時は1860年にさかのぼる。当時のイタリアはローマ帝国崩壊後初めてのイタリア統一を翌年に控えており、日本の幕末に相当する激動の時代。

日本ではあまり知られていないが、実はイタリア統一後にはフィレンツェが首都となっていた時期もあるのだ。そんな激動の時代、有力貴族だったグスタフ・オッペンハイム男爵がエウジェニアを妃として迎えると同時に豪壮な邸宅を建設。

上皇陛下がお泊りになったイタリアの名門ホテル「グランド・ホテル・ヴィッラ・コーラ」

フィレンツェを見下ろす高台に立つ「グランド・ホテル・ヴィッラ・コーラ」。

若くて美しいエウジェニア妃を披露するため、オッペンハイム男爵は世界中から王侯貴族を招待して、さまざまなイベントやパーティを連日連夜開催。

それはまるでルキノ・ヴィスコンティの映画「山猫」のような、世紀末的デカダンな宴だったのだろうと想像する。ちなみに設計を担当したのはジュゼッペ・ポッジは首都フィレンツェ再開発の責任者となり、今日わたしたちが見るミケランジェロ広場の設計など多くのプロジェクトを手がけた。

当時の貴族がトランプやテーブルゲームに興じたカードルームも1800年代の名残をとどめている。

ドイツ・ユダヤ系貴族であるオッペンハイム家は18世紀にはすでに銀行業で財をなし、グスタフ・オッペンハイム男爵は1869年に完成するエジプト・スエズ運河に融資したほどの資産家だった。

しかしこの男爵はエウジェニア妃の浮気を疑い、激しい嫉妬にかられてこの豪邸に火をつけようとしたことがある。この事件を期にオッペンハイム男爵は放火スキャンダルで地位も名誉も失い、エウジェニアも男爵の元をさる。

稀代の豪邸もしばらくは荒れるがままになっていたが、やがてやがてエジディオ・コーラという男の手に渡るとその名をとって「ヴィッラ・コーラ」と呼ばれるようになり、後に「グランド・ホテル・ヴィッラ・コーラ」として、世界中の王侯貴族たちが泊まる最高級ホテルとして生まれ変わったのだ。

世界の王侯貴族をもてなしてきた特別な空間

「インペリアル・スイート」は一般の宿泊も可能。バルコニーからはフィレンツェ市内の眺望が楽しめる。

150年を超える「グランド・ホテル・ヴィッラ・コーラ」は長い歴史の中で世界の王侯貴族をもてなしてきたが、かつては明仁上皇陛下もお泊りになったことがある。

その部屋は上皇陛下のご滞在を記念して「インペリアル・スイート」と名付けられ、いまも「グランド・ホテル・ヴィッラ・コーラ」の中では最上級の客室となっているのだ。

また、近年では日伊国交樹立150周年を記念して秋篠宮皇嗣殿下がイタリアを公式訪問。フィレンツェ滞在時にはウフィッツィ美術館などをご視察され、夜にはやはり「グランド・ホテル・ヴィッラ・コーラ」にお泊りになったほどで、皇室に縁が深いホテルなのだ。

金の装飾と無数の鏡がまばやい輝きを放つ「鏡の間」はホテル1階にある。

現在の「グランド・ホテル・ヴィッラ・コーラ」は1800年代に作られた当時の姿を保存修復しており、まさに生きる美術館となっている。

「白の間」にはカッラーラ産大理石のマントルピースとオッペンハイム家の紋章が残されており、ルイ15西様式の「鏡の間」はトリノにある王宮をイメージして作られた。

フレスコ画や彫刻、ヴェネツィアン・ガラスも当時のものであり、こうした芸術品が火災や戦禍を免れたのは奇跡に近いと言われているほど。

こうした美術館のようなホテルに泊り、上皇陛下や秋篠宮皇嗣殿下がご覧になったのと同じ景色を見て、しばしその歴史に想いを馳せる。令和という新時代にこそふさわしいホテルではないだろうか。

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この記事の執筆者
1998年よりフィレンツェ在住、イタリア国立ジャーナリスト協会会員。旅、料理、ワインの取材、撮影を多く手がけ「シチリア美食の王国へ」「ローマ美食散歩」「フィレンツェ美食散歩」など著書多数。イタリアで行われた「ジロトンノ」「クスクスフェスタ」などの国際イタリア料理コンテストで日本人として初めて審査員を務める。2017年5月、日本におけるイタリア食文化発展に貢献した「レポーター・デル・グスト賞」受賞。イタリアを味わうWEBマガジン「サポリタ」主宰。2017年11月には「世界一のレストラン、オステリア・フランチェスカーナ」を刊行。