ製造業者を集めたコンテストで、金賞と審査員大賞を獲得。シャツの名店として、その地位を不動のものとした。

300種類の柄から選び抜かれた至高の輝きを放つネクタイ

角度によって色が変化する微妙な光沢感のジャカード地

大きめの結び目がネクタイのリッチ感を表現する! 大きな結び目を表現できるネクタイこそが「シャルベ」である。時代が変わっても基本形は変えない。つまり、「中継ぎ」という、ネクタイの真ん中部分の太さも変えないということ。大剣の幅は常に8.9cmと、微妙なこだわりがある。
大きめの結び目がネクタイのリッチ感を表現する! 大きな結び目を表現できるネクタイこそが「シャルベ」である。時代が変わっても基本形は変えない。つまり、「中継ぎ」という、ネクタイの真ん中部分の太さも変えないということ。大剣の幅は常に8.9cmと、微妙なこだわりがある。

実は一方で、創業間もないころから「シャルベ」では、ネクタイをつくっていた。現在とは、タイプは異なるものの、オーダーメイドで、いわゆるクロスタイを生産していたのである。

1920年ごろ、「シャルベ」御用達のクリーニングが設けられ、集配サービスを実施。制服を着た凜々しいスタッフと、「シャルベ」のロゴマークを付けた車。
1920年ごろ、「シャルベ」御用達のクリーニングが設けられ、集配サービスを実施。制服を着た凜々しいスタッフと、「シャルベ」のロゴマークを付けた車。

1960年代の初め、「シャルベ」の存在を揺るがす大きな転機が訪れる。それまで順調だった「シャルベ」の経営が倒産寸前まで追い込まれてしまったのだ。そのころ、「シャルベ」を狙っていたのがアメリカ資本。しかし、時の大統領、シャルル・ド・ゴールが「『シャルベ』はフランスの財産、アメリカに買われるのは困る」として、フランスの有名な生地生産者、ドニ・コルバン氏が「シャルベ」を救済した。その後は、子息のジャン・クロード・コルバン氏が社長を引き継いで、現在の「シャルベ」に至っている。

ヴァンドーム広場に面した荘厳なショップ

  • ヴァンドーム広場にたたずむ、荘厳な「シャルベ」のパリ本店。
  • 1960年代に「シャルベ」を救済したドニ・コルバン社長。「シャルベ」の店内にて。

1982年に現在のヴァンドーム広場28番地に本店を構えるまでに、2度の移転を繰り返した。創業時、アーケード街リシュリー通りから始まり、1870年にはヴァンドーム広場8番地に移転。 

そして今の場所に。今日、ヴァンドーム広場の店舗で最も古くから存在するのが、「シャルベ」である。本店は5階建て。1階がネクタイ、2階が既製シャツ、3階がオーダーメイドのシャツ売り場となっている。

各国大統領も愛用したパリの名品ネクタイ

「シャルベ」の顧客も豪華で多彩だ。アーティストのジャン・コクトー、画家のエドゥアール・マネ、生涯「シャルベ」のシャツを愛用していたといわれるジョン・F・ケネディ大統領、そして「シャルベ」の支援に力を注いだシャルル・ド・ゴール大統領といった面々。ネクタイの色の使い方、クオリティ、エレガンスを理解したうえで、自分のセンスを磨いた洒落者たち。「シャルベ」のネクタイを愛用するには、知性と感性が必要である。

※2010年春号取材時の情報です。

この記事の執筆者
名品の魅力を伝える「モノ語りマガジン」を手がける編集者集団です。メンズ・ラグジュアリーのモノ・コト・知識情報、服装のHow toや選ぶべきクルマ、味わうべき美食などの情報を提供します。
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